「自分らしさ」がわからなくなる理由
「自分らしく生きたいです」
セッションを受けに来るクライアントさんがよく口にする言葉。きっと、誰もが一度は思ったことがあるはず。
でも、「あなたにとって、自分らしさとは何ですか?」と尋ねると、多くの人が言葉に詰まる。
「好きなことをすることですかね……」
「自由に生きること?」
「うーん……、わからないです」
"自分らしく生きたい"と思っているのに、その「自分」がわからない。
これを読んで、「私のことだ!」と感じている人に伝えたい。
自分がわからないことは悪いことではない。ただ、自分を後回しにすることを、とても上手に覚えてきてしまっただけなのだ。
私自身も、昔はそうだった。
誰かに合わせ、期待に応え、「ちゃんとした自分」を演じることが大人になることだと思っていた。
嫌われないように。
がっかりさせないように。
迷惑をかけないように。
そんなことばかり考えているうちに、自分が何を好きで、何をいやだと感じているのか、少しずつわからなくなっていった。
仕事柄、多くの方のお話を伺っていると、「自分がわからない」という声を本当によく耳にする。
「何がしたいのかわからない」
「本当はどうしたいのかわからない」
「周りから見れば幸せなはずなのに、心が満たされない」
その言葉を聞くたびに思う。
この人は、自分がないのではない。長い時間をかけて、自分の気持ちを後回しにしてきただけなのだ、と。
子どもの頃は、「これが好き」「これはいや」と素直に言えていたはずだ。
でも、「いい子でいなさい」「空気を読みなさい」「迷惑をかけちゃだめ」という言葉を受け取りながら育つうちに、いつしか、「私はどうしたい?」より、「どうするのが正しいか」を考える癖が身についてしまう。
そして気がつけば、自分の本音を、自分自身が一番聞かなくなっている。
「自分に還る」ということ
セッションでは、ときどきこんな場面がある。
「本当は、どうしたいですか?」
そう問いかけると、しばらく沈黙が続く。
そして、小さな声で、
「……考えたことがありません」
そう返ってくることがある。
何十年も、自分より誰かを優先して生きてきた人ほど、自分の本音がわからなくなってしまう。
だから私は、この言葉を聞くと胸がキュッと苦しくなる。
本当は疲れているのに、「大丈夫」と言う。
本当はいやなのに、「いいですよ」と笑う。
本当はやってみたいことがあるのに、「私なんて」と諦める。
そんな小さな我慢は、一つひとつは小さくても、何年も積み重なると、「本当の自分」が見えなくなってしまう。
私は、「自分に還る」という言葉を大切にしている。
自分に還るとは、これまでとは違う新しい自分になることではない。昔の自分に戻ることでもない。
誰かが期待する自分でも、世間が求める自分でもなく、自分の心が本当は何を感じ、何を望んでいるのかを、もう一度思い出していくということ。
「私はどう感じている?」
「私は本当はどうしたい?」
その問いを、自分に返してあげる時間は、自分を甘やかす時間ではない。
長い間、誰かの期待を生きてきた自分から、本来の自分へ戻る時間。
自分の人生を、自分の足で歩きはじめるための、大切な時間なのだ。
自分らしさは、探すものではなく、思い出すもの
以前、このコラムで、「幸せは探すものではなく、気づくもの」「幸せを感じられるのは、いつだって『今』だけ」ということを書いた。
実は、自分らしさも同じなのではないかと思う。
自分らしさは、どこか遠くに探しに行くものではない。
資格を取れば手に入るものでも、誰かから教えてもらうものでもない。
もともと自分の中にあったものを、少しずつ思い出していくことなのだ。
不思議なことだけれど、本音に気づきはじめると、人生は少しずつ変わっていく。
人と比べることが減る。
「こうあるべき」に縛られなくなる。
無理をしてつながっていた人間関係が自然と変わり、本当に心地いい関係が残っていく。
そして何より、自分で選んだ人生を歩いているという感覚が戻ってくる。
自分らしさは、「見つけるもの」ではない。
忘れてしまった自分を、少しずつ迎えにいくこと。
もし今、「自分らしく生きたい」と思っているなら、今日一度だけ、自分に問いかけてみてほしい。
「私は、本当はどうしたい?」
その答えは、すぐには見つからないかもしれない。
でも、その問いを持ち続ける人は、少しずつ、自分の人生を生きはじめる。
自分に還るとは、自分の人生を、自分のものとして生き直すことなのだと、私は思う。



