夫は妻の働く権利を管理できる存在なのか?
先日、ある経営者の友人と話をしたところ。
「夫の許可が取れなかったので、入社を辞退します」って人が、この時代においてもいるのだと聞きました。
企業側としては、働ける算段をつけてから面接受けてよ、など思うところもあるはずですが、「夫の許可」かぁと思わず遠くを見てしまいました。
ほかにも「家事育児をちゃんとやること」を「条件」に、働く許可を得ていたり。
もう時代は昭和じゃなくて令和ですよ?
いったいどんな権限を持って、家族の「働く権利」に条件をつけ、侵害することができるのか。また、それを「当然のこと」と思えるのかが不思議でなりません。
なぜ夫は妻を管理したがるのか?
「社会制度」「夫の視点」「妻の視点」の3つから見てみると、その根深さがわかるかもしれません。
【社会制度的な視点】
ピンと来ないかもしれませんが日本の「家制度」による影響も、少なからずあるのではないかと思います。
日本における結婚とは「夫の家に嫁に行く」という意味合いが、まだ根深く残っています。その証として、多くの場合「夫の姓」になっていくわけです。
たとえば、田中太郎さんと、鈴木花子さんが結婚をした場合。
これまでは、お互いが各々の屋号を持つ、対等な取引先関係だったふたりですが。
結婚することによって、夫の傘下(田中姓)に入ることになる。つまり、田中家の社員(一員)という関係になるわけです。
ここで、無意識のうちに主従関係の小さな種が生まれます。
そんな種は育てずに、各々が「個」として関係を結んでいく夫婦もたくさんいる。だけど、この小さな種がいつの間にか育ってしまうこともあります。それこそ、専業家庭という制度は国が「妻が夫の傘下に収まりやすいように」と税優遇などを使って整えてきたスタイル。
夫の権力増長と、相性がいいスタイルと言えるかもしれません。
【夫の視点】
では、夫は「よっしゃ!これからは妻をガンガンに管理してやるぜ!」と思っているのでしょうか? ……たぶん、そんな人は少ないのではないかと想像します。
夫の悩みとしてよく言われているのが「大黒柱プレッシャー」です。
「男たるもの、しっかり稼いで家族を養わねばならぬ。妻に苦労をかけてはならぬ」という、武士道(?)精神。
この小さい頃から植え付けられたバイアスと、社会的な視線によるプレッシャーは、相当強いです。
僕も男性なので、正直、気持ちはよくわかるんです。
たとえば「妻が働きに出て年収200万を稼ぐようになったら、家計は200万の収益アップになる。その分、夫も家事育児のために仕事をセーブして多少収入が落ちても、家としてはプラスである」という話。
頭では理解できていても、「自分の収入を減らすなんてプライド的に無理」「キャリアアップから遠のくなんて無理」「仕事はお金だけじゃない」なんて思ってしまい、年収ダウンや仕事を減らすことができない。
なんともやっかいなプライドです。
結局、自分の働き方を変えることができないので、妻が働くことによってできなくなる家事育児をどうするか問題が出てくる。でも、解決策は「夫が調整する」なんです。もちろん外注するも解決策ですが、すべてをフレキシブルに依頼するのは非常に難しい。
わかっちゃいるけど、夫は働き方を調整できないし、したくない。
だから「家事育児をこれまで通りちゃんとやるなら」という条件をつけることで、自分が変わるという選択肢を排除しているのです。
【妻の視点】
男性に「大黒柱プレッシャー」があるように、女性にも「家事育児は女性の仕事バイアス」はとてもとても根深くあるようです。
「花嫁修業」「赤ちゃんはお母さんじゃなきゃ言う事きかない」「母乳神話」「三歳児神話」「母の味」ありとあらゆるところに、「家事育児は女性の仕事」を意識付けするメッセージが溢れています。
この数年は、それもだいぶなくなって来ましたが、「ジェンダーギャップ指数」が世界125位と過去最低(※参照 The Global Gender Gap Report 2022)になってしまったいま、問題の根深さはまだまだ解消されてはいません。
いま、女性は「仕事」も「家庭」も両方を色んな立場から求められる、厳しい状況にいるなと感じます。
夫婦は、お互いの人生を最高にするためのパートナー
個人的には、結婚は「家を守るためにするもの」ではなくなったように感じています。
結婚は「お互いの人生を最高にするためのパートナーシップ」なのではないでしょうか。
どんな働き方でも、両立バランスでも、それは夫婦それぞれです。でも、お互いが人生を楽しく過ごせるために心から信頼して支え合える関係であることが、家族であり続ける最も重要な意味になるのではなないかと思います。