40歳。
多くの人にとってこの年齢は、自分の人生のパターンがなんとなく掴めてきた年齢ではないでしょうか。
仕事もやり慣れ、もう誰かに叱られたりすることもない。これまでやってきた仕事を続けていくということであれば、先の見通しもある程度は予測できる。
家族との生活や子育ても、まったくの未知だったころに比べたら、ずいぶん手がかからなくなっている。
自分が歩んできた人生における、ひとつの頂点と言えるかも知れません。
それは成功の度合いの話ではなくて、これから自分が歩むであろう人生を見渡せるという意味において。
だけど、そこから急に不安に襲われます。
「自分はこのまま、仕事や家庭を回しながら生きていくだけでいいのかな」と。
ミッドライフ・クライシスに苦しむ人は、その不安を胸に抱きながら、次の未知の山登りを始めたくなっているのだろうと思います。
だけど、自分で新しい山を見つけ、新たに登り始めるのはなかなか大変なことでもあります。
これまでの山にいれば、危険も少なく、人からも頼られ、自分の力を発揮できる。
でも新しい山に入れば、これまで築いてきた色々が通用しなかったり、もう一度0からやり直すような大変さを味わうことになる。
ぼく自身、同じ業界にいる上ではちょっとした「なんでもできる感」を感じてしまっています。
いつの間にか立場が上がり、自分が聞くよりも、誰かに「聞かれる」ことが増えてきたりする。
でも、万能なんかじゃない自分を、自分自身が誰よりもよく知っています。
自分の自負心、社会的立場、実際の実力。こうしたものがピタリと一致しなくなってきたのがまさに40歳だったのです。
もう一度、0からのスタートを切る
ミッドライフ・クライシスについての連載を始めた最初。
「客観的に見れば、幸せな人生なはずなのに。イライラがとまらない」と書きました。
ぼくはこれは、ひとつのゴールにたどり着いたという事なんだろうと思うようになりました。
ゴールにたどり着いたとき、その後の道をどう歩けばいいのか。そんなことはこれまで誰も教えてくれませんでした。だからぼくは、ゴールは本当はもっともっと遠いところにあって、まだまだ手に届かないものなのかと感じたのです。
でも、進むべき道がわからなくなった。
このまま歩み続けることで、自分がどこにたどり着けるのか、そこに希望を抱けなくなった。
でもそうではなくて。
この時点を、これまでのゴールとし、違う目的地へと進む道へと移っていかなければならなかったのです。
仕事でも、趣味でも、子育てでもいい。
自分が知らない未知の経験へのチャレンジをすることが、この不安とイライラに立ち向かう有効な解決策だろうと思ったのです。
同じように悩んでいた友人は、海外移住を決め新たな挑戦をはじめました。起業に乗り出した友人もいます。大学院へ通い、新たな分野を学び始めた人もいます。いま彼、彼女たちはみんなとても晴れやかな日常を送っています。
自分が何者でもない世界へ。
もう一度、ここから新しい体験をし、一歩々々山を登る楽しさを味わうこと。
その挑戦こそが、40代の壁を乗り越える歩みとなる。
ぼくの新しい挑戦は、まだ定まっていません。
でも、そうした目であらためて世界を眺めてみるとそれまで感じていた「行き詰まり感」を感じなくなってきました。
挑戦しようと思えば、何にだって挑戦できる。
それは、20代の頃のような無鉄砲さとも違います。
30代のように、目標へとたどり着くまでの途上にいるわけでもありません。
40代は、とても自由なのです。
ここまで歩んできたある種の頂点から見渡せば、これまでには見えなかった景色が見えることでしょう。
時間だって、お金だって、若い頃よりも自由に使える。体力だって、まだまだある。
40代の前にあったのは壁じゃなくて、自由なんだと思えばこれから先がとても楽しみになってきます。
すばらしい40代をともに過ごしていきましょう!