検索しても出てこないものを探しにいく
インターネットでわかることも多いが、一番知りたい情報は、どこにもなかったりする。
インターネットは万能……ではない。
“ドーナツ探求活動”では、ドーナツ専門店はもちろんだが、ベーカリー、カフェなどの飲食店、スーパー、コンビニなどの小売店など、ありとあらゆる店を巡っている。
どこに何の店があるかは、ある程度調べることができるが、その店にどんなメニューがあるのか、何を扱っているのかは詳しくわからないことが多い。
全部の店がSNSや公式サイトで、取り扱い商品をリストアップしているわけではないからだ。
やはり現地に赴き、見て歩かねばならない。
行き先を決めたら、どんな店があるか下調べして、効率よく回れるようにルートを考える。
そうして街をウロウロしてしていると、ノーマークの思わぬところにポロッとドーナツが売っていたりする。
“隠しコマンド”を見つけたような嬉しさに、ニヤリとする瞬間だ。
“ドーナツ探求活動”をした日の歩数を記録すると、一万歩以上歩いていることも多い。
その街はどんな様子だったか、店の周囲になにがあったか、ドーナツ以外の様々な物事も見て調べることも忘れない。
これは“ドーナツ探求活動”において、ドーナツを食べることと同等に、とても大切で、かなり楽しいものだ。
そこに本質が潜んでいることもある。
その場に行ってこそ見えるもの
いつも大きなショルダーバッグに取材道具を入れて、あちらこちらへ出歩きます。知人などから「荷物が多い」と指摘されるタイプの人間です。
1975年5月から放送されていたテレビドラマ『Gメン'75』の第336話で、江波杏子が演じた津村冴子警部補は、先輩から現場100回と教わったということを言っていた。
“ドーナツ探求活動”もまた「現場百遍」だと思う。
物事の本質は現場にあり、見たり調べたりすればするほど、なにかしらの発見や感じるものがあるからだ。
といっても、実際は同じ店に100遍も行くことはできない。
同じような熱を持って活動したいので、「足で稼ぐこと」を信条としている。
ただドーナツを食べるだけでは、「食べた」という事実と、「おいしかった or そうでもなかった」という感想しか残らない。
そのドーナツを取り巻く様々なものごとを調べ、体験することを含めて“ドーナツ探求活動”としている。
「ドーナツ探求活動は足だよ」と、靴底がすり減った、くたびれた革靴を履いたベテラン刑事のように言ってみたい。
こたつに入っていて見えるものは、スマホの画面と机上のミカンくらいのものなのだ。
期待通りでなくてもめげないし、足は丈夫だ
電車の本数が少なく、やっとたどり着いた駅から先は、バスもタクシーもなかった。完全車社会地域の“あるある”、だと思う。
収穫が多いときもあれば、歩けども歩けども、いまひとつ手応えがないこともある。
何軒もベーカリーをまわったが、どの店にもドーナツがなかったり、目当ての店が臨時休業だったり、売り切れていたり。
いろいろなことが起こる。
店の最寄り駅に降り立ったら、駅から店まで遠いのに、バスもタクシーもレンタサイクルも、自分の足以外の「足」がない、ということもあった。
おかげで私は、なかなかの健脚である。
ドーナツを求めて、坂道を自転車で登っていたら、すれ違った人から「足強いな!」と言われたこともあった。
“おいしさ”は、舌だけで味わうものではない
インドネシア・バリ島のドーナツ店。繁華街から遠く、道中少し不安になったが、店員さんが満面の笑みで迎えてくれた。街も店も人も好きになった。
ドーナツが口に入るまで、やたらと大変な思いをしてしまうことがある。
そのドーナツには「苦労」が追加トッピングされた分、「おいしい」という点数が幾分か加算されることもあるかもしれない。
街の風景がよく、お店の雰囲気が素敵で、お店の人がとってもいい人で、街からドーナツまで、まるっと全部大好きになってしまうこともある。
たくさん歩いて見た景色や、お店で聞いた小さな物語、偶然の美しい瞬間、感じた香りや空気、様々な断片が積み重なって、ひとつのドーナツの味わいが、一層深みを増していく。
“おいしさ”とは味覚だけの問題ではなく、経験による情感が染みたものなのではないか。
名前しか知らない人に情がわくことはない。
その人を形成するものを知ったときに情がわく。
知れば知るほど好きになってしまうのは、人もドーナツも同じだと感じる。
だからこそ、今日もまた歩きまわって、嬉しい出会いを探し、見聞きする。
靴底が減った分だけ、次の“おいしいドーナツ”に繋がっていく。
