今回お話を伺ったのは、松本知美さん(38歳)
高校生のときに、サッカーのレフリー資格を取得。それを活かして大学も就職も、まさにサッカー業界にどっぷりな日々! しかし、職場では活躍しながらも、同じくらい辛い葛藤を抱え、やむなく退社……。そこから11年、楽しいけれど中年期のモラトリアムを過ごしていた松本さんに、"ある転機”がやってきました。
やりがいのある、大好きな仕事を辞めることに……
──なぜ高校生で、レフリーの資格を取ろうと思ったのでしょうか?
知美さん:テレビを見てサッカーが好きになったんですけど、ルールがわからなくて。ルールを知るために、資格を取りました。商業高校だったので、資格を取るのが普通というか、授業で資格も取っていたし、資格は増えるに越したものじゃないですか。
──天職とも言えるサッカーの仕事に就いたそうですが、なぜ辞められたのでしょうか?
知美さん:仕事をやるからには、結果を残してやろう! と、企業イベントや運営など「日本初」と言われることをどんどん実現し、打ち込んでいました。
でも、当時はまだまだ男社会で。若い女性は私だけ。それに、初めての専属社員として就労したことに関して人間関係で色々問題が出たりして……。ちょうど、仕事もやり切った感があったので、退職することに。
──その後、ご結婚されていますが、29歳差の年の差婚。周りからの反対はなかったのでしょうか?
知美さん:うちは両親が高齢だったことと、姉がバツイチだったので、特に反対はありませんでした。普段も年上の方が周りに多いので、特に違和感もなく。ただ、結婚するときは「多分、離婚するだろうなぁ」と(笑)。結婚に憧れもなかったし、今から見たら、それくらいだから良かったのかなと思います。
夫は年上ですが、中身は小学5年生で、頼り甲斐もない(笑)。けど、人の悪口を言わない人なので、今でも毎日楽しく過ごせています。
何かやりたいねんけど、それがわからん
──「福祉ネイリスト」の資格をとったきっかけは?
知美さん:誘ってくれた知り合いの方がいろいろな人に声をかけていて、その中の1人が私でした。
若い時(20代)って、放っておいても楽しいことばかりですよね。でも、35歳を過ぎるとコンパも場違いだし、楽しいことが向こうからやってこない! だから、習い事をたくさんしてきましたが一定期間過ぎると「この先に何があるんだろう?」と、モチベーションが下がって、やめてしまう。
"何かやりたいねんけど、それがわからん”状態に。
同じような友人(副代表の岩田さん)がいて、よく「ボランティアしたいねん」と言っていたので、一緒に講座に通うことにしました。とは言っても仕事はしているし、講座は土日に大阪で開催しているので(知美さんは京都在住)、帰りに飲むことのついでといった感じで(笑)。
──いつから本気で「福祉ネイリスト」に取り組むことになったのでしょうか?
知美さん:「福祉ネイリスト」取得後、副代表の岩田が地元の高齢者施設で通常のボランティアをしているところにお願いして、ネイルをやらせてもらったときですね。みなさんとっても喜んでくれて、もっとたくさんの人に体験してもらうべきだと感じて、本気で取り組むことにしました。
ついに「福祉ネイリスト」の資格を取得し、やりがいを見つけた松本さん。ですが、思いがけない壁が立ちはだかりました。
福祉ネイリストとして、活動している人がいない!?
──福祉ネイリストの資格を取ったあと、驚いたことがあるそうですね
知美さん:福祉ネイリストの資格受講前は、無料のボランディアではなく"仕事として行うように”と説明を受けていたんです。でもフタを開けてみたら、施設を回っている人はごくわずかという現実が。
講習では、1人1000~3000円をいただいて……と推奨されていたんですが、実際にお金を払ってまで、ネイルしたいという高齢者は本当に少ないんです。だから、活動をすればするほど、持ち出し(自己負担)になってしまう。訪問先も、自分で営業しなくてはいけなくて。普及してないって、こういうことなのかと。
──それでも諦めなかったのは?
知美さん:そもそも、これでご飯を食べようと思って取った資格じゃないんです。一緒に始めた友人も、ぶっちゃけ道具もあるし、こんだけ喜んでくれはるなら、ボランティアでいいやん? むちゃくちゃ喜んでくれるから、他の施設も行きたいよね? と。
実際ネイルをすると、普段笑わない方が笑顔を見せてくれたり。ショッキングピンクを選ばれた方は、それが刺激になったようで、昔の話を思い出してくれたりとか。
お金を取ることにこだわって、こんな経験をなくすのはもったいないよねって。
できひんのは、面倒臭いだけ!
──その後、福祉ネイリスト団体「ガンチー」はどのように立ち上げたのでしょうか。
知美さん:活動は続けたいけれど、施設を回れば回るほど持ち出し(自己負担)が増えると続かないね、という話に。そこで諦めるんじゃなくてお金を集めようと思いました。
こう言う時、できひん(できない)っていう人は多いけど、それはできないんじゃなくて、本当は面倒臭いだけなんです。
実際に調べたら助成金がたくさんあって、応募は団体じゃないと受け付けてくれないので、友人と私の名前をそれぞれ1文字取って「ガンチー」という名のボランティア団体を立ち上げました。福祉ネイリストらが高齢者の方々へハンドケアやネイルケアなどを行う団体です。
──今後の目標はありますか?
知美さん:お金を払える人だけが、色々なサービスを受けられる、そういう格差が広がるのは、いややなって。見捨てることは簡単だけど、できることからやりたいなと。今後は、介護施設に加えて、障害者施設やダウン症イベントへの参加など新たな活動を行う予定です。
saita読者へメッセージ
彼女から、saita読者にエールをいただきました。
知美さん:お酒とサッカーが好きだった私が、まさか介護や福祉に携わるとか、自信もなかったですし、知識もなかったです。団体を立ち上げた時も、このまま何もなく終わるかもなーと、ほんと軽い気持ちでした。
「自分は何もない」と思っている人は多いけど、意外とやってみたらできるもんがあったり、自分で気づいていないだけで、実は人から、社会から見たら十分な素材を持っている。
何についても「誰かがやるやろー」って、思っている人が多いと思いますが、私はその「誰か」に自分が常になっときたいな、と思っています。
サッカー事業から離れてからは「楽しかったけれど、目的のない時間だった」という、知美さん。ですが、今は明確な目標と手段を見つけて、まさに水を得た魚のように、熱心に奮闘している姿が印象的でした。