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パニック障害で寝たきりだった私を変えてくれたのは、たまたまYouTubeで見た「ピラティス」だった。

働く・学ぶ

2022.07.30

オリジナル連載『わたしは〇〇で人生が変わった』第7回目。20代の頃、自分が40歳になることを想像してどう感じていましたか? 「40代なんて、もう人生が終わりかけじゃん」とか、「そんなに年齢になるのが怖い!」なんて思っていた方も多いのではないでしょうか。若い頃は、年齢を重ねることにネガティブな印象を持ちがちです。ですが、実際は年齢を重ねたからこそ出会える喜びや楽しみがあるんです。「今が楽しい、将来が楽しみ!」と語る、人生を謳歌しキラキラ輝いている方のお話は、きっとあなたに「40代から人生を楽しむヒント」を教えてくれるでしょう。

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連載:わたしは〇〇で人生が変わった!40歳から人生はもっと楽しくなる

今回お話を伺ったのは、sayaさん(32歳)

人生年表

高校中退後、夜学を経てアパレル会社に就職。最初の会社は倒産したものの、次の就職先でも店長を任され、やりがいを感じていた矢先、突如パニック障害がsayaさんを襲います。仕事を辞め、そのまま結婚出産。しかし、第2子を出産後、再びパニック障害で寝たきりの状態に。そんな彼女をベッドから起き上がらせてくれたのが、ピラティスでした。

まだ32歳のsayaさんですが、ピラティスへ一歩踏み出した瞬間のお話には「人生は何歳からでも楽しめる」ヒントがありました。

電車で人身事故、急激に襲ってきた恐怖感!

SAYAさんお写真

──最初にパニック障害が起こった時のことを教えてください

sayaさん:当時はアパレルのお店の仕入れから販売まで一手に任され、ほぼ休みなしで働いていました。その日は、地元愛知から東京へ買付に行った日。電車に乗っていたら、人身事故があったんです。

電車が急ブレーキで止まって、その勢いで満員の人がスローモーションのように、ワーッと自分の上に……と思った瞬間、怖くなってその場で座りこみ、泣き出してしまいました。その後の記憶はほとんどなくて、ただ練馬で降りたことだけ、覚えています。

──パニック障害の原因に、心当たりは?

sayaさん:実はその出張前に、仕事のストレスや疲れのせいで、重度の逆流性食道炎に。ドクターストップで、1週間お休みをいただいていたんです。体はちゃんと悲鳴を出していたのに、気づけませんでした。

──その後、治療を一旦拒否されたそうですが、その理由は?

sayaさん:医師からは、服薬を勧められたのですが、当時の私は太ることが嫌で最初拒否してしまったんです。そうしたら「死ぬのか太るのかどっちがいい?」と聞かれて……。自覚症状はなかったんですが、血液を調べたら肝臓の数値がかなり悪く、不安障害も併発していました。

その後、医師の勧めに従い、sayaさんは服薬を開始。仕事を辞め、結婚、出産を経験します。パニック障害ともうまく付き合っていたと思った矢先、2回目の発作が……。

2度目の発作発症で、寝たきりの生活に

SAYAさんお写真

──2回目の発作のことは覚えていますか?

sayaさん:育児中に「あれ、気持ち悪いな」と思ったら、過呼吸が始まって……それからはあまり覚えていません。同居している母が救急車を呼んでくれたんですが、子どもには聞かせたくない、ひどい言葉を叫んでいたようです。

その日からは、ほぼ1分おきに発作が起こるようになってしまったので、寝たきりの生活を送っていました。

パニック障害の難しいところは、動悸や眩暈、吐き気や震えなど、患者本人は死ぬほどつらい状態に陥るにも関わらず、時間が経てば、発作は溶けるように消えてしまうこと。なのに、体には異常が見つからず、本人の不安だけが膨らみ、悪循環をたどります。

──そんな状態で、どうやってピラティスに出会ったのでしょうか?

sayaさん:本当にたまたま、YouTubeで元気よくピラティスをしている人を見て「あぁ、笑顔っていいなぁ」と、動画をマネて少し体を動かしました。そうしたら、1分おきの発作が5分おきになったんです。

それまでは、食事と言っても布団に入ったまま、お菓子を食べて、トイレとお風呂以外は動かない、誰とも話さない生活。

でもまた動画を見て、体を動かしたら、今度は発作が10分おきになったんです。そこで、やっと母が作ってくれた食事を食べられるようになり、会話も少しできるようになりました。

そこで「ピラティス」をしっかりやろうと思ったんです。

ピラティスに集中し始めたら、食卓でご飯が食べられるようになり、発作の感覚も3~4時間まで落ち着くことができました。

ピラティスは元々、戦争で負傷した兵士の方のリハビリ用に考えられたエクササイズ。偶然の出会いでしたが、心を患っていたsayaさんに、まさに最適な療法でした。

「呼吸」で心とカラダが変わる。

SAYAさんお写真

──その後、ピラティスの資格を取ったそうですね。外出などは負担になりませんでしたか?

sayaさん:ちょうどコロナ禍だったので、オンラインで受講できたんです。こうして私が一歩踏み出せたのは、自粛期間があったからなのかもしれません。対面授業もあったのですが、そのときは夫や母に送迎をお願いしてなんとか乗り越えました。

──数あるピラティスの資格から、なぜ「BASIピラティス」を選ばれたのですか?

sayaさん:「呼吸」への考え方です。「人間は呼吸で生まれて、呼吸で生きて、呼吸で死ぬ」という創設者の言葉が胸に刺さりました。

私のパニック発作は、呼吸がおかしくなる所から始まります。なので、呼吸が一番大事なことは、わかっていました。だから、呼吸を整えることで、理性とか感情とかも正せると思ったんです。

だから、このピラティスを勉強して、自分と似たような人に教えたい、伝えたいと思いました。

──資格取得後、どのような活動をされていますか?

sayaさん:全国の人と繋がりたいので、オンラインピラティスを中心に活動しています。そのために、インスタグラムをメインに活用して、どんなときでも必ず毎日投稿!

──その活動が認められ、今度本をご出版されるそうですね!

sayaさん:はい! 本を出すのは、私の夢でした。内容はぱっと見、誰でも簡単にできる「背伸び」を用いたダイエット本です。でも実は「元気になれる本」。痩せるメソッドだけでなく、後半には鬱病などを患っている方々に向けて「大丈夫だよ」という、私の想いを込めて作っています。

最新著書『さやピラ式背伸びするだけでやせボディ

書籍出典:www.amazon.co.jp『さやピラ式背伸びするだけでやせボディ』
出版社:‎ワン・パブリッシング
価格 :¥1,320
著者 :SAYA

sayaさんの今後の目標は、本の出版を通して、ピラティスによるダイエットだけでなく、女性がスマホ1台で仕事をする方法も、同時に広めていきたいそうです!

saita読者へメッセージ

SAYAさんお写真

そんな彼女から、saita読者にエールをいただきました。

sayaさん:パニック障害を経験した私は、マイナスからのスタートでした。だから、気をつけていたのが「自分ナンテ、デモ、ダッテ」という言葉は使わないこと。心の病を持っていても、いくつになっても、今はスマホ1台あれば、発信していける時代です。だから、諦めて欲しくない。まずは、なんでもいいからやりたいことを、1週間チャレンジしてみてください! 画面越しですが、私も一緒に頑張ります、あなた1人じゃないですよ。
 

【取材後記】
sayaさんに、パニック障害になったことについてお伺いすると「病気になって、よかったと思う」と笑顔で答えてくれました。なぜなら、人の痛み、ツラさがわかるようになったから、だそう。でもその分、弱音をたくさん吐くそうです。「弱い部分も含めて、全部自分。弱い部分が出せているから、お腹からちゃんと笑えるんです」と答える彼女は、苦難を乗り越えた人だけが持つ、芯の強さがありました。

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