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「女らしさ」の対には「男らしさ」の苦悩がある。自分を不幸にしない“性の受け取り方” #国際女性デー

カルチャー

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2022.03.08

女性として生きていると、女であることの生きづらさを多々感じる。特に社会に出てからは「全然男女平等じゃない」と憤りを感じることもあったが、よくよく目を凝らすと”女性らしさ”の対には”男性らしさ”もあり、男女ともに性の役割に適応できず苦しむ人がいると知った。国際女性デーの今日、女性だからと強いられた不本意な役割を振り返りつつ、私たちを不幸にしない”性の受け取り方”について考える。

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「男だったらもっと楽だったのに」
と何回思っただろう。思春期以降、100回は考えた。

女は縛りが多い。
“女性らしさ”というふんわりしたイメージが理想像として文化に浸透しているせいで、男性のように足は開けないし、大口開けて笑えないし、やたらと外見を重視される。すぐ破れるくせに安くもないストッキングや、立っているだけで疲れるハイヒールを履き、眠くてたまらない朝もメイクするのが社会人のマナーとされる。

ストッキングを履く女性出典:stock.adobe.com

男性は学歴や仕事での成果など、自分次第の自己実現で評価される傾向が強いが、女性は結婚やら出産やら、相手ありきの人生ステータスで幸福度を測られる。自分次第ではどうにもならない局面もあり、努力して高い学歴と職歴を手にしても、恋人がいなかったり独身だったりすると「結婚しなくていいの?」と弁解を求められる。

だから女は生きにくいと思っていたが、「女だから」という論調がある以上「男だから」という論調もあると理解したのは社会人になってからだ。

男は笑いを取り、女は気を遣う

社会人になりたての新人歓迎会で、同期の男性がいじられて笑いを取っているのを眺めていたら、先輩に
「ほら、お酌するんだよ」
と小突かれた。

内心「大人なんだから飲み物くらい自分で注げよ」と悪態をつきながら、自分は全く飲まないビールを注いで回ったが、ラベルは上にするんだとか泡が多いだ少ないだとか、小姑アドバイスを山ほどぶつけられた。素直にありがとうと言えないのか。誰かのグラスが空にならないか終始気にしなければならないのも苦痛だ。私はキャバ嬢かホステスとして入社したのだろうか。だったらもっと金をくれ。シャンパンで破産させてやる。

ビールを注ぐ女性出典:stock.adobe.com

これが新人歓迎会ならいっそ歓迎しないでほしいと忌々しく場を睨んでいると、男は笑いを取り女は気を遣うという構図が見えてきた。

ここでふと気になったのが男性同期だ。いじられては即座につっこみ、場を沸かせている。雑に投げられたボールをヘッドスライディングで取りまくり、泥だらけになっているが、にこにこ楽し気に笑ってみせる。これもまた重労働だ。

帰り道に「よくあんなに笑って体張り続けられるね」と言ったら「会社ってそういうもんだろ」と(同期のくせに)先輩風を吹かせていた。

社会人らしい発言のようだが、違和感がある。
本当に「そういうもん」なのだろうか。
そうしたくてやっているならいいけど、やりたくもないのにやらされる構造になっているとしたら、そういうもんだからと受け入れるのはただの思考停止ではないのか。

思考停止して受け入れれば、悪しき慣習は必要悪として脈々と受け継がれ、社会はいつまでも変わらない。
それって、みんな等しく不幸になるだけなのでは?

男はリーダー、女はサポーター

別の会社では、社長が生粋の九州男児で、一歩下がって控えめにサポートする女性を好んだ。言わずもがな正反対の私は気に入られず、苦手意識すら持たれ、どれだけあがいてもちっとも評価されなかった。

なのに全然電話を取らずゆったりまったり仕事する後輩の男性社員は気に入られ、これからを担う期待のプロパーとしてかわいがられた。
あまりに腹が立った私は大人げなく文句を言いまくり、文句を言いまくっている自分に嫌気がさして早々に辞めた。
管理職に就いた女性もいたが、数年と持たず退社していき、長く働き続けている女性は控えめなサポーターばかり。上層部は忍耐強い体育会系体質の男性ばかりだ。

働く男性出典:stock.adobe.com

気に入られていた後輩の男性社員はどうなったかというと、彼も早々に辞めた。
ゆったりまったりしていた彼はサポーター属性であり、体育会系のかわいがりで叩きあげられるのが苦痛だったのだ。
心をやられて出社できなくなり、その後の社会復帰にも時間がかかったらしい。

正直「贅沢な」と思ったが、人には向き不向きがある。私が求めていた評価は、彼にとっては重圧でしかなかった。
彼もまた「男だから」と性による固定観念を押し付けられ、苦しんでいたのだ「女だったらもっと楽だったのに」と思ったかもしれない。

性で個を縛るな

男女平等が謳われ共働きが当たり前になり、多様性が認められるようになった。

一方で「女だから」「男だから」という価値観はまだ残っている。私だって、男女で切り分けて考えることもある。
実際に男女の違いも存在し、その違いを無視するのが正しいとも思わない。女性特有の事情も、男性特有の事情もある。

transgender symbol出典:stock.adobe.com

それでも「女だから」「男だから」と性で一刀両断せず、今目の前にいる人はどうなのかを見極めたい
男らしい女性も、女らしい男性もいる。女でも男でもない人もいる。
性だけでカテゴリ分けするのは確かに楽だしわかりやすいけど、私たちを型にはめてしまう。楽しているようで、苦しめている。

性はあくまで特徴のひとつであり、人格を決めるものではない。
性の呪縛から解き放たれた時、私たちは本来の自分らしさを取り戻せるのではないだろうか。

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著者

秋カヲリ

秋カヲリ

だれもが自己受容できる文章を届けたい文筆家。女は生きにくい、だからしなやかに生きたい。 ・著書「57人のおひめさま 一問一答カウンセリング 迷えるアナタのお悩み相談室」(遊泳舎) ・恋愛依存症に苦しみ、心理カウンセリングを学ぶ ・出産して育児うつを経験、女の幸せを考える ・ADHDなどのグレーゾーンゆえに会社員として適応できず、4社を転々としてフリーランスのライターに ・YouTuberオタクで、YouTuberの書籍編集・取材執筆多数

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