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「震災の悲しみを吐き出せる場所になれば」10年間被災地を見守ってきた支援者としての想い

家族・人間関係

 「震災の悲しみを吐き出せる場所になれば」10年間被災地を見守ってきた支援者としての想い

2021.03.11

2011年3月11日に起こった、あの未曾有の大地震から10年を迎える。10年という節目の年に、被災者や避難者、支援者それぞれの10年の思いを集めた「みんなの声Voice from3.11」という取り組みがスタートした。「3.11から10年に思いを馳せる」、「現状を知る」、「次に生かす」がコンセプトであるこのサイトの立ち上げに携わり、支援者としての活動を続けてきた三浦隆一さんにお話を伺った。

震災当時の記憶を形に残していかないといけない

「仙台市内の家は半壊しましたが、私にとってこの10年は、被災者というよりも支援者としての10年だったと思っています」

そう語るのは、宮城県仙台市在住の三浦隆一さん。震災直後から、東松島市の災害ボランティアセンターで社会福祉協議会の臨時職員として活動し、現在は、東日本大震災支援全国ネットワーク(JCN)の宮城地域担当として、地域づくりの支援を続けている。

東日本大震災から10年目となる今年、被災者、避難者、支援者の声を集めた「みんなの声Voice from3.11」という取り組みがスタートした。三浦さんも、その取り組みに携わる一人。この取り組みがスタートした理由を聞いた。

「10年というタイミングで、被災地を訪れたいというボランティアの方、企業の方、支援者の方が多くいたのですが、昨年から続くコロナ禍の影響でそういった動きがパッタリと止まってしまいました。支援者やボランティアの方たちとも連絡を取り合う中で、当時、支援した方や地域がどう変わったのかを知りたい、これからの関わり方が知りたいという声が多く届くようになりました。今できることをという思いから、有志で『Voice from3.11』の活動がスタートしました」

10年の節目にあたるこのタイミングでの取り組みには、支援の一区切りをしたいのではないかと捉える声もあったという。このサイトの賛否の声に対しては今も実行委員の中で議論されているが、この10年という月日で、確実に人々の記憶も薄れていると三浦さんは語る。

「被災地でも、『当時、こうだったよね』という話をする機会が減ってきました。支援に関わっている人も今はどんどん少なくなっていて、当然、亡くなっていく方もいます。だからこそ、このタイミングで一度、10年を振り返ってみて、湧き上がってくる気持ちを形に残していかないといけないなと思ったんです」

現在、「Voice from3.11」のサイト内の「ことばの集い」には、全国から届いた200を超える声が掲載されている。

「実際、声を集めてみると、私たちが想像していた以上に多様な言葉、考え、気持ちがあるということがわかりました。その多様な考えがあるということが、東日本大震災の現状を表していると感じています。もっと多くの声を集めて、我々はその声から今後の支援に必要なことを見出し、行動に移していきたいと思っています」

多くの”声“が届く一方、10年支援を続けてきた三浦さんが抱えるジレンマもあるという。

「Voice from3.11にはたくさんの声が集まっていますが、宮城地域担当者として伝えられないもどかしさも感じています。家族や家を失ったことにいまだ向き合えず、喪失感、悲しみをずっと抱えたまま、声を出すこともできない、声を出すことに至ってない人がまだかなりの割合でいらっしゃるのです。そういった方たちの声は、どうしてもVoice from3.11には届きません。そういった声こそ、一番耳を傾けるべき声だと思っています。今は、声を出せない方々が、ふっと言葉にしても良いかなと思ったときに、『Voice from3.11』が、書ける場所、声を出せる場所になれば良いなと思っています」

支援者として見てきた、被災地の10年

被災地の様子2011年4月11日撮影

被災地の様子上記と同じ場所で2011年7月11日撮影

10年という月日が流れ、被災地はどのような変化を遂げてきたのだろうか。

「ハード面で言うと、沿岸、海沿いに住んでいた方にとっては、ふるさとの街並みが完全に失われて、当時を思い出すことが難しいくらい街並みは変化しました。『新しくきれいな街になった』という声もあれば、『なんだか、さみしいね』という声もあります。10年の月日が流れたというのは、単純に10年歳を取ったということなんですが、個人にとっての10年って大きいなと思うんです。当時70代だった方は80代になっていて、かなり身体的な衰えが出てきますし、当時小学生だった子どもたちは大学生や社会人になっていて、それぞれにライフステージが変わっています。震災直後の人々の暮らしや、人、街並みも変わり、その変化のスピードについていけない方々もいるのではないかと思っています。最近では、東日本大震災を知らない世代が、『東日本大震災はどうだったの?』と聞いてくることが増えてきました」

被災地の様子上記と同じ場所で2021年3月10日撮影

東日本大震災を知らない世代がいる。まさに、10年という時間が流れたことをリアルに感じる一言。知らない世代、関心が薄れている人々に対して、支援を続けていく中で伝えたいこととは?

「東日本大震災というと、津波被害のイメージが強くなってしまうかもしれませんが、東日本大震災の被災者は、沿岸部で津波の被害にあった人だけではなく、福島の原発事故でいまだに自分の住んでいた地域に帰れない人やようやく帰れるようになった人など、さまざまな方たちが、今もあの地震の影響を受けながら生活をしています。津波の被害、原発、それらを一緒に『東日本大震災』として気持ちをシェアするという機会はなかなかありません」

人と人とのつながりが、人としての幸せにつながる

「Voice from3.11」の中には、「つながりの集い」として、当時ボランティアで被災地を訪れていた支援者と、被災地の方たちの交流がオンラインで行われている。

「オンラインでそれぞれの会場が映し出された瞬間に、『懐かしい』『会いたかった』という声が会場の中に溢れました。当時、独身で若かった支援者の方が、画面の向こうで赤ちゃんを抱いているのを見て、『お母さんになったのね』とみんなで喜んだりして。画面上ではありますが、会った瞬間にみんなが笑顔になったんです。これは対面で会えたからこそですね。人と人とのつながり、心のつながりは、人としての幸せにつながるんだなと感じました」

10年前に伝えられなかった思いがあるからこそ、「Voice from3.11」が果たす役割がある。

「どのオンライン会場でも、『あのとき、ちゃんと伝えられなかったけど、”ありがとう”を伝えたかった』と、お礼を伝える方がたくさんいます。当時は本当に大変な状況の中で1日1日を必死に過ごしていたので、支援者の方に『ありがとう』をきちんと伝えられていないという思いを多くの人が持っているのですね。支援者の方も、皆さんの元気そうな顔を見て喜んでいて、10年経った今も、お互いに気にしているということが伝わってきました。当時支援する側は、目先の課題に対してどうしたらいいかというのを、組織の肩書きなど取っ払って、一人の人間として立ち向かう毎日でした。普通の仕事の関係以上に、被災地の方と魂のぶつかり合いのような付き合いをしてきたので、なおさら久しぶりに会えたときには、同志に会えたような気持ちになるのです」

この10年、支援者として被災地を支えてきた三浦さんにとって、この10年、これからの10年はどのようなものなのでしょうか。

「これまでは目先の課題にひたすら対応してきた10年でした。まもなく10年というタイミングになり、目先のことだけやっていてもだめなんじゃないかなと思っています。今後も、課題に対応していくというのは続きますが、10年の経験から得た教訓を導き出して、未来のために何をするのか、これからの東北、宮城のために何が必要かを考えて活動をしていかなくてはいけないと思っています。
東日本大震災の教訓をステップに、未来に何を残していくか、次世代に何を継承するか、持続可能な地域という視点で設計していくフェーズに来ているなと思っています」

Voice from3.11」に寄せられている声を見ていると、本当にさまざまな思いを抱えながら、この10年を過ごしてきた人たちがいたということがわかる。10年という時間の流れは大きいが、被災地の復興はこれから先も続いていく。ぜひ、このサイトに寄せられたたくさんの声を読んで、何か一つでも気づきを得て、被災地に思いを馳せる時間を持ってほしい。

お話を伺ったのは……三浦隆一さん

三浦隆一さん

仙台生まれ、仙台育ち。個人ボランティアから社会福祉協議会職員を経て、ジャパン・プラットフォーム(JPF)宮城地域担当として宮城県内支援団体の連携調整、NPO等の運営支援の他、緊急災害対応など国内災害の緊急初動対応などを担当。JPF退職後、東日本大震災支援全国ネットワーク(JCN)の宮城地域担当の他、NPO等の相談運営支援、地域づくりの活動などを行う。

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著者

上原かほり

上原かほり

フリーライター歴10年。読んだ人の心にふわっとした空気が流れるような記事や情報をお届けできるよう心がけています。