傷はまだまだ癒えていない
被害の大きさや衝撃の違いから、年月とともに震災の記憶が薄れてくると感じる方も多いかもしれません。しかし被災地では10年経った今でも、当時の記憶や思いを決して忘れられない方もたくさんいるのです。
『「あのときなくしたものの代わりはみつからない」
震災から10年。長くも感じるし、短くも感じる。振り返ってみても、現実なのか、非現実なのかわからなくなる。良いことも悪いこともたくさんあった。けれども、震災で失ったものの重さは軽くならず、切なさが募る。震災直後、避難所で過ごした数日間に起こったこと、感じた切なさ、つらさ、悲しみがより鮮明になってくる。震災を経験して、新しい縁も生まれ、楽しいこともたくさんあった。だけど、楽しければ楽しいほど、あの瞬間のつらさが強くなる。
あのとき、どう行動していたらよかったのか、あの人にこう伝えていれば、後悔が日を追うごとに増してくる。震災から5日目に、友人の子どもが行方不明になっていることを始めて知った。津波の恐怖をもっと伝えていたら、ちゃんと逃げてくれていたかもしれない。震災直後に、友人の家に子どもを探しに行っていれば、助けられたかもしれない。
私は家族を亡くしていない。だけど多くの知人が亡くなった。病気だったらあきらめもつく。でも、災害で人を亡くすのは違う。あのときなくしたものの代わりは見つからない。この思いは一生背負っていくものだと思っている』
(山田葉子さん、50代女性)
今までもこれからも支援を続けていく
この10年間ずっと支援を続けている方もいます。被災地の方に寄り添い、10年支え続けていることは簡単なことではありません。
『「3.11を忘れない」
宮城県南三陸町歌津地区の被災者の方々を支援して10年になります。被災者の手編み「エコたわし」を各地で販売しています。
「平成の森仮設住宅」を最初に訪問したのは2012年でした。厳しい環境にも関わらず訪問した私たちを優しく出迎えてくれました。南三陸町は復旧は進んでいますが津波で家を流されご家族がまだ行方不明になっていて傷は癒えていません。これからも3.11を忘れないモットーで活動を続けて行きます』
(川口博敏さん、70代男性、震災当時の住まい:東京都練馬区、現在の住まい:東京都練馬区)
震災を風化させないために
自分にしか伝えられないことを未来のために伝え続けている方もいます。
『「震災があって良かったと思うことはありますか?」
この10年間、被災体験の伝承活動を通して、このような問いを何度もいただいた。震災があって良かったと考えたことは一度もない。だからこそ私は被災という「負の遺産」を、自分の人生や未来の社会において少しでも「前向きで、意味のあるもの」に“変えていく”ための努力をしてきた。
内陸で被災した私にしか伝えられないことがある、そう信じながら、津波の危険性のない東京の内陸部で、自分の心と体に刻まれた震災の教訓を“次の被災地を生まないように”という想いで伝え続けてきた。
「津波の被災地に比べたら大したことないね」「もっと大変だった人がいるから何も言えないね」大々的に報道された被害と比較・評価され、時には被災者が被害の大小を語ることもあった。私が失ったものは、他人と比べられるものなのか。悔しさを抱えながら多様な被災の現実を伝え続けている。
この10年間、「被災した経験や被害の大きさは比べるものではない」ということを改めて実感した。震災によって一人ひとりのかけがえのないものが失われたのだ。誰かと比較しなくていい。一人ひとりの体験を未来につなげることで、「負の遺産」を未来への願い・希望に変えていくことが大事なのだと思う』
(齋藤元気さん、20代男性、震災当時の住まい:宮城県、現在の住まい:東京都八王子市)
被災した方、支援している方、未来に伝える活動をしている方それぞれの10年の思いをご紹介しました。このほかにも、震災当時助けてもらったときの感謝の気持ちを綴るものもたくさんありました。
今回ご紹介した声は、みんなの声「Voice from 3.11」より、許可を得て掲載させていただいています。東日本大震災から10年経ったこの機会にたくさんの思いに触れ、震災について考えるきっかけになれば幸いです。
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