特集記事

「今日も、生きててくれてありがとう」。写真人生を歩んだ小池夫婦にとっての幸せ

家族・人間関係

2025.07.07

夫婦の数だけ、夫婦の形があります。多様なパートナーシップのあり方を紹介することで、これからの夫婦の時間をより豊かに前向きに過ごして欲しい。「夫だから/妻だから、こうしなければいけない」と思い込むことをやめて、もっと自由に、夫婦という“一番近い、他人との関係性”を楽しんでほしい。そんな思いからスタートした企画「夫婦は続くよ、どこまでも」。前回に引き続き、5月にフォトエッセイ『ふうふ写真散歩』を出版した小池紀子さんにお話を伺います。今回は、お二人が20年間の結婚生活で撮り続けてきた写真についてのお話です。

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特集:夫婦は続くよ、どこまでも

お話を聞いたのは……小池紀子さん

「写真好き」が縁で、結婚式も指輪もないまま“0日婚”をした小池徹さん、紀子さん夫妻。結婚生活20年となる2024年春、小池夫妻を突然の出来事が襲う。それから1年余。紀子さんは、趣味であった“ライカ(クラシックカメラ)”片手に撮り続けた、つつましくもあたたかな日々の写真を文章と共にSNSで発信。そのうちの1枚の写真に16万人が涙した。

ふうふ写真散歩

ふうふ写真散歩』飛鳥新社
著者:小池紀子
定価:2,640円(税込)

写真をたくさん撮っていて本当によかった

ふうふ写真散歩

――お二人の生活には常にカメラがあり、写真があったと思います。それは夫婦関係にどんな影響を与えてきたと思いますか。

独身時代から写真を撮り続けていた私たちが出会ったのは、写真展会場。まさに、カメラ、写真が縁で結婚しました。結婚後は、2人で写真散歩をするようになりました。休日は、明け方まで写真談議をすることもありました。写真が大好きという共通点があったことは、とても幸せだったと思います。

夫が、突然事故に遭って意識不明という状態になったこともあるんですが、お互いの写真をたくさん撮っていて本当によかったと感じています。この20年の間に撮った写真全てに、私たちの人生が詰まっているんです。私たち夫婦にとって“写真”というのは、本当に大事な存在。それがあったからこそ幸せな人生、写真人生を生きられたなと思います。

――徹さんが事故に遭われた後、写真は紀子さんにとってどんな存在になりましたか?

夫が事故に遭った日、病院から帰ってすぐに夫が写っている写真を探しました。夫に会いたくて……。会いたいというか、夫の元気な顔が見たかったんです。こういうときに見たいのは、愛する人の元気なときの写真なんだなということを実感しました。写真は、常々たくさん撮っていたのですぐに見つかったんですけれど……。

――見つかったけど……? 

泣きながら写真を見ていたら、夫が公園で恐竜の遊具と戦い合っている写真が出てきたんです。私、その写真を見た瞬間に大笑いしちゃったんです。こういう写真を撮っておいてよかったなと思いました。普段のあるがままの夫の姿を残しておいてよかったな……と。

ふうふ写真散歩

――普段からたくさん写真を撮ってきたお二人だからこそ、そういう写真が残っていたんですね。

読者の方にお伝えしたいことがあるんです。写真を撮るときって、かっこいい写真を撮るじゃないですか。家族で撮るにしてもちゃんとポーズを決めたり。どうしても完璧な写真を撮ろうとするんだけど、あるがままの自然体の写真も残しておくと良いですよ。私は、悲しみに暮れていたとき、その1枚の笑える写真に相当心が救われたので。

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日常の中にこそささやかな幸せがたくさん詰まっている

――紀子さんが1番好きな写真を教えてください。

ふうふ写真散歩

好きな写真、いっぱいあるんですが、その中で1番を選ぶとしたら、私が撮ったポートレートです。この1枚には、真面目で誠実で優しい夫らしさが出ているから。

写真って、その人の生き様が必ず出るんですよね。それに私、撮影者も写ると思っているんです。撮影者と被写体との関係性というのかな。だから、私たち夫婦の関係性がよく出ているこの写真がすごく好きなんです。きっと、この写真を見た方には、「こういう夫婦なんだな」ということが想像していただけるんじゃないかなって思うんです。

――この1年、紀子さんが暮らしの中で意識してきたことはなんですか?

夫と一緒にいることができない。これほど辛いことは、20年間で初めてのことです。いつも隣にいた夫が突然いなくなったので、それはもう、言葉にならない思いはあるんですけれど……。

ただ、私が悲しんでいても夫は喜ばないはずなので、毎朝、ラジオ体操をして、3食しっかり食べる。そういう日課を1人になってからも変えずに暮らしています。

私が元気でいることこそ、夫が1番喜んでるくれることだと思っています。”私たちは2人でひとつ”という気持ちでやってきました。それは、夫が意識不明の状態ということに関係なく、なおも変わらずに思っています。

ふうふ写真散歩

――本の帯に、「夫は幸せが何かを知っている人だった」という一文があるのですが、ご主人が知っていた幸せというのはどんなものですか?

夫が生まれたのは、昭和30年代の半ばなんですけど、「モノはなかったけれども、家族や親族、地域の人たちみんなから見守られて、幸せな子ども時代だった」ということをいつも言っていました。「とにかく、お父さん、お母さんにたくさんの愛情を持って育てられた」と。

家族の愛情を存分に受けて、平凡なんですけれども、身の丈にあった生活をして、そういう中で日常の中にこそささやかな幸せがたくさん詰まってるんだよということを、夫はよく話してくれました。

今の私があるのは、夫のおかげ

――今、徹さんに伝えたいお気持ちを聞かせてもらえますか?

ふうふ写真散歩

夫に一言だけ伝えるとしたら、「ありがとう」という感謝の気持ちです。私たちは、いつも「ありがとう」の気持ちを言葉で伝え合ってきた夫婦でした。なので、悔いは全然ないんです。

今の私があるのは夫のおかげ。私が、人生を楽しく幸せな日々として過ごせてきたのは、夫がいたからこそ。

今も、意識がないまま入院していますけど、「今日も、生きててくれてありがとう」という言葉しかないんです。意識がないとしても、生きているだけで充分幸せなんです。

――最後に、紀子さんにとって幸せとはなんですか?

このインタビューを受けるにあたり、“夫婦とは何か”を考えてみたんです。考えてみた結果、未だによくわからないんです。私たち夫婦は、お互いに優しさと思いやりを持って20年間生きてきました。本当にささやかなんですけれど、穏やかに日々暮らしてきた日常、そして楽しく過ごせてきたということ。それが、いちばんの幸せだったということです。

ふうふ写真散歩

***
幸せの価値観は人それぞれですが、紀子さんのお話を聞いていて感じたのは、「これこそが本当の幸せ」と思えるものを築いてこられたご夫婦だということ。

「日常の中にこそささやかな幸せがたくさん詰まってる」

徹さんが話していたという言葉。

このことに気づけている人だけが感じられる”本当の幸せ”を、紀子さんは徹さんとの20年で溢れるほど感じられてこられたということが伝わってくるインタビューでした。

「夫婦は続くよ、どこまでも」シリーズには、このインタビューに登場するご夫婦のお話から、「夫婦の時間をより豊かに前向きに過ごして欲しい」という想いが込められています。

今、目の前にある当たり前が、当たり前じゃなくなることが起きる。それが、人生です。そうなったとき、紀子さんのように「悔いはない」と言いきれるくらい、パートナーと向き合えていますか?

このインタビューを読み終えたとき、パートナーに対して感謝の気持ちを感じたなら、その気持ちをぜひ言葉にして伝えてみてください。

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