人はいつか、「稼げなくなる」ときが来ます。病気や怪我なのか、定年なのか。
そうして「稼いでいる」というアイデンティティと家事や育児をしないという免罪符を失ったとき、「稼がなくなったあなたには1円の価値もない」と切り捨てられるかもしれませんよね。
「俺の方が稼いでいるから」「収入の割合が9:1なんだから、家事育児も9:1が合理的」「君は専業主婦なんだから家事育児を全部やるのは当然」そうした自分が「稼いでいる」から言える免罪符は将来に大きな負債を残すことになります。
また、「俺のほうが稼いでいるから」と得意げにいう夫は、果たして妻の方が稼ぎが多くなった時におとなしく家事を担うようになるのでしょうか。
妻が稼いでも、夫の忙しさが変わるわけではないのに。
「稼ぐ」以外の夫の価値
「稼ぐこと、家事や育児をすること」
これらは生活を営む上で大切なことたちです。それらが大切なのはあまりにも当たり前なので、一旦脇においておきましょう。
それ以外で、パートナーと共にいたいと思う大切な想いはなんでしょうか。
男性の中には「稼ぐこと」「働き続けること」でしか自分の価値を感じられない人が少なくありません。仕事ができない、働いていない、稼いでいないというのは男性にとって「自分は生きている価値がないのかもしれない」と思い込ませてしまうこともあります。
それが極端になると「稼いでいる」というのは、あらゆることに代替可能な価値であると思い込んでしまうこともあるかもしれません。
だからこそ、「稼ぐ」「家事育児」以外のお互いの価値について伝え合うことが必要だと思うのです。
それをお互いが認め合うことで、「誰のおかげで飯が食えてると思っているんだ」
なんて、「稼いでいること」でしか自分の価値を感じることができないという哀しみを和らげることができるかもしれません。