「夫育て」の意識は「家事シェア」にとって実はNG
ひとりの夫として思うのです。家事育児について妻から「教育」されて「育て」られる関係なんて嫌だ! って。
同じように、妻を「養う」ということもどうも違和感を感じます。
だって、この「教育する」「養う」という関係から、自立したパートナーシップって芽生えないと思いませんか??
とは言え、じつはぼくは妻を「教育」しようと思っていた時期がありました。
妻よりも家事が得意だったぼくは、生活する上で「妻が僕の家事のやり方」を「できるように」教えてあげないとって考えていたのです。
いま考えれば、なんてゴウマンで自分勝手な考えなんだろうと思ってしまいますが、ちょっと「妻」と「僕(夫)」を置き換えて考えてみてください。
「”夫”が”妻”の家事のやり方をできるように(妻が)教えてあげる」
これにもしも思い当たるところがあったら、一旦立ち止まってパートナーシップについて僕と一緒に考えてみましょう。
「夫教育」の弊害① めちゃくちゃ面倒くさいから、自分でやるハメになる
もしも夫を教育するとしたら、何を教育するでしょうか?
料理の手順? 掃除機のメンテナンス方法? 排水溝の掃除の仕方? 手取り足取り教えてはイラついてを繰り返すと、ものすごく面倒くさくなります。結果、いちいち教えるくらいなら「自分でやった方が早い!」ってことになってしまう。
教育するのって、本当に大変で面倒くさいのです。だから、挫折して結局「自分でやる」ってところに落ち着きがち。
そもそも教育とは、本人に学ぶ意欲があるからこそ実を結ぶもの。
その意欲がない人に向けた教育ほどコスパの悪いこともありません。
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