「夫教育」の弊害② 明確な上下関係が芽生えるから、自主性が失われる
先生と生徒。上司と部下。ときに夫婦はそんな風に例えられることもあります。そして夫はへりくだって「生徒・部下」という役割に甘んじ、演じようとする。
「奥様の仰せのとおりに」というわけです。
でも、それは言い換えれば「責任は担いませんよ」という猛烈アピールでもあるわけです。
「言われたことだけすればいい」「多少雑だったり残ったりしていても、やらないよりはマシだろう」そんな無責任な夫へと育ててしまっているかもしれません。
そもそも「言うとおりに動いてもらうようにする」「やり方や正解を手取り足取り教える」というのは教育とは呼べません。つまり、夫教育だと思ってやっていた指導はもしかしたら夫コントロールだったかもしれないのです。
思い通りにコントロールする関係から脱するとうまくいく
自分自身に裁量権がない中、言いなりに動かなくてはいけない環境に身を置くと、人はロボットのように主体的な思考がなくなってしまいます。
これって、会社でも学校でも同じ。徹底的に言われたことだけやっていろ、と言われる仕事にやりがいを見つけたり、創意工夫を考えるのは難しい。
ガチガチに縛られた勉強環境の中で、探究心の赴くままに知りたいことを深めていくのは難しい。
家庭でも同じです。
「このやり方が正しいんだから、同じようにやって」「なんで言われたとおりにやってくれないんだろう」と思い続けていると、よくて「言いなりロボット」、大抵は「ちょっと的はずれな壊れたロボット」のできあがりです。
自分自身に裁量権がない中、言いなりに動かなくてはいけない環境に身を置くと、人はロボットのように主体的な思考がなくなってしまいます。
だから「パートナーをコントロールしようとしてしまっているな」と気がついたら、一旦そこで立ち止まって落ち着きます。
「いま、命令口調になってた」「いま、いちいち全部教えてあげなくちゃいけないの?って思ってた」そんな瞬間に気がつくこと。
子どもに対しても同じなので、パートナーで想像しにくかったら子どもで想像してみてください。
子どもをコントロールしようとしてしまっていたら、一度立ち止まってみる。冷静になってみる。
僕は食器洗いの後、シンクが泡だらけでも妻がそのままにしているところを見かけたり。
排水溝掃除のときに、パイプ洗浄をしてくれなかったりしたときに、イライラとしてしまっていました。
「そんなことまで、言わなきゃいけないのか」なんて面倒くさく思ったりもしたのです。
でも、一旦立ち止まり「シンクまでやるようにしない?」「何回に一回かはパイプ洗浄をするようにしよう」と一緒にルールを考えてきました。
時間はかかりますが、結果的にそのときに決めたルールが家族の決め事となりました。
妻を教育するのではなく、パートナーとして一緒に家族のルールを考えたのです。
まだまだ、わが家も試行錯誤しながらではありますが、一方的に教育するよりはずっと対等なパートナーシップにつながっていると思っています。
ぜひ、コントロールしようとしてしまったら一度立ち止まってみてくださいね。
三木 智有
NPO法人tadaima!代表 日本唯一の家事シェア研究家 子育て家庭のためのモヨウ替えコンサルタント。初の著書『家事でモメない部屋づくり(ディスカヴァー・トゥエンティワン刊)』は好評発売中!
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