半年ぶりの父の墓参り
この夏は、たくさんお墓参りをしている。
娘の夏休みがスタートしてすぐ、私の実家に帰省した。そのタイミングで、年末に続き今回も父のお墓参りに行った。
半年前のお墓参りが10年ぶりだったことを考えると、なかなかの頻度だ。
今回は、娘と2人で。暑い暑い夏の日の夕方、駐車場からお墓まで歩くだけで汗だく。
見渡す限り、お花が供えてあるお墓が見当たらない。暑すぎるので、ご先祖さまにご挨拶するのも大変だ。
娘と2人、ダラダラと汗を流しながら、掃除をして、花を供え、お線香に火をつけた。
父の記憶はほぼない私だが、なぜかHOPEというたばこを吸っていたということだけは覚えている。
供える花を買いに行った店で、ふとたばこ売り場が目にはいり、HOPEを買った。
そして、1本のたばこに火をつけてお線香と共に置いた。
申し訳なさそうな顔をした父が、「ありがとう」と言って、うれしそうにたばこを吸っているような気がした。
いつもは、弟や夫の存在を意識して、照れた気持ちでささっと終えていたけど、今日はしっかり父に対して気持ちを向けてみようと思いながらお墓の前で時間を過ごせた気がする。
夫の母方のご先祖さまにもご挨拶
今年のお盆は、夫の母の実家の集まりにも参加した。
なかなか行く機会がないので、親戚の集まりの後、近所にあるお墓にもご挨拶させてもらった。
娘は、「このお墓に入っているのは誰?」と夫に質問をする。
「ここには、おばあちゃんのお父さんとお母さん、そして〇〇家のご先祖さまたちが眠っているんだよ」。
つい最近、私の父のお墓参りにも行った娘は、慣れた手つきでお墓の周りの草をむしり、お線香を供え、お墓の中にお米をまいていた。
私の実家には、お米をまくという風習はない。夫と結婚をし、義母の実家のお墓参りをしたときに、初めてお米をまくということを経験した。
ちなみに、お米をまくというのは「仏舎利の力を借りて死者の魂を浄化させる」という意味があるそう。
その土地や家によって、お墓参りの方法もいろいろ。
沖縄の友人に聞いたところ、沖縄では親戚一同がお墓に集まって、ピクニックのようにお弁当を広げてお墓参りをするという。
お墓でピクニック。ちょっと想像ができないけど、お墓の中で眠るご先祖さまたちもうれしい気持ちになりそうな気がする。
どんな参り方でも、「今、こうして元気に暮らせているのは、ご先祖さまたちあってのこと」だという感謝の気持ちを伝えることが大切なんだろうなと思う。
お墓に眠るご先祖さまたちへ
そして今日は、夫の実家の墓参りに行った。
そこには6年前に亡くなった義父が眠っている。義父が亡くなる前から定期的に訪れてはいたけど、6年前からは、「お義父さんに会いに行く」という目的で、「おとうさん、きたよ~!」「おじいちゃん、おおきくなったでしょ~!」と、まるで、その中には義父だけが眠っているような気持ちでここ数年お墓参りをしてきた。
ところが、ある時夫が、
「よくよく考えたら、あの墓の中には、親父だけじゃなくて、我が家のご先祖さまたちも眠っているんだよな。その人たちの存在をまるで無視したようなお墓参りをしていたなぁ。よくなかったなぁ」と言った。
言われてみたら、本当にその通り! ご先祖さまたちに対してとても失礼なことをしていたね! となり、それからは、ご先祖さまたちにもしっかりご挨拶をするようになった。
若い頃は、お墓参りに行くことを面倒な家族行事のように感じていた。でも、年齢を重ね、親という立場になった今、家族が健康で幸せに毎日を過ごせるのは、ご先祖さまたちのおかげだと感じる。
その方たちが絶やさずに受け継いでくれたおかげで私たちがいて、今がある。
そのことに感謝をして、定期的にご挨拶に行くというのはとても大切なことだ。
こういう大切なことに気づけて、実行できる年齢の重ね方ができてよかったなと思う。