”旬”のものを味わう楽しみ
永遠に続くかのように思えた暑さが和らぎ、ちゃんと秋が来た。
最近は、「春夏秋冬がなく、夏と冬の二季になっている」という人もいるけど、そんなことはない。以前と比べれば、9月になっても汗ばむような日は長く続いたけど、あの夏の暑さが嘘のように、ちゃんと秋を感じている。
夜、窓を開けると秋を感じる虫の音が聴こえるし、歩いていると、空気の中に”秋”の匂いがする。
秋といえば、やはり”食欲の秋”! なので、ここ数日は、秋の食材を使った料理を楽しんでいる。
かぼちゃのスープ、秋刀魚の酒蒸し、さつまいもをたっぷり入れた豚汁。年齢を重ねる中で得たものの素晴らしい要素のひとつに、”旬のものをおいしく楽しんで食べられるようになった”ということがある。
大人になったなぁ、私! って感じがしてよい。
私はここ数年、この季節になると「渋皮煮」を作る。数年前までは食べたこともなかったものだけど、今では、秋に作る大好きな1品だ。
渋皮煮を作るようになったのは、以前もコラムで紹介したことがあるご夫婦との出会い。
「前世で親子だったかもね!」と言い合っているご夫婦の奥さまが、出会った年の秋にお手製の渋皮煮をくれた。
初めて食べた手作りの渋皮煮は、驚くほどおいしくてびっくりした!
”渋皮煮の瞑想タイム”がお気に入り
「手作り? すごい! こんなおいしいものが作れるなんて!」と言ったら、「あなたにも作れるわよ」と、レシピをくれた。
そのレシピには、隠し味として最後にブランデーを数滴入れるように書いてあった。
我が家には、ブランデーを飲む人がいないので購入したこともない。すると、奥さんが、小瓶でブランデーを分けてくれた。
教えてもらったレシピをもとに、栗を購入して初めての渋皮煮作りに挑戦。
私は、熱湯にいれてやわらかくした栗を、渋皮を残しつつ剥く作業がとても気に入った。包丁のあごの部分を使って、丁寧に皮を剝く。この時間、思考が止まり、無の状態になれる。
私は、この時間を「渋皮煮の瞑想タイム」と呼んでいる。
だいたい1キロの栗を渋皮煮にするのには、4~5時間かかる。手間ひまがかかるけど、この手間ひまにかける時間と心の余裕を持つ自分がとても豊かに感じる。
年に1度か2度、おいしいものを作るために没頭する時間。人生の中にそういう時間を持てている自分が気に入っている。
前世の母から受け継いだ”母の味”
今年もさっそく、1キロの栗を仕入れて渋皮煮を作った。
金曜の夜、夕飯を終えてキッチンを片付けた後、渋皮煮作りをはじめる。
「秋だなぁ。秋がきたなぁ」と感じながら、「渋皮煮の瞑想タイム」を経て、重曹で煮てアクを抜く作業を繰り返し行う。
最後に、栗と同量のきび砂糖と水を入れて栗を煮る。「おいしくなぁれ。おいしくなぁれ」と心の中で祈りながら。
一晩冷やした渋皮煮を、熱湯消毒した瓶に詰める。そして、ここ数年、私の渋皮煮を楽しみにしてくれている人たちにお届けする。
おいしいものを共有する。食べてくれる人がいること。これもまた、豊かだなぁと思う。
同じマンションで仲良くしているおばさまにも届ける。
「食べ物って、作っている人の性格が出るわよね。あなたの優しさ、思いやり、繊細さ。この渋皮煮には、あなたらしさが詰まってる」と言われて、照れた。
心の友は、私の差し入れにより季節を感じると言う。
私が作って届けたもので、季節を感じてもらえるなんて幸せだ。
でも、私はなぜあれから毎年渋皮煮を作るんだろうと、ふと思った。前世では親子だった奥さまから伝授された唯一のレシピ。
私にとって、渋皮煮はある意味、”母の味”なのだ。それを受け継いで作り続ける。
そして、大切な人達に食べてもらう。40代後半になってできた季節の習慣。とても、気に入っている。