ここから私は何を学びたいんだろう
「人生で起こることには、すべて意味がある」。
よく聞く言葉だ。確かにそうだろうと思う反面、「いや、こんなことにどんな意味があるんだよ!」と思うようなことも人生には起こる。
でも、そんな風に思うことですら、やはり意味があって起こっているんだろうなと思えるようになった40代後半。
このコラム連載をはじめるとき、何をテーマにしようかなと考えた。
私は、年齢を重ねるほど人生が楽しくなってきたタイプ。
なので、年齢を重ねることに恐怖心を持つ人たちに、「人生は、これからどんどん楽しくなっていくんだよ」ということを伝えたいと思い、このコラムのテーマを「良い人生は後から」と決めた。
例えば、冒頭に書いた「いや、こんなことにどんな意味があるんだよ!」という経験。20代や30代の頃は、その経験から何かを得るよりも、起きたことへの不平不満を募らせることに時間とパワーを使っていた。
40代後半ともなると、「おぉ。なかなかしんどいのがきたねぇ。ここから私は何を学びたいんだろう」と考えるようになった。
もちろん、経験しなくていいならしたくないようなことだって起こる。けど最近は、「なるほど。私の魂は今、この経験がしたかったんだ」と思うようになった。
別に、魂が何をやりにきたかを真剣に考えようということを伝えたいわけではない。要は、「こう考えると、いろんなことが楽になるよ」ということ。そのくらい、年齢を重ねる毎にものごとを柔軟に捉えられるようになっていくのだ。
人生には、必要なときに必要なことが起こる
「死ぬまで仲良くしてようね!」と話していた友人と、今や連絡先も知らない仲になったなんてことは、人生が長くなればなるほど、「よくある話」のひとつになる。
10代だと、この世の終わりのように思える出来事も、40代を過ぎれば、「あー、あるある!」と思えるようになる。
生きているということは、時間がどんどん流れているということだ。常に進み続ける時間の中で、自分を取り巻く景色や人間関係が全く変化しないことのほうが不自然だし、そんなの怖い。
変化していくというのは、生きていることであり、成長しているということなのだ。
生きていく中で、その人にとって必要なタイミングで必要なことが起こる。それは、経験も人間関係も全てにおいて言えることだ。
「大好き」だと思える友達がいる自分の人生を愛したらいい。けど、その友達との縁が途絶えたとしても、自分の人生を愛することをやめてはいけない。
誰が悪いわけではなく、それぞれの人生にとって、歩むべきルートが違ってきたというだけ。
本当に縁のある人とは、一度離れてもまた今世のうちに会うだろうし、会わなかったとしても、人生の中で一時でも濃い時間を共に過ごしたなら、その時間にきっとその人との時間は味わい尽くしたということなのだ。
人生には、必要なときに必要なことが起こる。大事なのは、そこから何を得るかだ。
どんな瞬間も“あなたの物語”の一部
もし今、「人生が思い通りにならない」と感じている人がいたら、「これは、もう一段、自分を深く知るためのチャンスなのかもしれない」と考えてみてほしい。
人生は、私たちが思っているよりもずっと優しくて、必要なことを必要なときにちゃんと見せてくれる。
起きた出来事を良し悪しで決めず、「ここから私は何を学びたいんだろう」と、自分の内側に問いかけてみてほしい。
その小さな問いが、やがて道しるべとなって、次の景色へとあなたを導いてくれるはずだから。
気づけば、「あのときの出来事が、今の自分を支える土台になっていた」と、わかる日がくる。
悲しみも、戸惑いも、無駄になったものなど何ひとつもないことに気づくし、年齢を重ねてきた人はすでにわかっているはず。
どんな瞬間も、ちゃんと“あなたの物語”の一部として輝いている。
そう信じられるようになったとき、人生は、驚くほど優しい表情を見せてくれる。
そして、きっと思うだろう。「あぁ、やっぱり『良い人生は、後から』なんだな」と。