最悪の出来事は、未来の贈り物
生きていると、「きついなぁ」「苦しいなぁ」「しんどいなぁ」と思うようなことが起こる。そういう気持ちになった経験が1度もないという人はいないはず。
望んでいた仕事に落ちた日。楽しみにしていた予定が急にキャンセルになった日。大切な人との関係が突然終わってしまった日。
大小はさまざまではあるけれど、胸の奥に重く沈む感覚や、「どうして自分だけが……」というやり場のない思いを経験することがある。
でも、そういう出来事を乗り越えた後振り返ると、「最悪だぁ」と思えていたことがきっかけとなり、人生が大きく方向転換したなぁと思うことが多い。
もちろん、真っ只中には気がつくことができない。ただ苦しいだけで、意味なんて見いだすこともできないような状況をなんとかんとか乗り越える。
けど、時間の経過とともに、不思議なほど別の景色が見えてくるタイミングがある。
例えば、希望の仕事の面接に落ちたからこそ新しい仕事に出会えたり、予定がなくなったから新しい人とつながったり。
大切な人を失ったからこそ、まわりにいる人の優しさを深く感じられたり……。
そのときは理解できなかった出来事が、後から振り返ると大切な伏線だったことに気づく。
人生というのは、「後から」見えてくることに意味があるのかもしれない。
答えは、後から見えてくる
人はどうしても、今この瞬間を「良いこと」「悪いこと」と分けたくなる。そうラベルを貼ることで安心したいのだ。かつての私もそうだったのでよくわかる。
でも、本当のところ、その出来事が自分にどんな作用をもたらすのかは、時間をかけなければ見えてこない。
潜在意識は、私たちが目先だけで判断してしまう視点を超えて、ずっと大きな流れを知っている。だからこそ、痛みを伴うような出来事でさえ、次のステップに進むためのきっかけになるのかもしれない。すぐに答えを出そうとせずに、「これは未来のどこかで私を助けるピースになる」と信じてみる。
その感覚が心に灯るだけで、苦しい状況の中にもほんの少しの光が差し込んでくる。
良い人生は、後半戦にこそ輝く
このコラムの連載が決まったとき、連載タイトルを「良い人生は、後から」に決めた。これまで生きてきた中で、「良い人生は、後からやってくる」ということを経験してきたから。
そしてそれはこれからも続く。
もし、今そう思えなかったとしても、そう信じることで、目の前の失敗や別れに揺さぶられても、ただ絶望の中に沈み込むことはない。もちろん、生きている限り、泣く夜もあるし立ち止まる日もある。
でもその出来事すらも、未来の自分にとっては贈り物になるのだとしたら?
今の痛みや戸惑いも、物語を豊かにするために必要なひとコマだとしたら?
そう思えた瞬間、心は少し軽くなり、また歩き出す力となる。
私たちは点で生きているように見えて、実は線でつながった物語の途中にいるのだ。焦らなくてもいい。どんな出来事も、やがて自分の人生を深く、美しくしてくれる。
最近、人に「人生は、後半になればなるほど楽しくなるよ」と伝えることが増えた。そう言っている私も、これからの人生が楽しみでならない1人。今はまだそう思えなくても、
良い人生は、いつも後から静かにその姿を現すのだから。