許せないときがあってもいいよね?
「ごめんね」には「いいよ」って言わないとダメなのかな?
私は「ごめんね」には2種類あると思っています。
許されるための「ごめんね」と、争いを止めるための「ごめんね」です。
今回のお話のように大切なものを壊してしまった時などに使われるのは前者です。
いつまでも許せずにいると「こんなに謝っているのに……」と、許さない側が心が狭いかのように扱われることもありますが、人は「許して」と懇願されたからって何でも許せるとは限りません。
謝る側は謝っても許してもらえない覚悟が必要だし、謝られる側も許せないことは許さなくていい権利があると思っています。
ちなみに後者の“争いを止めるため”の「ごめんね」は、喧嘩してお互いに「相手が悪い!!」と主張し合っているときに、片方が(自分も悪かったかも)と気づいて謝罪する場合です。
前者が『相手の気持ちを変えようとする「ごめんね」』なら、後者は『自分の考えを改めるための「ごめんね」』ということですね。
こだわっていた自分の考えを変えることは、とても勇気がいることだと思います。
だからこそ私は、争いを止めるために自らの考えを改めようとする「ごめんね」を差し出されたときは、許すとか許さないとかではなく、自分も譲歩して「私こそごめんね」を返したいなと思っています。
『相手の気持ちを変えようとする「ごめんね」』を受け入れることを相手に強要してしまうことはないでしょうか? また、子ども同士の喧嘩で「相手がごめんねしたから仲直りしなさい」と無理矢理許すことを求めてしまうことはないでしょうか?
今回のお話が、考えるきっかけになっていてくれたら嬉しいです。