怖いのは“わからないから”なの?
わからないものを信じるのは怖いのかな?
皆さんは「なんだか怖いなぁ」という印象を持つのはどんなものに対してでしょうか。
他者がなにかを盲信しているのを外側から見るとき、その「信じているもの」が、自分の想像の外側にあると不気味に感じてしまうんだろうか……と考えたのですが、ふと思ったのです。
モラがお話の中で言う「小さい板」に対して誰も不信感を感じないのはなぜなのだろう、と。
小さな板ひとつで世界中の情報にアクセスができて、通話やあらゆるゲームや体験もできる。さらに、写真も撮れる。画面を指で撫でるだけで操作出来ることも、画面上のあらゆるところが指の動きを感知するそのメカニズムも「自分の想像の外側」にあるものなんですよね。
でもこれを怖いと感じることはありません。
しかし、恐らく江戸時代に突然「すまほ」を持つ現代人が登場し(その時代の電波や情報元の存在のことはとりあえず置いといて)わからないことを目の前でスイスイっと動かして調べたり、写真を撮ったりしはじめたら、恐らく江戸時代の人々はそれをひどく恐れるに違いありません。
この「怖い」という感覚について考えたとき、私は「自分だけでない多数の人もその存在を認識しているかどうか」が怖いか怖くないかの判断軸のように思えました。
ごく一部の人だけが認識しているものだと、怖い。
でも、絶対的多数の人がそれを認識している場合、怖くない。
私は発達障害者ですが、発達障害者を「怖い」と思っている人もいます。
それは、多分周囲に発達障害を良く知る人がいないからなのではないかと思うのです。
私の周囲にはいろんな発達障害者のモデルがいます。それぞれ違って面白い方々ばかりで、怖いと感じることはありません。
つまり、多くの人が知っているものになることで、自分にとって未知のものでも「怖くない」ものになれるのではないかと推察しました。
これは私一人の勝手な推察ではありますが…だからこそ私は発達障害当事者であることを明かしながら活動していくことで多くの人の認知を広めていきたいなと思うのです。
皆さんが「怖い」と感じるものはどんなものですか?
ただ「自分も周りもそれを知らない」という理由だけで勝手に怖いものだと決めつけてしまっているものはないでしょうか。怖いと思って避けていたものを知ってみると、案外おもしろいこともあるかもしれませんよ。