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卒園・卒業式に出たがらない子ども。「きちんとお別れするって本当に大事なこと?」【まんが】

カルチャー

2025.03.09

私たちの日常にある「あたりまえ」。「どうして?」と問われたとき、はっきりと理由を答えられるものはどれだけあるでしょうか。「あたりまえ」への疑問の答えは、きっとひとつではありません。 トイプードルのトイトイと、猫のモラ。2匹の視点から生まれた疑問に、あなたなりの答えを見つけてみませんか?

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連載:トイトイの問い

きちんとお別れするって本当に大事なこと?

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最後は会っておいたほうがいいものなの?

卒園シーズンということで実体験に基づく今回のお話を描きました。
ということで、我が家の娘たちのお話をさせて下さい。
最後は会っておいたほうがいいものなの?
長女は幼稚園が大好きでした。しかし卒園間近になると登園を嫌がり始め「卒園式は行かない」と言い出しました。でも私はお話の中のお母さんのように「最後なんだから会っておいたほうがいい」と、嫌がる長女を説得して卒園式に参加させたのです。
卒園式で「お別れは嫌だ」と大泣きし、帰りの車でもずっと泣きながら長女は言いました。

「卒園式に行かなければ楽しく遊んだ時間がおしまいだったのに、今日行ったせいで悲しい気持ちがおしまいになっちゃった。行きたくないって言ったのに、なんで行かせたの」と。
私はそれを聞いて、自分の想いを娘に押し付けてしまった事に気付かされたのです。

『最後だから会っておいたほうがいい』それは、人との関わりで最後の瞬間が明確なときほど出てくる想いです。別れの中で一番明確なものは死別ですが、例えば、2年前に楽しく会話した友人が偶然あと数日の命と知ったとき、本人に会いに行くことはお互いにとって本当にいい時間になるのでしょうか。
会いに行かなければ「楽しく会話した日」がお互いにとって記憶に残る最後の日になります。でも、もし会いに行けば死別を前提にした時間がお互い最後の記憶になります。その記憶を重ねた方がいいのか重ねない方がいいのかはお互いの関係性にもよると思いますが、私は本人が望まなかった別れの寂しい記憶を強制的に娘の心に重ねてしまいました。

小学校卒業ぐらいの年齢なら連絡先さえわかれば繋がっておくことは出来るでしょう。
しかし、就学前の年齢では直接会って話せなくなった時点で関係を継続しておくことは難しいように思います。人と人の別れを受け入れる大切さを学ばせる機会と考えるにも、まだまだ心が未熟な年齢の子どもに強要するにはつらいものだったかもしれません。ならば長女のいう通り、楽しい記憶で終わらせてあげる方が良かったかもしれない…と、私は深く反省しました。

その数年後。なんと次女も卒園間近に登園を嫌がりはじめました。
最後の1ヶ月は一切幼稚園に行かず、卒園式も行きませんでした。本当は行かせた方がいいのではないか…と日々迷いましたが、長女の言葉を思い出し、本人の意志を尊重することにしました。次女にとって幼稚園最後の記憶は、みんなと楽しく遊んだ記憶です。

卒園から数ヶ月経った、ある日。次女が「幼稚園の先生に伝えたい言葉がある」と言い出したので、学校帰りに私は幼稚園に連絡して次女を連れて行きました。そして次女は当時の担任の先生に会い、和やかに思い出話をしながら伝えたかったお別れの言葉を伝えたのです。それはとても優しい時間でした。お別れは自らが受け入れられると自覚した時にするのが良いのだと、私は娘たちから教えてもらいました。

記事を読んだ方のお子さんで、卒園式参加を拒んでいるお子さんはいませんか。
そんなお子さんに対してどうするのがいいのか迷っている親御さんはいませんか。
もしいらっしゃるなら、我が家のエピソードが卒園について考えるひとつのきっかけになると幸いです。
 

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著者

水谷アス

水谷アス

発達障害のひとつ、自閉症スペクトラム障害(ASD)当事者でASD児育児中の母。 理屈っぽい変人と言われながら生きてきました。 そんな変わり者の思考をありのままに伝えることが未来の多様性理解のひとつに繋がることを願って、種まきのようにマンガ、文章、音声、様々な媒体で日々発信活動をしています。 読んだ人の心に新しい気づきが芽生えてくれたら嬉しいです。

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