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親しくない方のお葬式、あなたは行きますか?【トイトイの問い 第63話】

カルチャー

2024.11.02

私たちの日常にある「あたりまえ」。「どうして?」と問われたとき、はっきりと理由を答えられるものはどれだけあるでしょうか。「あたりまえ」への疑問の答えは、きっとひとつではありません。 トイプードルのトイトイと、猫のモラ。2匹の視点から生まれた疑問に、あなたなりの答えを見つけてみませんか?

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連載:トイトイの問い

何のためにお葬式に行くの?

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なんでその人をほとんど知らないマコトもお葬式に行かないといけないの?

お葬式の参列には『故人を見送る』と『遺族への気持ちを伝える』というふたつの意味があると考えています。
その場合、お葬式はとても大切な場となるでしょう。

でも、そのどちらをするでもない立場で参列する場合も多々あるのが現実。
何年も会っていない親戚の訃報が来ると「何で自分に……?」と不思議になります。故人を見送りたいと思えるほどの思い入れがあるでもなく、遺族の方と日頃から親しくしていないとしても、訃報が知らされるケースってありますよね。

お葬式というのは基本的に突然連絡が来るものです。服や香典なども大慌てで用意しないといけなかったり、遠い土地であれば宿泊場所などの確保も必要になります。仕事をしていれば休むことも必要になるし、子どもがいれば子どもをどうするのかという問題も出てきます。それでも世間体を意識して、無理して参列していたこともありました。

しかし、最近のわたしはそういう声かけがあっても、自分と故人、遺族の方々の関係性・交通の便や今の自分の生活のゆとり等よく考えて参列するかを決めるようにしています。
参列しなかったことで悪く思われる可能性を指摘されたこともありますが、悪く言ってくる相手と会う機会すらほとんど無いのならそんなこと気にする必要もないのではないかと思うのです。

大切な友人が亡くなったときの葬儀で「供養というのは本来、その人を思い出すだけで十分なのです。供養の『供』の文字があらわす通り、あなたという"人"の記憶と"共"にあることが何より大切なんですよ」とお坊さんが仰っていました。
なので私は、大切な人のことを時折思い出し『供養』するようにしています。

自分の時間は自分のものであり、有限です。
その貴重な時間を「誰のために、何のために使うか」それを決めるのは自分なんですよね。
誰かに悪く言われたくない、みんなが行ってるから、何となく付き合いで……という理由は、掘り下げると「保身」であり故人や遺族を想っての参列ではありません。

葬儀に参列する人の何割ぐらいが「本当に故人や遺族の方を想って」参列しているのでしょうか。
むやみやたらに縁があるひとを集めるのではなく、本当に最後のお別れをしたい人だけが集まる方がいいのではないかな…自分がもし葬儀をあげられる側になったときには、そういう葬儀がいいな…などと、最近のわたしは考えたりするのです。
 

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著者

水谷アス

水谷アス

発達障害のひとつ、自閉症スペクトラム障害(ASD)当事者でASD児育児中の母。 理屈っぽい変人と言われながら生きてきました。 そんな変わり者の思考をありのままに伝えることが未来の多様性理解のひとつに繋がることを願って、種まきのようにマンガ、文章、音声、様々な媒体で日々発信活動をしています。 読んだ人の心に新しい気づきが芽生えてくれたら嬉しいです。

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