学校で勉強するだけじゃ足りないの?
なんで勉強は家でも頑張らなきゃいけないの?
義務教育の“義務”は、誰に対するものなのか、皆さんはご存知でしょうか。
この義務は「大人が子どもたちに適切な教育を受けられる環境をつくる義務」であり、子どもが持っているのは「自分にとって適切な教育を受ける権利」なんですよね。
でも、ここ最近の学校教育を見ていると「子どもには勉強する義務がある」と義務の対象を間違えて解釈している大人が多いのかな? と思ってしまいます。
子どもは学校で勉強を頑張ったあと、さらに家でも頑張ることが当たり前とされています。通っている学校からは家庭学習の習慣をつけるために【1日何分は家で勉強をさせてください】というようなプリントが渡されます。さらに塾や習い事にも行かされて、1日の中に空いている時間が全然ない子もいますよね。
長期休みも「毎日なにかに取り組む習慣を」と絵日記などが出され、他にもテキストやら工作やら盛りだくさんです。でも、大人はお盆休みやお正月休みに入る前に会社から山盛りの仕事を渡されるなんて事はありません。
子どもに家で勉強させるのは「家庭での学習習慣を身につけさせるため」らしいのですが、宿題をして育ってきたはずの現代社会人が家庭で学びに時間をほぼ確保していないというデータも出ています。
つまり、小さい頃から宿題をやること=学習習慣の定着にはなり得ないのです。
「宿題は 百害あって 一利なし」
児童精神科医の本田秀夫さんのことばです。
私もそう思うので、宿題は本人たちがやりたいと言わない限りは要らないと学校に伝えています。大抵、やりたいとは言わないので子どもたちは家で勉強らしい勉強をしません。
でも、ゲームや動画から思わぬ知識を身に着けていて驚くことがあります。能動的に取り組むものからは学びもあるんですよね。
私は、日常の中で「オン」と「オフ」を切り替える感覚を身に着けておくことも、知識を詰め込むこと以上にとても大事なことだと思っています。
帰ったあとも勉強をしなければいけない、休みの日も勉強をしなければいけない……が当たり前の感覚で大人になってしまったら上手に休めない大人になってしまうかもしれません。それは俗に言う「社畜」であり、そうなったとき一番苦しむのは本人です。
学ぶことは、とても大切です。
しかし、頑張らなくていい時間や環境を確保して心からホッとする時間を過ごしてもらうこともまた、大人として大切な「教育」のひとつなのではないでしょうか?