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痛みを比べる必要ってある?【トイトイの問い 第86話】

カルチャー

2025.03.22

私たちの日常にある「あたりまえ」。「どうして?」と問われたとき、はっきりと理由を答えられるものはどれだけあるでしょうか。「あたりまえ」への疑問の答えは、きっとひとつではありません。 トイプードルのトイトイと、猫のモラ。2匹の視点から生まれた疑問に、あなたなりの答えを見つけてみませんか?

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連載:トイトイの問い

痛みを比べる必要ってある?

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あっちの方がひどいとか比べる必要ある?

自分がしんどい状況に置かれたとき(でも、あの人はもっと過酷な環境にいるんだし、自分が辛いと思うことは甘えかもしれない…)と思ってしまうことはありませんか。

私の娘ふたりは私と同じASD診断がついています。しかし同じASDでも千差万別。言葉が出ない子もいるし、誰かをすぐ攻撃してしまう子もいます。パッと見で「何か他の子と違う」ことがわかる子もいれば、「何が障害なの?」と思える子もいます。

長女は小さい頃、会話も達者で物事の理解も出来たので「何が障害なの?」と言われるタイプの子でした。ただ、娘には傍目から見てわからないような、不眠・偏食・強いこだわり等…大変なことはたくさんあったのです。それでも「障害があるようには見えないよ」と言われる度に、支援を受けることに対する後ろめたさがありました。療育施設では見るからに大変そうなお子さんがたくさん目についたからです。

会話が出来て意思疎通が出来るなら、意思疎通が出来ない子と比べれば楽なのではないか。本当に白いごはんしか食べられない子と比べたら、同じ偏食でも何種類か食べられるだけ楽なのではないか。癇癪を起こしたとき10分大声で泣き叫ぶとしても、30分ものを壊して暴れる子と比べたら楽なのではないか…。
そう考える自分の裏側で「それでも私はこの子を育てることに大変さを感じているし、本人も生きることに困難さを感じている」…そう言い聞かせて療育施設に通っていました。

現在の長女は幼少期と比べると劇的に生きやすそうにしており、私自身も育児の困難さを感じていません。結果的に、幼少期に適切な支援を受けて育った事が現在に繋がったと感じています。

私が比べた相手は、私より育児が大変だったかもしれません。
長女より相手のお子さんの方が、生きる事が大変だったかもしれません。
しかし私自身と長女自身が『辛さを感じていたこと』は紛れもない事実でした。

心も身体も、痛みを感じたとき痛いと言ってはいけないということはないのです。
痛みに寄り添ってもらうこと、助けの手を差し伸べてもらうことは後ろめたいことではありません。自分の痛みが無くなったときに助ける側に回ればいいだけのこと。今、私が発信という形で色んな経験を発信していることもそのひとつです。

だから誰かと比べないで、痛いときは痛いと言い、助けてほしいときは助けてほしい、と、身近な人に伝えて、遠慮なく助けてもらいましょう。
あの人と比べたら大した傷じゃない…とひとりで抱え込んでしまうと、身体同様、心も傷口が炎症を起こしてなかなか治らなくなってしまいますよ。

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著者

水谷アス

水谷アス

発達障害のひとつ、自閉症スペクトラム障害(ASD)当事者でASD児育児中の母。 理屈っぽい変人と言われながら生きてきました。 そんな変わり者の思考をありのままに伝えることが未来の多様性理解のひとつに繋がることを願って、種まきのようにマンガ、文章、音声、様々な媒体で日々発信活動をしています。 読んだ人の心に新しい気づきが芽生えてくれたら嬉しいです。

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