すべてを平等にするのは難しいよね?
「それって差別じゃない!?」
近年、多様性の理解という言葉をよく聞くようになりました。
それによって少数派への理解が深まってきているように思います。
私自身は左利きです。左利きは右利きと比べると少数派である故に、若い頃は右利き中心の社会で苦労することがよくありました。
年々理解が広まり、左利きの人でも使いやすい道具や建物の造りが増えてきていることにありがたさを感じます。
しかし、こういった少数派としての個性や不便さなどについて、すべてのひとが困らないようにすることは難しいです。
ある程度すべての人が不便さを感じない社会が良いのだろうとは思います。でも、すべての人を平等にしようとすると生まれる不便さもあるのです。
『右手でも左手でも使える道具』って実は『右専用、左専用よりちょっと使いづらい』場合も多々なんです。明確にその人に合わせてあるものの方が、やっぱり使いやすいんですね。
性的マイノリティの方のためにトイレを男女別にせず全てのトイレを多目的トイレのように共用にしよう、という主張を見たことがあります。確かに心と身体の性が食い違っている方にとっては男女別の空間は居づらいのかもしれない。
でも、食い違っていない方にとっては混ざっている事で困ることもあります。
たとえ家族でも、まだ犬の言葉で使える道具の開発は進んでいません。
それを「家族なのに使えないなんて差別だ!」と言われても、やっぱり現実的に難しいことはあります。
動物の言葉を理解する機械が出来たらいいなぁと思うことはありますが、わからないからこそ出来るコミュニケーションもあり、言葉が通じあわないからこそ救われる存在になることもありますよね。
全てを平等にしようとすると世界はむしろいびつになってしまいます。
他者に理解を広めることばかりでなく、自分にとって不平等と感じる部分を各々受け入れていくことも多様性の理解という意味では大切なのかもしれません。
▼『トイトイの問い』今後の話を見逃さないようにSNSをフォローしてね!
X(旧Twitter):@toitoinotoi