無意識に期待しちゃってない?
ヒナタはなんでガッカリしてるんだろ?
「あなたには期待してるよ」ということば。それはいかにもポジティブな声掛けのように思えます。しかし期待というものは、その人自身の心の中で作り上げた理想に相手が当てはまることでしかありません。
相手が期待に応えられなかったときに期待していた側は落胆しますが、期待された側にとっては関係ないこと。なのに、この期待というのは応えられなかった場合受け手に重圧を与えてしまうのです。
私は時折「そういうことを言う人だと思わなかった、ガッカリした」と言われることがあります。直接その類の言葉を言われたことが無かったとしても、芸能人の不祥事なんかがあると「ガッカリした」という言葉を発している人、見かけますよね。
でも、それは「あの人は私の理想通り行動しなかった」と言っているだけなんです。よく考えたら勝手な話だと思いませんか。
なので、私もそういった言葉を言われたとき、正直困ります。別に私はアナタのために生きてるわけじゃないしなぁ…と。
この期待というもの、自分の中で無意識に持っていることが多いのです。
私の母は毎年お正月に豪華な食事を作っていたのですが、高齢の母には大変そうなので「もうそんなに頑張る必要ないんじゃないか」と例年言っていたのですが…今年、ついに母が思い切ってほとんどの料理を作らなかったのです。
お正月に実家に帰ってから母の料理が少ないことを知った私は、一瞬、ガッカリしてしまいました。そこで、母の料理への期待を無意識にしていたことに気付いたのです。母が毎年料理を頑張っていたのは、子どもの期待を裏切ることが怖かったのかもしれないと改めて思いました。
期待していないようなことを言いながら、実は期待していたことに自分自身とても驚きました。年末年始、母がゆったりとした時間を過ごせたことが本当に嬉しかったからこそ、いつの間にか誰に対しても無意識の期待を向けてしまっていないか、自分に問いかけることも大切にしないといけないなと思っています。
期待はする側の勝手な重圧にも関わらず、される側にとっては裏切ってしまったときに後ろめたさを感じるもの。「君には期待してない」という言葉はあまりいい印象がありませんが、実は期待されていないことは、とても身軽なことでもあるのです。
ただ、誰かに期待されていることは応援されていることにも繋がります。期待されているという想いが行動の原動力になることもあるので、誰からも期待されないことが理想とも言えません。ありすぎてもダメ、無さすぎてもダメ。何事もバランスが大切ですね。
とはいえ『相手が自分の都合よくいてほしい』という類の勝手な期待なら、裏切ることに後ろめたさなんて感じることなく好きに生きていいんじゃないかな、と私は思っています。