イヤな人ばかりが成功しているように感じてしまう
我が家は、娘を学校に送り出した後、夫婦で向い合って仕事をはじめる。
締切が迫っている時期やタスクが多いときは、各々に無言で仕事をはじめ、パソコンのキーを打つ音が部屋の中に鳴り響く。
ただ、お互い仕事になんとなく余裕があるときは、娘のことや最近思っていることなどを共有する時間になる。
先日、私はその時間に長年疑問に思っていることを夫に聞いてみることにした。
「どうして世の中って、イヤな人だなぁと思う人ばかりが成功していたり幸せになったりするんだろうね。これはどういう法則なの?」
ずいぶん長く私を悩ませているトピックだ。
夫からの言葉に衝撃を受けた
夫は私のその問いかけにこう答えた。
「成功や幸せの定義にもよるけどさ……。富や名誉が成功や幸せだと考えるのであれば、その2つはもしかしたら清らかなことだけをしていて得られるものではないかもしれない。でも、釈迦は、「平穏に暮らしてこそ幸せ」ということを説いてるよ。富や名誉を得ているイヤな人は、きっと平穏な暮らしはしていないんじゃないかな。幸せそうに見えて実は幸せではないという人もいるかもしれないよ」
私は、夫のこういうところが大好きだ。
出会ってから23年。いつも私の隣で、私の中の「なぜ?」をわかりやすく解決してくれる。
ただ、この回答は普段の会話とは違った。雷を打たれたような衝撃を受けたと言っても過言ではないくらい、私の中にものすごく響いた。
45歳にして釈迦に目覚める
すぐに、「釈迦」「幸せ」と検索し、ヒットしたサイトを片っ端から読んでいく。
恥ずかしながら、私はこれまで45年の人生の中で釈迦に興味を持ったことはない。お寺の幼稚園に娘を通わせて、4月8日には「花まつり」、12月15日には「涅槃会」の式典を3年間見聞きしていたのに、そのことについてもっと知りたいという気持ちが沸くことはなかった。
それなのに、検索して出てくるサイトに書かれていることが片っ端から私の涙腺を刺激する。
今の私に必要な言葉がたくさん溢れていて、ものすごい勢いで吸収できてしまう。
「本を読みたい!」
そう思い、釈迦(ブッダ)に関する書籍や、検索していく中で知った「歎異抄」の本を購入した。
必要なタイミングで届く言葉が人生を豊かに
「ブッダの言葉」を読むと、40歳を過ぎたころから私が「こう生きよう」「こう生きたい」と感じていることにつながるような教えがいくつもあった。
このタイミングでブッダの言葉を記した本を読むことになったのは、改めて今度の生き方をしっかり確立していきなさいよと言われている気がした。
そして、同じタイミングで購入した「歎異抄」に記された言葉が私の中に深く刺さった。
”善人なおもって往生を遂ぐ、いわんや悪人をや”
これは、仏教の世界で最も知られている言葉なんだそう。この言葉を45歳にして初めて知る私。
人は、必要なときに必要な言葉と出会う。きっと私にとって、今がこの言葉と出会うべきタイミングなのだ。
「善人ですら往生できるのだから、悪人が往生をとげられないことはない」という意味を持つこの言葉。最初は理解できず、「どうして?なんで?」と感じながら、「歎異抄」を読み進めた。
その中で、だんだんこの言葉の意味を理解できるようになる。今の私の解釈としての理解だけど……。
私が常に謎に感じていた「イヤな人ばかりが……」という考えについても、この言葉を理解していく中でなんとなく答えが出たような気がする。
今はまだインプットの途中。これからさらに理解を深めていく過程にいるので、はっきり答えがでたときにまたお伝えできれば。
新しい言葉と出会い、その意味を知り、自分の中で解釈していくという過程は、自分の生き方をより豊かにするきっかけになると思っている。
今回は、夫との会話の中にそのメッセージが隠れていた。
この言葉をこのコラムで初めて知り、何かしらのメッセージを受け取ったと感じる方は、もしかすると、人生がより豊かになっていくタイミングなのかもしれない。