2024年もよろしくお願いします。
2024年の元旦は、”20数年に一度の大開運日!”と聞いていた。
どんな1年のスタートになるんだろう。希望に満ちた気持ちで迎えた新年だったのに、2024年元旦は波乱の幕開けとなった。
三が日で、1年分くらいのニュースを見聞きした気分だけど、2024年ははじまったばかり。
年のはじめにこれだけのことが起こったなら、後半は穏やかに過ごせるはず! と願ってしまう。
地震前夜に見た赤い空
コロナ禍を経て、2024年を迎える年末年始を5年ぶりに実家の富山で迎えた我が家。
実家が自営業をしているため、家族総出で手伝いをして過ぎる大みそか。久しぶりに家業の手伝いをしながら、「この感覚で年末を過ごすのも久しぶりだなぁ」と感じながら、2023年最後の日を終えた。
大開運日、しかも、年越し後の数時間はさらに開運効果が高いと聞き、年越し後に初詣へ。
実家の氏神さまは、深夜1時を過ぎて貸し切り状態。我が家だけが歩く境内。3人でお賽銭を入れたら、本殿の中で宮司さまが太鼓を叩いてくださった。
「あぁ、これは年明けから縁起がいいね」なんて話しながら、家族3人でおみくじを引いて神社を後にした。
自宅に向かって車を走らせていると、深夜1時だというのに空が真っ赤に染まっていることに気づく。
「あれは何? 火事?」 家族とそんな話をしながら、車を停めて空の写真を撮影した。この赤い空の原因はいまだにわかっていなくて、これが翌日の地震に関係しているのかもわからない。
ただ、地震が起こる12時間ほど前、富山から見た石川方面の空が赤く染まっていたのは事実。
3.11の記憶がフラッシュバックした瞬間
娘が行きたがっている場所へ出かけた後、お茶でも飲もうかとカフェに入ったのが16時。
メニューを見ていると、東京の友人数名から、「地震、大丈夫」というLINEが届く。
たしかに、ぐらっと揺れた気がしたけど、そんなに心配されるような揺れではなく、「なんでみんな揺れたの知ってるんだろう?」と思いながら、「揺れたってほどでもないよ~」と返事をしていたら、再びグラグラ。
あら? と思っていたら、そこからものすごい大きな揺れに。
店員さんが、「机の下に頭を隠して」と言いながら、店内を走り、子どもたちに声をかけながら素早く対応している姿に、「従業員の教育がしっかりできているお店だな」なんて考えてしまうほど、頭が揺れの大きさについていかなかった。
ただ、考えるより先に、「3.11より大きいんじゃない?」と夫に聞いていて、頭の中には13年前のあの日の記憶がフラッシュバックした。
富山は地震がない県として知られている。地震大国と言われる日本の中で、地震が少ない県1位となっている。
そんな富山に震度5強の地震が起きた。
地元のテレビ局アナウンサーが、「私たちが初めて経験する震度です」と何度も言っていた。
インプットしないことも大切
地震後、何時間も新幹線の中で過ごした方たちがいるというニュースを見ながら、予定していた2日に東京に戻るのは難しいのではないかと覚悟したけど、驚くことに地震発生から24時間後に北陸新幹線は全線復旧で通常運行になった。
予約していた新幹線に乗れることになり、宅急便を出しに行った。
「配達に2~3日いただくかもしれません」と言われ、「もちろんです。急ぎませんので」と伝えて預けたのに、翌日の午前中には荷物が東京の自宅に届いた。
年末年始の帰省で、普段より多くの人たちが移動をする中、新幹線の復旧のために、私たちが見えないところで寝る時間を削りながら対応された方がいる。
流通が大きく混乱する中、普段通りに荷物を届けるために働いてくださっている方々がいる。
私たちが当たり前に過ごしている日常には、その当たり前を支えてくれている人たちが想像以上にたくさんいるということに改めて感謝する機会になった。
同時に、テレビ、ラジオ、SNSを通じてどんどん入ってくる情報に脳が追い付いていないことにも気づく。
起きていることを把握することは大事だけど、インプットを一旦止めるという選択も大事なのではないかということを感じる日々。
誰かが苦しんでいるから自分もそうでなくてはならないとか、自分ばかりが楽しんだり、日常を過ごすことに後ろめたさを感じたりしがちだけど、今できることは、それぞれが今できる限り普通に過ごすこと。
被災された方々の無事を祈り、1日も早い復興を祈りながら、それでも自分自身の人生をしっかり生きること。
2024年がスタートして、まだ一週間。
とても一週間の間に起こったとは思えないことばかりが起きているけど、悪いことばかりが続くわけはないと信じて、スタートしたばかりの1年を悲観するのではなく、希望を持ってこの1年を過ごしていきましょう。