47歳で気づいた、“自分を削る生き方”の限界
明日、私は48歳になる。昨年は、コラム更新日が誕生日だった。47歳になったときに書いたコラムを読み返してみたら、年齢を重ねていくことに対してのポジティブな気持ちを綴っていた。それは、1年経った今も全く変わっていない想いだ。
ただ、47歳という歳は、私にとってこれまでの人生の中で1番、自分の中の”変わらない部分”と、”変化していく部分”をたくさん感じた1年だった。
大きく変化したのは、「自分のために生きる」という言葉を、本当の意味で理解したこと。そして、これまで他者のために使ってきたパワーや時間を、自分のために使うようになったことだ。
これまでの私は、誰かの役に立つことで自分の存在意義を見出してきた。けど、誰かのために自分を削って生きた先に、私が本当に求めているものがないということがわかったから、そういう考え方や生き方と決別した。
そうしたら、けっこういろんな人が私のまわりからいなくなった。
以前の私だったら、「きらわれたんだ」とか、「私の何が悪かったんだろう」と感じるような出来事がたて続けに起きたけど、今の私は、そのことに対して心が乱れることがなくなった。
ネガティブな出来事が起きたときも、「相手を変えることはできない」と、47歳にしてようやく理解できるようになった。
自分以外をコントロールすることはできない。
例え、私をきらいだと思う人がいたとして、それは、その人の思いであって、私にはどうすることもできない。
これまでの私は、どうすることもできないことに対して、ずいぶんと時間とパワーをかけて生きてきたんだなぁという気づきがあった1年でもあった。
素敵に年齢を重ねる人たちに共通していること
午年の年女でもある私は、これから始まる新しい1年が楽しみで仕方ない。そして、私のまわりには、不思議と年齢を重ねることが楽しみ! という人が多い。そういう話で盛り上がると、「類は友を呼ぶ」とはこういうことだなと感じる。
もちろん、「年齢を重ねるのが怖い」と感じる人がいることもわかるし、それを否定するつもりはない。
ただ私は、年齢を重ねるほど、生きることが楽になっている。若い頃は、「ちゃんとしなきゃ」「期待に応えなきゃ」「嫌われちゃいけない」と、いつも何かに縛られていた。
でも、年齢を重ねるほどに、「私は私でいい」と思える瞬間が増えたから。
もちろん、悩みがなくなったわけじゃない。落ち込む日だってある。それでも、自分の人生を自分で引き受けて生きようと思っているからなのか、以前よりずっと心が軽いし、だいたいの悩みは寝たら忘れる。
そして、数年前から、私は50代になることも楽しみで仕方がない。
私のまわりには、「50代最高!」と言っている素敵な女性たちがたくさんいる。いろいろな経験をして、苦しい時期を乗り越えて、それでも人生を楽しむことをやめなかった人たちだ。
20代、30代で「もう立ち直れないかもしれない」と思うような経験をした人ほど、40代以降をのびのびと生きているように感じる。
きっと、自分の弱さも痛みも知っているから、人にも自分にも優しくなれるのだと思う。
不安の奥にある、“本当の気持ち”に気づくこと
私は普段から、「自分の人生に責任を持つことが大切」という話をよくする。
それは、「全部自分のせいにしましょう」という意味ではない。
誰かのせいにして生きるより、「私はこれからどうしたい?」と、自分に問いかけながら生きるほうが、人生は豊かになるということだ。
素敵に年齢を重ねていく人たちは、みんなそれができている。
自分の人生をつくっているのは、自分。
そう理解している人は、やっぱり強いのだと思う。
人は、恐怖や不安を感じると、自分を守ろうとする。それは、とても自然なことだと思う。
でも、その「守ろうとする気持ち」が強くなりすぎると、本当はどうしたいのか、自分でもわからなくなってしまうことがある。気づかないうちに、自分の気持ちをごまかしながら生きてしまうこともあるのだ。
だからもし、年齢を重ねることに不安や怖さを感じているなら、その感情の奥にあるものを、一度見つめてみてほしい。
「私は、本当はどう生きたいんだろう」
そうやって自分に問いかけていくことで、年齢を重ねることへの見え方は、少しずつ変わっていく気がする。
私自身、47歳の1年を通して、それを実感した。
だから今、48歳になることが、とても楽しみなのだ。



