私って、こんな性格だったっけ?
最近、イライラすることが増えた。
「私って、こんなにイライラする性格だったっけ?」と、自分でも驚くほど。
あまりにイライラするので、どんなときにイライラしているのかを考えてみた。
例えばそれは、誰かに軽く扱われたと感じたとき。
約束を守ってもらえなかったとき。
ルールを守らない人を見たとき。
以前の私は、これらのことに、こんなに反応をしていなかったはず。
性格的に、「まあ、仕方ないか」。そうやって流すことができていたことばかりだった。
でも最近は違う。
「まぁ、仕方ないか」ではなく、「それは違うよね」と感じるのだ。
それに気づいたとき、「私、心が狭くなったのかな」と思った。年齢を重ねて頑固になったのかな、とも。
でも、よくよく自分の気持ちを見つめてみたら、そうではなかった。
私は、怒っているのではなく、悲しんでいたのだ。
実は、4月によく通っていたショップがパートを募集していた。店員の仕事経験はないけれど、近所だし、興味のある商品を取り扱っていることもあり、応募してみた。
この年齢で、初めてのことに挑戦したい気持ちもあったから。
面談で、「来週か再来週にはご連絡します」と言われたので、連絡を待っていた。でも、1か月以上経っても連絡はなかった。
採用でも不採用でもよかった。ただ、一言ほしかった。
私がこのことで腹が立った理由は、連絡が来なかったことそのものではなく、「待たせてもいい人」「後回しにしてもいい人」。そんな扱いを受けたように感じたことだった。
同じようなことは、日常にもある。
順番待ちに割り込む人。
みんなが守っているルールを平気で破る人。
約束の時間を何度も守らない人。
「ありがとう」が言えない人。
以前は「そういう人もいるよね」で終わっていた。でも最近はモヤモヤする。
「なぜなんだろう」
そう考えたとき、ひとつの答えが見えた。
「敬意がない」に反応していた
私はルールを守らないことに怒っているのではなく、その奥にある「敬意のなさ」に反応しているのだ。
順番を守るのは、ルールだからではない。先に並んでいる人を尊重しているからだ。
約束を守るのは、決まりだからではない。相手の時間を大切にしているからだ。
連絡をするのは、マナーだからではない。相手を一人の人として尊重しているからだ。
私がイライラしていたのは、ルール違反ではなく、軽く扱われることだった。
そして、ここからが一番大きな気づきだった。
もしかしたら私は、人から軽く扱われること以上に、自分自身を軽く扱ってきたのかもしれない。
本当は嫌なのに我慢する。
本当は傷ついているのに平気なふりをする。
本当は悲しいのに「仕方ない」で終わらせる。
私は、長い間、自分自身をそう扱ってきた。
だから今、軽く扱われたと感じる出来事に強く反応するのだろう。
それは、心が狭くなったからではなく、自分への敬意が育ってきたからだ。
「私は大切に扱われたい」
私の時間も気持ちも存在も、大切にしてほしい。そう思うことは、わがままではない。
そしてきっと、それは誰もが持っている願いだと思う。
自分自身からのメッセージ
怒りは悪者にされがちだ。でも、怒りは「本当はこう扱われたかった」という心の声でもある。
だから私は最近、自分の怒りを否定するのをやめて、怒りの奥にいる、本当の自分の声に意識を向ける。
もし、これを読んでいる人で、最近、妙にイライラすることが増えたという人がいたら、その怒りを否定する前に、少しだけ自分自身に聞いてみてほしい。
「私は何を大切にしたかったんだろう」
「私はどんな扱いを望んでいたんだろう」
怒りの奥には、実は、気づいていなかった“やさしい本音”が隠れている。
そしてその本音は、「もっと自分を大切にしてほしい」という、自分自身からのメッセージなのかもしれない。



