「嫌われる勇気」の意味が、以前はわからなかった
『嫌われる勇気』という本がある。
初めてそのタイトルを見たとき、私は「嫌われる勇気!? 人から嫌われて生きていくなんて無理よ……」と思った。(タイトルを見ただけの感想)。
できれば人から嫌われたくない。
嫌なことを言って嫌われるくらいなら、自分が我慢したほうがいい。
誰かに頼まれれば「いいよ」と言うし、相手が喜ぶなら、多少無理をしてでも応えたい。
そんなふうにして、若い頃の私はずっと「いい人」でいようと生きてきた気がする。
もちろん、それが悪いことだったとは思ってない。人に優しくすることも、相手を思いやることも、大切なことだから。
でも、40代後半になってから、その考えがガラリと変わった。最近は、以前ならそれほど気にならなかったことが、妙にしんどくなってきた。
行きたくないところに「行くよ」と言ったり、本当は引き受けたくないことを「大丈夫」と言ったり……。相手に合わせて笑ったり、言いたいことを飲み込んだりすることにも、以前より疲れるようになった。
「私、わがままになったのかな」
そんなふうに思ったこともある。でも、最近はそうではないとわかってきた。
わがままになったのではなく、もう、自分の気持ちを無視することができなくなったのだ。
「私はどうしたい?」を選んでもいい
40代になると、これまで当たり前だと思っていたことに「本当にこれでいいのかな」と感じる瞬間が増えてくる。
仕事でも、人間関係でも、家族との関係でも、「今までこうしてきたから」という理由だけでは続けられなくなることがある。
若い頃は、周りに合わせることが「大人になること」だと思っていた。多少嫌なことがあっても我慢する。頼まれたら応える。波風を立てない。誰かをがっかりさせない。
そうやって頑張ってきたからこそ、今の自分がある。だからこそ、これからは、多少やり方を変えても大丈夫! と思える。
「嫌われたくない」から選ぶのではなく、「私はどうしたい?」から選んでみる。
本当に疲れているなら、誘いを断ってもいい。
本当は気が進まないなら、行かなくてもいい。
本当は違うと思っているなら、「私はこう思う」と言ってみてもいい。
もちろん、それで嫌われることがあるかもしれない。もしかしたら、誰かをがっかりさせることもあるかもしれない。
でも、自分の気持ちに耳を傾けて、その気持ちに応えるための行動がとれるなら、それでいい。
私はこれまで、「嫌われること」と「悪い人になること」は同じだと、勘違いしていただけなのだ。
嫌われないために、自分を消さなくていい
相手の期待に応えられないことと、相手を大切にしないことも、同じではない。
私たちは、「いい人でいなければ」という思いが強いほど、自分の気持ちを後回しにしてしまう。
「これくらい我慢すればいい」
「私が合わせれば丸く収まる」
「断ったら、嫌な人だと思われるかも」
そうやって小さな我慢を積み重ねているうちに、自分でも気づかないところで、自分の人生を人の都合に合わせてしまうことがある。
「私のことかも……」と、感じる人は少なくないはず。
40代からは、「嫌われる勇気」よりも、もっと身近な勇気が必要だ。
それは、「私は本当はどう感じている?」と、自分に聞いてあげる勇気。
誰かにとっての「いい人」でいることより、自分にとって無理のない自分でいること。
嫌われたくないという気持ちがあってもいい。好かれたいと思ってもいい。でも、自分を犠牲にしてまで好かれなくてもいい。
40代になって、いい人でいることが急にしんどくなったのなら、それは自分が冷たくなったということではない。
これまでずっと後回しにしてきた「自分の気持ち」が、「そろそろ私のことも大切にして」と教えてくれているのかもしれない。
嫌われる勇気を持てなくてもいい。ただ、嫌われないために、自分を消さなくてもいい。
これからの人生は、誰かにとっての「いい人」だけではなく、私自身にとっても「これでいい」と思える私でいたい。



