「我慢」が美徳は、本当??
親だから、子どもの将来が誰よりも心配。ときに子ども自身よりも、親のほうが心配してるなんてことだってあるでしょう。
そんなとき、大人は思います。「まだ子どもだから、将来のことがどれだけ大切か、わかってないんだ」と。その親の心配は、子どもがいくつのときから始まって、いくつになったら終わるのでしょうか。
バスケと受験の天秤が中学受験だったら? 高校受験だったら? 大学受験だったら?? 親としての判断は変わるのでしょうか。
日々、いろんな子どもたちと接している中で感じることがあります。
「子どもたちは、『未来』のために多くの『今』を我慢しているなぁ」と。
我慢をしてでも手に入れた方がいい未来がある。と、大人は考えがちです。それは子どもに対してだけでなく、もしかしたら自分自身についても同じかもしれません。
「今、我慢をすれば、きっといい未来が手に入る」と。それは仕事かもしれないし、人間関係かもしれません。ですがそのせいで心が病んでしまうひとが多いのも現代の実情だと思うのです。
そして我慢を乗り越えて理想の未来を手にする人よりも、我慢を手放して楽になれたことで幸せを手にした人の方が多いのではないでしょうか。
だから、こんなにも「今を大事に生きよう」という価値観が広まっているのだと思うのです。
そう言うと、まるで全ての「我慢」が悪いようですが、そういうわけではありません。
我慢には大きく分けると2種類があるように思います。
1.他人から強制される我慢
2.自分で自分を律する我慢
同じ我慢でも、まったく意味も価値も違ってきます。自分で自分を律してがんばる我慢は、言い換えれば「覚悟」です。覚悟を決めると人は一生懸命になれます。
そして、その覚悟は他人に強要されても決まりません。たとえ最初は他人から言われたことだろうと何であろうと、最後に決めるのは自分自身です。
ところが、子どもたちは、あまりにも「他人から強制される我慢」が多いように見えるのです。
それは、子どもが自分で意思決定をする自由を大人によって制限されているからです。
「夢中になれる」は立派な才能
バスケ、サッカー、電車、絵を描くこと。子どもの中には、何かに夢中になって寝食を忘れてのめり込む子がいます。この夢中になれる、というのはとんでもない才能だと思うのです。バスケをやっている子がみんなプロの選手になるわけではありません。では、プロになれなかったら無駄なのでしょうか。そんなことはありません。
夢中になるという体験から得られることは多いのです。そしてハマった経験のある子は、興味が移り変わってもいろんなことにハマっていくことができます。それは、ちゃんとハマれたからこそ得られる「ハマれるスキル」です。
これからの時代は、何でもそつなくこなせる人材よりも、この「ハマれるスキル」を持っている人材のほうが生きやすくなると思うのです。
子どもの「好き」に歯止めをかけない!
「受験」か「好きなこと」か。この問に対する答えは、それぞれの家庭によって多様でしょう。べつに2択ってこともありません。ただ、親として僕は「子どもの『好き』に歯止めをかけないようにしたい」と考えています。そして、子どもに「君には意思決定する自由があるんだよ」ということを伝え続けたいと思うのです。
それが、子育てをする上での僕なりの「覚悟」かもしれません。
子どもって、思っている以上に親や大人の言うことを聞こうとします。まだ自分の中に判断軸がなかったり、大人が正解を知っていると思っていたりする。でも、自分の人生を成功に導くのは親や大人ではなくて自分自身の決断でしかありません。
親ののぞむ未来のために、子どもに『今』をないがしろにしないようにしたいのです。