第50回 佐藤千佳子(18) リボンを巻く人生と巻かない人生
「パセリにリボン? いいね!」
千佳子の思いつきに、野間さんは乗ってきた。
「ちょうど今うちにパセリあるよ。昨日買ってきたやつ」
そう言いながら、キッチンの冷蔵庫へ向かう。野間さんは60歳を超えているが、思い立ったらサッと体が動く。20年後のわたしに、今の野間さんを見習わせたいと千佳子は思う。
野間さんはラッピングのリボンをたくさん取ってあった。赤、青、黄色、オレンジ、ピンク、緑、白、金、銀、水玉模様、ハート模様、ストライプ、チェック柄、Thank youとプリントされたもの……。
「見て。可愛くない?」
水色の水玉模様のリボンを手に取った野間さんは、透明な袋入りパセリの束に、袋の外側からリボンをかけた。
「リボンかけただけで花束になるね!」
「なりますね!」
ちょうちょ結びを小さくキュッとまとめると、子どもの蝶ネクタイ姿のようで、これはこれで可愛い。
「ハートのリボンだと、バレンタインになる!」
「義理パセリですね」と千佳子が言うと、
「義理パセリ。韻踏んでる!」と野間さんは食いつき、
「流行りの義理パセリ」とさらに「り」を重ねた。
「ズバリ流行りの義理パセリ」と千佳子が応じると、
「そしてリボンは色とりどり」と野間さんが言い、「佐藤さんと私、ラッパーになれちゃうかも?」と笑った。
「スーパーとラッパーも韻踏んでますね」
「ほんとだ。あ、もっと近いの見つけちゃった。タッパーとラッパー」
「菜っ葉はどうですか?」
「あり! タッパーの菜っ葉 食べるラッパー♪ どう?」
「原っぱも入れてください」
「佐藤さん、止まらないね」
「野間さんも」
シフトの休みが重なった日に、スーパーのネタでラ
ップごっこをしながら、売り場のパセリのことを考
えている。家計を助けるために始めたパートだが、
面白い先輩のいる部活に入った感じだ。
赤と緑のリボンをパセリに巻きつけてみた。
「野間さん、見てください! クリスマスツリーみたいじゃないですか?」
「ほんとだ。ツリーになってる! これ、いけるんじゃない? 店長にプレゼンしようよ!」
そこから「どんな色合いのリボンがクリスマスっぽくてパセリに映えるか」「どのくらいの太さのリボンがいいか」「どのくらいの長さが必要か」を検証した。
白とゴールドのリボンがパセリの緑に映え、高級感もあっていいこと、1センチぐらいの幅で小さめのちょうちょ結びにするのが可愛いことを発見した。
リボンを取っ替え引っ替えしながら、「コストも考えないとね」と野間さんが言う。
「お店に並べるときは、うちにあるリボンを使うってわけにいかないじゃない? 1メートル15円のリボンで、ちょうちょ結びを5つ作れたら、ひとつあたり3円。かけすぎかなー」
クリスマスツリーにすることでパセリが定価で売り切れるなら、値下げや廃棄のロスが生まれなくなる。その分をリボン代にあてられると考えれば、それくらいかけてもいいのではと千佳子は思うが、
「レジ袋有料の時代の流れには逆行してるよね」
野間さんはそう言い、パセリのクリスマスツリー計画はしぼんだ。
ところが、次に千佳子と野間さんがシフトに入った日に流れが変わった。「これで売り場のクリスマス気分を盛り上げて」と本部からクリスマスカラーのリボンがどさっと舞い込んだのだ。関連会社の在庫処分なのではと思われる唐突さだった。
「これ、どうします?」
本部組の店長と売り場主任が顔を見合わせているところに「野菜売り場の販促に使いたい」と野間さんが申し出ると、「どうぞどうぞ」となり、勤務時間内に作業させてもらえることになった。
秋の始めに人事異動があり、本部から送り込まれた新しい店長は40代前半の独身男性。少し年上の千佳子には横柄な口をきくが、パート従業員の愚痴聞き役の野間さんには一目置いている。あの人をおさえておけば間違いないと前任者から申し送りがあったのかもしれない。
「パセリって英語で何て言うんですか」
バックヤードで切り分けたリボンを袋入りパセリに巻きつけながら千佳子が聞くと、「英語でも、ほぼパセリだよ」と野間さんは答えた。
「発音はパースリィって感じ」
「パースリィ。そうなんですね。じゃあ、これは英語で何て言うんですか、って英語で何て言うんですか」
野間さんの答えは「ホワッドゥユーコールディスインイングリッシュ」と聞こえた。
《What do you call this in English?》と千佳子は脳内でアルファベットに変換する。
「佐藤さん、英語に興味があるの?」
「いえ、ちょっと聞いてみただけです。最近、英語のお客さんが増えているので、説明できたほうがいいかなーなんて」
誤魔化そうとして口数が多くなってしまうのが、かえってあやしい。千佳子の脳裏には「パセリ先生」の顔が思い浮かんでいる。文香のために契約した動画学習サービスの英語講師。ウェーブのかかった髪の形がパセリに似ていることから千佳子があだ名をつけたのだが、文香には「パセリっていうより、もずくじゃない?」と却下された。
千佳子が黙ると、野間さんも黙り、話題が途切れた。バックヤードが静まり、壁の時計の針の音が大きくなる。けれど、決して気まずい空気にはならない。野間さんと一緒にいて居心地がいいのは、話していて楽しいのはもちろんだが、無言の時間を恐れなくていいのが千佳子にはありがたかった。
無理してしゃべらなくていい。野間さんとなら。
千佳子は小学校の読み聞かせボランティアのメンバーと図書室のクリスマスデコレーションを作ったときのことを思い出す。
教室での読み聞かせは好きだったが、その後、図書室で集まってやる作業は気が重かった。仲のいいグループだけで通じる暗号のような固有名詞が飛び交う会話について行けず、見えない境界線が引かれているように感じた。
透明人間になっている千佳子は、ここにいますよとアピールするように、時々パスを投げてみた。食べものの話題の食いつきがいいことを学んだので、すぐに話題を取り出せるよう、何日も前から出だしの一言を考えておいた。
千佳子の出したパスを誰かが受け取り、いつしか千佳子を離れてラリーが続き、千佳子はまた透明人間になる。だが、気は抜けない。たまにパスが回って来るのだ。受け損ねて落としてしまうと、そこで会話は打ち切られ、気まずい空気が流れる。そのことを千佳子は一番恐れた。
でも、それは文香が2年生に上がるまでのことだった。数人が卒業とともに抜け、数人が入学とともに加わると、読み聞かせボランティアの雰囲気がからりと変わった。手を動かしながらの話題は、「次に読み聞かせする本どうする?」が中心になった。図書室での作業が苦痛でなくなり、やがて楽しみになった。
同じわたしなのに、まわりの人が変わるだけで、透明人間になったり、輪郭ができたりする。その違いは、たった一人の存在でも生まれる。
「リボンを巻く人生は、リボンを巻かない人生より、リボンの長さだけ面白い」
野間さんがぼそっとつぶやいた。
「それって、なんかの格言ですか?」
「今適当に思いついた」
「リボンを巻く人生と巻かない人生」と千佳子は口の中で繰り返す。
ここはスーパーのバックヤードで、座っているのはパイプ椅子で、わたしたちはエプロン姿で、やっていることは、ただの作業。なのに、心が浮き立つ。クリスマスが待ち遠しい子どもみたいだ。
次の物語、連載小説『漂うわたし』第51回 伊澤直美(17)「男でも女でもない妊婦という性」へ。
イラスト:ジョンジー敦子
編集部note:https://note.com/saita_media
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