第112回 伊澤直美(38)そこに答えはないってわかってるのに
「どっちのって? ハラミに教えてもらったショップの人だけど?」
タヌキの語尾が上がる。なんかまずいんだっけと戸惑っている。
亜子姉さんに頼まれてひまわりバッグを購入したネットショップのページを見てもらったことはあった。
「6万円ってどう思う?」と直美が意見を求めると、
「そんなもんじゃない?」とタヌキは値段に驚かなかった。
さすが、ブランドものを贈られ慣れてきたモテ女子のバッグの相場は桁が違う。とやっかみ混じりの感想を持ったことを覚えている。
あのときもこの洋食屋で向かい合ってミラノ風カツレツを食べていた。直美のスマホでmakimakimorizoのショップのサイトを開いて、タヌキに見せた。タヌキは後からわざわざショップを探したのだろうか。その上、わざわざ会いに行ったとは。
「なんで会うことになったの?」
「ドレスがね」
「ドレス?」
「母親が着てたウェディングドレスにシミがあって。シミって言っても、そんな目立たないんだけど。それで、ひまわりバッグのこと思い出して。刺繍で上手に隠してくれるかなって」
度重なる延期でホテルウェディングからレストランウェディングに変更したことで急浮上した、タヌキの母親が着ていたウェディングドレス。それがタヌキとひまわりバッグの作者をつなげることになるとは。
「それで、頼むことにしたの?」
「うん。おまかせしますってドレス預けた」
「初めて会った相手に?」
「え? クリーニングだって預けるよね?」
「いつ?」
「ひと月ぐらい前、かな。ハラミ、職質みたいになってるよ?」
「なんで言ってくれなかったの?」
「今日言うつもりだった」
「今日って……。もうカツレツ終わってるし」
タヌキはあとふた切れ残しているが、直美はカツレツも付け合わせのサラダとライスとスープもとっくに平らげている。子どもを産んで、食べるのがどんどん速くなっている。
「さっきドレスの話になったとき、言ってくれたら良かったのに」
「そんな一刻を争うこと? ハラミがエージェントってわけじゃないよね?」
タヌキの色白の眉間に皺が寄る。
「タヌキはケイティのひまわりバッグのこと、気になってないの?」
「ケイティって、なんだっけ」
「知らない? いるじゃない? インフルエンサーで」
画像を見せたほうが早いと思い、「ケイティ ひまわりバッグ」で検索した結果画面を見せる。「顔見たことあるかも」とケイティへの反応は薄かったが、「ひまわりだ」とケイティが手にしているひまわりバッグに気づいた。
「あれ? 一点ものじゃなかったっけ?」
「そのはずなんだけど。ケイティのブランドでも出してる」
検索結果にひまわりバッグの画像が並んでいる。ケイティの公式サイトのショッピングページの商品写真だったり、ケイティや取り巻きのインスタ投稿だったり。
「ライセンス取って販売してるってこと?」
「たぶんケイティが無断でやってる」
「だよね。makimakiさんって、ライセンスビジネスする感じじゃないし」
「makimakimorizoじゃなかったっけ」
「ふたりでやってるみたい。makimakiさんが作る人で、morizoさんが共同経営者、なのかな。私が会ったのはmakimakiさん」
ふうんと直美は白ける。朝起きるとmakimakimorizoのショップのページを開いて、更新されていないかを見るのが日課になっている。自分以上にあのショップのことを気にかけている人はいないと思っていたのに。そもそもタヌキに教えたのはわたしなのに。タヌキはわたしをすっ飛ばして連絡を取り、会いに行き、ウェディングドレスを預けてきた。そのドレスを着るのは、わたしとイザオが結婚パーティーを開いたレストランなのに。
「makimakiさんがそういうことになってたのは知らなかったけど、ハラミが責任感じること、ないんじゃないの?」
「責任とか、そういうのじゃなくて」
「ハラミ、なんかあった?」
あったといえば、あったけど、なかったといえば、なかった。
「腹を貸したね」とイザオに言われて、思い出すたび抉られて、その痛みを紛らわせたくて、お酒に逃げる代わりにネットに逃げ込んでいる。スマホでひまわりバッグのことを追いかけても、そこに探している答えなんてないとわかっているのに。
タヌキに言ってもわからないだろう。
タヌキがカツレツの最後のひと切れを食べ終え、空になった皿と居心地の悪い沈黙がテーブルに残された。その頃合いを見計らったかのようにカップがふたつ、テーブルに置かれた。
ラテアートの顔が笑っている。
食後のドリンク、頼んでたっけ。
カフェラテからハテナの顔を上げると、テーブルの空いた皿を下げているウェイターが厨房のシェフに目をやった。シェフがラテアートのスマイルのようにわかりやすく口角を上げ、「どうぞ」の手つきをする。サービスということらしい。直美とタヌキはそれぞれカップを手に取り、「いただきます」と言うように軽く持ち上げる。
「見られてたね」とタヌキが肩をすくめ、いたずらっぽく笑う。タヌキは目立つからねと喉まで出かかった言葉を直美は飲み込む。
カフェラテに口をつける。ラテアートの笑顔が崩れる。張り詰めていた空気がほぐれる。
「『幸せのしっぽ』って映画知ってる?」
タヌキがひまわりバッグから話題を変えた。
「タイトル聞いたことある気がする。今やってる?」
「高校生の頃に観た映画」
「じゃあ違うか。20年ぐらい前?」
「そんなになるのか」
「なるね」
あの頃から2倍以上生きてるって怖いよねと直美は心の中で続ける。
「私、その頃、80キロ超えてて」
「え? 80キロって体重?」
思わずタヌキを見る。
「体重じゃなかったら何?」
「持ち上げてたとか。走ってたとか」
「制服のシャツの一番上のボタンが閉まらないぐらい太ってた。食べると止まらなくて。ポテチひと袋とか、クッキー&クリームのアイスを1リットルとか、食パン1本とか」
「一斤じゃなくて?」
「あるだけ食べちゃってた。でも、食べたいわけじゃなくて。埋め合わせみたいに詰め込んでた」
タヌキは高校生だった頃の過食を語っているのだが、直美は今の自分がスマホでやっていることと同じだと思う。
「食べた後、何やってんだろって空しくなるんだけど、このまま太れるだけ太って別人みたいになるのもいいかもって投げやりにもなってた」
口角が流れて笑顔が崩れたラテアートにタヌキが視線を落とす。そこにあの頃の自分が映し出されているかのように。
「ごめん。なんか語っちゃって。ハラミ、引いてない?」
「ううん。タヌキって、四つ葉のクローバー側の人だと思ってたけど……」
「四つ葉のほうがいいの?」
「四つ葉って特別だし。見つけたらラッキーでしょ。わたしはその他大勢の三つ葉側だけど」
「……でも、特別って、愛せなきゃ意味がないよね」
高校時代のタヌキは、目立ち過ぎる容姿のせいで不必要な注目や憎悪を集めて、疲れてしまったのだろうか。さっきまでの嫉妬のようないじけた気持ちが萎む。わたしって、勝手だ。
「その頃に観てたのが、『幸せのしっぽ』。ある日しっぽが生えてきた女子高生が、しっぽのある自分を好きになる話。ハラミにひまわりバッグの写真を見せてもらったとき、その映画を思い出したの」
ひまわりバッグに話が戻った。
「衣装がカラフルでポップで楽しいの。スカートからしっぽが飛び出したまわりが花のアップリケになってたり」
あ……と直美は思い出し、ケイティのインスタ投稿を遡る。
あった。
3か月前、1月の終わり。映画『幸せのしっぽ』のDVDパッケージの写真に「20年前」とだけコメントを添えている。スカートからしっぽが飛び出した女の子のビジュアルに見覚えがあった。
「この映画?」とタヌキにスマホを見せると、
「そう!」とタヌキが声を弾ませる。
コメント欄には、まだ目を通していなかった。タヌキとふたりで読む。
《しっぽを出す穴をカラフルな糸でかがって、レースで囲んでお花にしちゃうの、素敵なアイデアです》
《ひまわりバッグのルーツですね》
《衣装協力のクレジットにケイティさんのお名前出てます》
「どういうこと?」
直美とタヌキの声が重なった。
次の物語、連載小説『漂うわたし』第113回 多賀麻希(37)「ウェディングドレスを着ない未来」へ。
編集部note:https://note.com/saita_media
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