第78回 多賀麻希(26)17歳のわたしの続き
映画製作会社の事務という名の何でも屋として、「読み合わせ」というものに居合わせたことは何度かあった。撮影に入る前に脚本を頭から最後まで通して読み、「尺読み」と言って作品の長さを読みつつ、役者の解釈を検証したり、役者同士の演技の相性やバランスを見たりする。顔合わせとリハーサルを兼ねている。衣装合わせと同じく、役者が役を入れ、気持ちを高めるステップにもなる。
読み合わせをやっている余裕のない作品は、すっ飛ばして撮影に入る。麻希が勤めていた映画製作会社が手がける作品は、予算も時間も限られていた。そもそも教育委員会の啓蒙ビデオや企業の商品紹介動画といった仕事で数をこなし、劇場上映の映画は年に数本だった。
だから、読み合わせをする作品は年に1本あるかないかだったと記憶している。それでも、足し上げると、10年勤務した間に10回ほどは立ち会った計算になる。
欠席している役者のセリフを読み上げる「代役」も立ち会いの社員が任された。役者の卵を雇う発想は社長にはなく、タダで使えるものは使い倒した。
男性役は社長が、女性役は同僚の美優ちゃんが務めた。麻希と年齢以外は共通点が見当たらない美優ちゃんは、「やりたいです」と自分から手を挙げ、代役の出番がないと残念がった。児童劇団出身で、どんな役もそつなくこなした。美優ちゃんがセリフを読むと、素人離れしたうまさに出演者から軽いどよめきが起こるのがお決まりだった。
美優ちゃんに任せておけば安心だったが、美優ちゃんが休みを取って読み合わせを欠席してしまい、麻希に代役が回ってきたことがあった。
その作品が『それからのルーズソックス』だった。
主演の咲良栞子のグラビア撮影が重なり、麻希が代役をやることになった。主演が来れないのに読み合わせをやる意味があるのだろうかと疑問に思ったが、演技未経験の咲良栞子を他の共演者でカバーするための作戦会議だと社長は言い、「美優が代役やったらうますぎるから、タガマキでちょうどええわ」と余計な一言をつけ加えた。
そうは言われても棒読みだと失礼だしと思い、できるだけ感情を込めてセリフを言った。すると、
「そんなに頑張らなくていいから」
監督の言葉に、どっと笑い声が上がった。
代役、しかも咲良栞子の代わりなのだから、うまくやる必要はない。むしろ力を抜いたほうが良かったのだ。期待されている役割を演じられなかった自分に失望した。
「読み合わせなんだから、合わせて。一人だけ力まれると、まわりがやりにくいよ」
監督がそう言うと、居合わせたスタッフや出演者がニヤニヤしながらうなずいた。そのニヤニヤに既視感があった。子どもの頃から浴びてきた、謎の優越感に見下される感じ。
そうだよ。人前で読み上げるのが苦手だったんだよ。
小学校の国語の時間。教科書を段落ごとに区切って順番に読むのが苦手だった。一つ目の音がすんなり出ない。声が上ずる。震える。読めるはずの漢字を間違えてしまう。それがわかっているから、自分の順番が回ってくる前から緊張がどんどん高まる。どうして他の子たちは平気なんだろう。休み時間におしゃべりするのと変わらない落ち着きのある声で読めるんだろうと不思議だった。
自分を良く見せたいから緊張するのだと成長するにつれ学んだ。
誰もわたしのことなんて見ていないし、どう思われたって関係ない。
そう自分に言い聞かせたが、「気にしない」ことを頑張ろうとすると、また別なところに力が入ってしまった。不器用で、うまく立ち回れない。ぎこちない。カッコ悪い。だから見下される。ますます萎縮する。
人前でそつなく原稿を読めるような子だったら、裏庭で教科書を燃やすまで思い詰めることはなかっただろうし、ツカサ君に身の上話を提供することもなく、『制服のシンデレラ』という物語も生まれなかった。
その脚本がモリゾウの手にも渡っていた。出会う前からモリゾウは麻希の生き辛さを知っていた。書かれてから10年余りの時を経て、その原稿をモリゾウと読み合わせをする。
学校の教室とも読み合わせの現場とも決定的に違うのは、モリゾウの前では自分を良く見せようと思わなくていいということ。
《あたしが連続放火事件の犯人だと知ったら、学校の先生たちは、きっと口をそろえてこう言う。「大石さんはおとなしくて目立たない、いい子でした。放火なんてするような生徒には見えませんでした」。先生ともクラスメートともほとんど口をきかない生徒が、いい子だなんて、どうして言えるんだろう。何も言わない人間がどんなことを考えているか、少しは警戒したほうがいい》
17歳の主人公あかねは麻希をモデルにツカサ君が脚色したキャラクターで、連続放火をする設定も麻希の実体験とは違う。だけど、この子のことを誰よりも知っている。
《火はセクシーだよね……この世にしがみついてるものを有無を言わさず断ち切る潔さ……滅びの美学っていうのかな……憑き物が落ちたみたいにすっきりした……君だって、そうなんだろ?》
あかねが火を放った火事の現場に毎回駆けつけるアマチュアカメラマンの燐太郎は、あかねが犯人だと見抜く。燐太郎はツカサ君が創作した人物で、17歳の麻希にはそんな出会いはなかった。だけど、モリゾウの声がセリフに命を吹き込むと、燐太郎という青年と言葉を交わしたことがあるような気がしてくる。
《意気地なしのあたしは、炎の中でウジウジした自分が燃える幻を見てるのかもしれない。誰にも住んでもらえず、みっともない姿で年を取っていく家。お金がなくて取り壊してもらえないお店。窓ガラスを全部割られても、ゴミ捨て場にされても、ヘラヘラして立っているビル。用もないのに、この世にしがみついてる建物たちにケジメをつけさせるために、あたしは火をつけて回る。いらないものは、灰になって消えればいい》
この感情を知っている。17歳だったときから。
《だけど、いちばん未練ったらしいのは、このあたしなんだ。友だちもいない、勉強も面白くない、何のために学校に行くのかわからない。そのくせ仮病で休む勇気もないから、毎日決まった時間に家を出て、授業をきっちり受けてしまう。飛び下りる度胸も手首を切る覚悟もないから生きてるだけのあたしは、抜け殻になった自分の身代わりに、空っぽの建物を燃やしているのかもしれない》
17歳の麻希が火をつけたのは教科書だった。結果的には火が燃え広がり、裏庭を焼き尽くしてしまったけれど。『制服のシンデレラ』のあかねは、建物に火をつけて回った挙げ句に教科書に火をつける。炎に魅せられた燐太郎を喜ばせるという言い訳をつけて。
《こんなの、いい写真にならないよ! ウジウジしてて、全然ふっきれてないじゃないか! 君は教科書が燃えるとこじゃなくて、ここに存在した証を撮って欲しいだけなんだ! そんなつまらない記念写真なんか、ボクのカメラに撮らせないでよ! 自分の気持ち確かめるために火をつけないでよ! 一人じゃ踏ん切りつかないからって、ボクを巻き込まないでよ!》
燐太郎があかねに向かって怒るセリフがモリゾウの声で放たれる。麻希はモリゾウに叱られている気持ちになる。モリゾウが叱ってくれている。17歳だった麻希を。モリゾウに寄りかかると、大きな手が髪を撫でた。ほわほわと生えてきたうぶ毛が伸び、境い目がわからなくなっているエンダツの跡地を慈しむように長い指でなぞる。
どちらのセリフで止まったのか、読み合わせは中断している。『制服のシンデレラ』のあかねと燐太郎は火をつける人と火を撮る人の関係で、化学変化は起きるが恋愛感情は生まれないのだが、それぞれのセリフを読む麻希とモリゾウの間ではキスが始まり、脚本にない続きがアドリブで書き加えられる。
教科書を燃やし、裏庭を燃やし、小さな町の噂も燃え広がり、エンダツを作った17歳のわたし。消し去りたい過去が、互いをまだ知らない前の恋人から今の恋人に受け渡され、地続きの未来に光が射す。
次の物語、連載小説『漂うわたし』第80回 佐藤千佳子(28)「振り上げたこぶしの下ろし方」へ。
編集部note:https://note.com/saita_media
みなさまからの「フォロー」「スキ」お待ちしています!