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連載小説『漂うわたし』第1回 佐藤千佳子(1)「母になった記念日」

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 連載小説 漂うわたし カバー画像

2020.12.05

【連載小説『漂うわたし』あらすじ】 娘が生まれて、不妊の悩みから解放された千佳子。都会に出ること、結婚、出産。望みはすべてかなえられたはずだったが、娘の何気ない一言に揺らぐ。同期入社の夫と共働きの直美は、出産のタイムリミットが迫っているが、失うものの大きさを思うと踏み出せない。未婚のまま30代最後の誕生日に派遣切りを告げられた麻希は、すり減るばかりの生活に空しさを覚えるが、今さら故郷には帰れない。どこへ向かって行くのか、その先に何があるのか。まだお互いを知らない「漂うわたし」たちの物語。

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連載:saita オリジナル連載小説『漂うわたし』

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漂うわたし001

第1回 佐藤千佳子(1) 母になった記念日

「ふーちゃん、お誕生会、誰呼ぶの?」
バスケ部の練習を終えて帰宅した娘に千佳子が聞くと、
「もうそんなのしないよ」
脱いだ靴下をカゴに放り込みながら、返事があった。一人娘の文香(ふみか)は、中学1年生。お友達を家に呼んでお誕生会をやる年ではなくなったらしい。

文香の誕生日は、千佳子が母になった日でもある。毎年、その日が巡るたび、娘の成長を噛みしめ、母になれたことへの感謝を新たにする。

身長。体重。足の大きさ。

覚えた単語。読んだ本。

歌えるようになった歌。吹けるようになった曲。

走れる距離。なわとびの回数。

子どもは時間を成長に変える。娘の誕生日の重みは年齢の分だけ積み重なり、増していく。0歳の誕生日より前、おなかの中にいたときからグラム単位、ミリ単位で成長を追いかけてきた母親にとっては、年齢プラス9か月分。その重みは、母の記念日の重みでもある。

そして、千佳子の中では、誕生日の重みに比例して「お誕生会」が存在感を増していった。文香の「お友達」に「いつも仲良くしてくれて、ありがとう」と「これからもよろしくね」を伝える年に一度の機会。初詣で一年の家内安全を祈るより、千佳子にとっては意味のあることだった。

リンゴのウサギ

今年は、中学校に上がって部活の友達もでき、大人数になるかもしれない。育ち盛りの胃袋を満たすボリュームのある肉料理を。唐揚げとポテトは絶対に外せない。パスタは文香の好きなミートソース。全体的に茶色いから、サラダはプチトマトとパプリカで彩り良く……。頭の中でメニューは組み上がっていたのに、あっさりハシゴを外されてしまった。

「今までありがとう」のねぎらいも「用意してくれてたらごめん」の気遣いもなく、「もうそんなのしないよ」なんて脱いだ靴下をカゴに放り込む軽さで言われると、すきま風のような空しさが吹き寄せる。

「駅前にできたお店で、ケーキ頼もうと思ったのに」
いじけたように千佳子が言うと、
「じいじばあばが来たときに食べたらいいじゃん」

文香の言う「じいじばあば」は、夫の両親のことだ。横浜市営地下鉄でひと駅、バス停で4つの距離に住んでいる。戸建てのローンの頭金を出してくれているが、生活には踏み込んで来ない。訪ねて来るときは、前もって連絡をくれる。食事を共にするのは年に数えるほど。正月、父の日、母の日に加えて、文香の誕生日の週の日曜日。

1歳の誕生日は奮発して料亭の個室での会食にしたが、主役がぐずりっ放しで食事どころではなかった。大人4人が交代で抱っこしても文香は泣き止まず、離乳食のスプーンをはじき飛ばした。千佳子が授乳したら、ようやくおさまった。

ケープで隠しているとはいえ、テーブルで向かい合った夫の両親の前で乳を出すのは居心地が悪かった。あの日食べたもののことは覚えていないが、「おっぱいにはかなわないわよ」と夫の母が言ったのは忘れられない。あれは、私もそうやって育ててきたのよと夫と息子に言い聞かせたのか、母親の代わりは男には務まらないから覚悟してねと息子の嫁に言い含めたのか。

2歳の誕生日からは夫の両親を自宅に招き、千佳子の手料理を囲む形が続いている。夫の父は鶏肉と光りものの魚と味噌を口にしない。加齢で手が震えるが、スプーンを出しても使おうとしないから、箸でつかみやすく崩れにくい献立を考えなくてはならない。夫の母は日頃自分が作らないような料理を食べたがるが、奇をてらいすぎると箸が進まない。

バースデーケーキ

悩んだ末にビーフシチューにした。全員がスプーンなら、夫の父も気兼ねしない。

千佳子が結婚した18年前、60代になったばかりだった夫の父は、今80歳手前。文香が生まれた年から13年老いた。歩幅が小さくなり、同じ話を繰り返すようになった。またかと思いながら千佳子は聞き流すが、文香は何度聞いても初めて聞いた話のように「そうなんだー」と絶妙な相槌を打つ。文香が生まれる前、どうやって会話をつないでいたのか思い出せない。

子どもは夫婦の間だけではなく、世代の間も取り持つ。

ビーフシチューを食べ終える頃、家の電話が鳴った。千佳子の実家からだ。岩手にいる千佳子の両親を文香は「おじいちゃん、おばあちゃん」と呼ぶ。年に数日、夏休みに遊びに行くときしか会えないから、横浜のじいじばあばより距離がある。

「今年の夏は岩手に行けなかったけど、来年は行くね」と文香が言うと、「待ってるよ」「ふーちゃんに会いたいよ」とスピーカーホンから聞こえる千佳子の父と母の声が弾んだ。コードレス電話が文香から夫の両親に渡される。ここでも話題は文香のことだ。見合い結婚だから親同士の関係も良好なのだが、子どもができるまで、千佳子の両親は肩身の狭い思いをしていた。両家の親が電話で笑い合うことはなかった。

親子足元

夫の両親が帰り、お酒の入った夫が早々と寝入った後、文香と二人でテーブルを片づけた。
「みんなね、部活とか塾とかあって忙しいから」
お誕生会をやらなかった理由はそれだったのかと千佳子は思い至る。文香の気持ちが卒業する前に、集まれない事情があったのだ。
「家族で祝えたからいいよね。ケーキもおいしかったし。あ、ビーフシチューもね。安定のママクオリティ」

ありがとうは十分受け取った。

誕生日ケーキは5つに分けたが、夫の両親はひと切れを分け合ったので、ひと切れが余った。来年はひと回り小さなケーキにしよう。タッパーにケーキを納めていると、「明日のおやつにするんでしょ?また太るよ」と文香にからかわれた。

「またって何?」
「そっか。ママはずっと太り続けてるから、『また太る』じゃなくて、『また一段と太る』だね」

娘の苦言に苦笑を返し、「また一段と口が立つようになっちゃって」と心の中でつぶやく。娘が成長する分、母親は年をとる。ウエストは年々サイズを増し、体重も増える一方。それは成長ではなく膨張だが、たるんだお腹が悩みだなんて、満ち足りている証拠だ。

「やばっ。将来の夢の作文、まだやってない」
「なんて書くの?」
「どうしよっかなー」

少し前まで文香はアニメを描く人になりたいと言っていたが、最近は声優もいいなと言い出した。バスケ部で仲良くなった子のお母さんが、テレビのアニメ番組の制作に関わっていて、今度収録を見学させてもらえるかもしれないらしい。

「ママは何になりたいの?」
「何言ってるの?ママはママになってるじゃない」
「そうじゃなくて。ママって、やりたいことないの?」

「何になりたいって……」

返す言葉を探しているうちに、文香は「作文やらなきゃ」と部屋に行ってしまった。

 

次の物語、連載小説『漂うわたし』第2回 佐藤千佳子(2)「このままじゃダメ?」へ。

イラスト:ジョンジー敦子

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著者

今井 雅子プロフィール

今井 雅子

脚本家。 テレビ作品に連続テレビ小説「てっぱん」、「昔話法廷」、「おじゃる丸」(以上NHK)。2022年「失恋めし」をamazon primeにて配信。「ミヤコが京都にやって来た!〜ふたりの夏〜」(ABCテレビ)を9月30日より3夜連続で、「束の間の一花」(日本テレビ)を10月期に放送。映画作品に「パコダテ人」、「子ぎつねヘレン」、「嘘八百」シリーズ(第3弾「嘘八百 なにわ夢の陣」2023年1月公開)。出版作品に「わにのだんす」、「ブレストガール!〜女子高生の戦略会議」、「産婆フジヤン〜明日を生きる力をくれる、93歳助産師一代記」、「来れば? ねこ占い屋」、「嘘八百」シリーズ。音声SNSのClubhouseで短編小説「膝枕」の朗読と二次創作をリレー中。故郷大阪府堺市の親善大使も務めている。

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