第101回 多賀麻希(33)エゴサしたって傷つくだけなのに
ケイティが自分のブランドでひまわりバッグを売り出してから、ひと月余り。麻希は何をするにも力が湧かず、新宿三丁目のカフェのアルバイトはモリゾウが代わりに行ってくれている。モリゾウが家にいないと、余計に力が入らなくなる。床に寝転がったままスマホをいじり、オンラインショップに問い合わせが来ていないかを確認する。
新作を作る気力ももちろんなく、ショップには赤字に白抜きの「SOLD」がついた商品写真が並んでいる。その中にひまわりバッグもある。クレーマーみたいな人に絡まれたら面倒だし削除しようかとも思ったが、こちらには何もやましいことはないのだからと残しておいた。
問い合わせは、今日もない。
最初にケイティがひまわりバッグを持った姿がネットニュースで流れたときは、毎日のように問い合わせが舞い込んでいたが、今は静かだ。ケイティが持っているバッグと同じものを手に入れたかった人たちは、検索でたまたま見つけたショップがその商品を提供できるかどうかを知りたかっただけなのだ。ケイティがひまわりバッグを供給し、欲求が満たされた今、無名の布雑貨作家に何の用もないのだった。
麻希の6万円のひまわりバッグとケイティが売り出した2万円のひまわりバッグのどちらが先で、どちらが真似をしたのか。そんなことは、世間の人たちにとって、どうでもいいことらしかった。
正直、麻希にデザイン盗用の疑いを向けられ、炎上することを恐れていたから、ほっとしたというより拍子抜けした。作り手が有名だったら、話題になったのかもしれない。今のあんたにはケイティと張り合う価値なんてないよと突きつけられたようで、デザインを盗まれたこと以上に自分の泡沫さがこたえた。モリゾウと出会って少しずつ自分と自分が作るものを好きになり、積み上げてきたささやかな自己肯定感が剥がれ落ちていく。
スマホを触ると、つい「ケイティ ひまわりバッグ」を検索してしまう。よせばいいのに。どうせ見たって、わたしが喜ぶことなんて書いてないのに。余計傷つくだけなのに。自傷行為のようなエゴサーチをやめられない。
ケイティは、ひまわりバッグを思い起こさせる色合いやフリル使いの衣装を着た写真をインスタに上げている。「あのデザインはわたしのもの」とはっきりとは言わず、におわせている。恋人が持っているのと同じアイテムの写真を上げて、「彼は私のもの」とにおわせるように。
《ひまわりバッグみたいなワンピース、素敵です》
《このフリルって、ひまわりバッグと同じですか?》
《バッグの端切れでプチリメイク!? さすがです!》
ケイティの言いたいことを代弁するようなコメントが連なる。ケイティはスタンプだけを返す。
嘘はつかず、印象だけを残す。服飾専門学校時代から変わらない手口だ。課題のデザイン画を麻希に描かせて提出すると、ケイティはそのデザインを連想させる色合いの服を着たりアクセサリーを身に着けたりした。そうやって自分自身とデザインを結びつけ、本当の作者である麻希が入り込む隙間をふさいだ。
教授たちも同級生たちも、実は麻希のデザインなのではと疑わなかった。麻希のデザインがケイティに似ていると指摘されたことは何度かあった。自分が描くデザイン画に似てしまわないように気をつけるようになった。
麻希がひまわりバッグに使ったレースはアンティークのデッドストックだが、ケイティが使っているレースはおそらく量産品で、値段にすると何分の一だろう。何十分の一かもしれない。でも、その違いは写真ではわからない。実際に品物を手に取って比べてみても、違いに気づく人はほとんどいないだろう。
作者のこだわり。ただの自己満足。だけど、たった一人でも気づいてくれる人のために、あのバッグを作った。モリゾウに背中を押されて、材料と品質と作者のプライドに見合う強気な値段をつけた。
この値段で買ってくれる人がいるだろうか。それだけの価値があると認めてくれる人がいるだろうか。
わたしとモリゾウの他に。
そしたら、ポンと売れた。
値下げ交渉もせず、6万円で購入してくれたその人は、二次元の写真と、添えられたモリゾウの詩のような商品説明を手がかりに、価値を判断してくれたのだろう。
ケイティがひまわりバッグを売り出したことで、購入者に迷惑がかかっていないことを願う。こちらから連絡したほうがいいだろうかと思い、何度かメッセージを打ちかけたが、言葉がまとまらなかった。何を言っても、相手をむしろ困らせてしまう気もする。契約した部屋が事故物件だったと後から聞かされるより、知らないままのほうが幸せだ。
ケイティのインスタの最新投稿は、映画『幸せのしっぽ』のDVDの写真に「20年前」とだけコメントしたものだった。《ケイティさんが衣装デザインをされたんですよね》と教えたがりのコメントがつき、それがどのシーンのどんな衣装であるか、コメント欄で質問と回答が勝手に繰り広げられている。
《しっぽを出す穴をカラフルな糸でかがって、レースで囲んでお花にしちゃうの、素敵なアイデアです》
《ひまわりバッグのルーツですね》
《衣装協力のクレジットにケイティさんのお名前出てます》
あれは麻希のアイデアで、デザイン画を描いたのも麻希だったが、ケイティの作品として提出され、映画の衣装デザインに採用された。衣装デザイン協力としてクレジットされるのは、多賀麻希のはずだった。
デザインの盗用なんて言葉を当時は知らなかったが、デザインを盗まれ、作者として受けられるはずの評価まで盗まれたのだった。
ショップではmakimakiと名乗り、作り手の本名は出していないが、ケイティなら多賀麻希の作品だと気づいただろう。専門学校時代、誰よりも麻希のデザイン画を見て、ダメ出しさえしているのだ。わかった上で盗んだのだろうと麻希は確信する。
わたしから何を盗んでも、ケイティの心はこれっぽっちも傷まないのだ。わたしが作り出したものはケイティのもの。好きに使える権利を渡した覚えはないけれど、つけ込まれる隙を作ってしまったのはわたしだ。
モリゾウから着信があり、ワンコールで出ると、「またエゴサしてた?」と聞かれた。
「ううん。たまたま」と答え、何がたまたまだ、と自分に突っ込む。スマホを手にしていたのがバレバレだ。
「終わった?」
「うん。待ち合わせする?」
終わったと言えばバイトで、待ち合わせすると言えば、駅だ。
「どっか行く?」
「マキマキ、今日うちから出てないでしょ?」
時間は午後4時。10時にモリゾウを送り出してから6時間も経っているのに、まだ布団から出た格好のままだ。お昼も食べていない。
そんなに長い間エゴサしてたのかと呆れる。
「行く」と答えると、「着く時間連絡する」と言われた。電話を切ろうとするモリゾウに「ありがと」と言うと、「何が?」と聞かれた。
「連れ出してくれて」
「ああ」とモリゾウが小さく笑うのを聞き、「後で」と電話を切った。首まわりがよれよれになったトレーナーとウエストのゴムが伸びたジャージを脱ぐ。モリゾウから電話がなかったら、いつまでもエゴサして、どんどん追い詰められて暗い場所にずぶずぶと沈み込み、引き返せなくなっていた。
ありがとう。わたしを連れ出してくれて。
次の物語、 連載小説『漂うわたし』第102回 多賀麻希(34)「呪うより祝うほうがめでたいから」へ。
編集部note:https://note.com/saita_media
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