連載記事

連載小説『漂うわたし』 第165回 伊澤直美(55)「おんなじ! おんなじ!」

カルチャー

2024.08.24

【前回までのあらすじ】共働きで娘を育てながらアイタス食品の商品開発部で働く直美。スーパーマルフルのパートの千佳子に呼び出され、ハーブマルシェへの出店を持ちかけられるが、詰めの甘いプレゼンにバザーのようなノリを感じ、白けてしまう。ただ、レシピ開発の相談をしたいと考えていたハーブコンシェルジュが企画に関わっていることには魅力を感じる。

連載:saita オリジナル連載小説『漂うわたし』

伊澤直美の物語一覧はこちら

漂うわたし

第165回 伊澤直美(55)おんなじ! おんなじ!

「つみき! おんなじ!」

優亜が歓声を上げて小さな人差し指を差した先に、外壁に貼りつけられた「kirikabu」の文字があった。型抜きされたアルファベットは確かに積み木っぽい。

積木みたいなkirikabuの文字

保育園で積み木遊びをするのが、この頃の優亜のお気に入りだ。キッチンの棚の定位置を外れ、テレビ台の奥にしまわれていた「HAPPY」のオブジェを見つけたとき、やはり優亜は、「つみき! おんなじ!」と指差した。

似た色やデザインの服を着ていたり、年が近かったりする子どもを見つけたときも、「おんなじ!」と言う。「おんなじ!」をとっかかりにして、好きをつなげている。ボルダリングみたいだと直美は思う。手足を目一杯伸ばして、手がかり、足がかりを見つけて上へ上へと進む、あの競技。

宿題だから、受験に必要だから、就職に有利だからと学ぶのではなく、今の優亜は、ただただ知りたいから、好きだからという理由で世界を広げている。義務感も打算もない、その真っすぐさが眩しい。

直美とイザオの結婚パーティーの名残の「HAPPY」は、イザオが怒って家を飛び出したとき、棚から落ちて「H」と「APPY」に分かれた。それを接着剤でつなげていたが、優亜に遊ばれているうちに再び「H」が離れ、さらに「Y」が独立し、「H」「APP」と「Y」に分かれた。裂け目が尖っていて危ないので、イザオがヤスリをかけて丸くし、「HAPPY」はオブジェから積み木に転身した。

「HAPPY」が棚から落ちた喧嘩の原因は、産む、産まないのすれ違いだった。優亜のいない毎日が考えられない今、一体何を迷っていたのだろうと直美は思う。あの喧嘩の仲直りで優亜がお腹に入ったわけだから、「HAPPY」は優亜の誕生にも関わっている。もちろんそんなことを本人は知らない。

いつか話すことがあるだろうか。
いつか聞かれることがあるだろうか。

その未来は遠すぎて、今はまだ想像もできない。

「HAPP」と「Y」に分かれた「HAPPY」のオブジェ

「な? 来て良かったよな?」

イザオの言葉で直美は我に帰る。目の前にはkirikabuのアルファベットがある。黒板アートで描かれたシトラスのパンケーキがおいしそうだ。

kirikabuに行くことになったのは、パンケーキが登場する絵本に優亜が夢中になっているのを見て、「ママがこないだ言ってた横浜のお店に行かない?」とイザオが言ったからだった。

いつからか互いを「ママ」「パパ」と呼ぶようになっている。優亜に対して「パパおしごとなんだって。ママとおるすばんしよっか」などと三人称や一人称で使っているうちに「パパ」「ママ」は二人称になった。

優亜抜きの夫婦の会話でも「パパ」「ママ」を使うようになり、職場で後輩に「わたしがやるよ」と言うところを「ママがやるよ」と言ってしまったりする。ママ人格の比重が大きくなっていく。

kirikabuはスーパーマルフルの佐藤さんの行きつけの店だ。ママと仕事が混ざると居心地が悪い。だから、パパと娘と食べに行く休日のパンケーキは他の店が良かった。

「パパと優亜で行ってきたら?」
「なんで?」
「マルフルの人にまだ返事してなくて。鉢合わせると気まずいんだけど」
「かえって話が早いんじゃないの?」
 
イザオは店のインスタをブックマーク済みで、期間限定のシトラスのパンケーキをつかまえたがった。
 
そのシトラスのパンケーキを食べながら、プレゼンをされたのだ。佐藤さんが企画したハーブマルシェにアイタス食品も出店しないかと。

同期で同じ部署のタヌキと進めている豆×ハーブのプロジェクトが難航している。自宅のベランダでハーブを育ている直美とタヌキには、世間ではまだまだ普段使いではなく贅沢使いアイテムとされている現状が見えていなかった。ハーブの敷居を下げる必要があるが、売りたいのは豆だ。

うまく乗っかれれば、ハーブマルシェは販路拡大につながるのかもしれないが、今の形ではアイタス食品として関わることに不安がある。
 
地元の目黒にもパンケーキの店はいくらでもあるのにと思いながらkirikabuへ向かったのだが、優亜の「つみき! おんなじ!」の笑顔を見て、来て良かったと思った。ママとして。

お下がりのワンピースを着た優亜

木のドアを開けると、店の中から「あ!」と女性ふたりの声が重なった。
 
「あ!」と直美の声も重なった。
「あ!」と優亜も同時に声を上げた。
 
窓際のテーブルに、佐藤さんと、いつか電車の中で会った娘さんがいた。

「私の、着てくれてる!」

娘さんが声を弾ませた。

優亜が着ているワンピースは佐藤さんにいただいたお下がりだった。母娘の「あ!」は優亜のワンピースを見た驚きだったのだろう。
 
親子が誰であるかを察したイザオは、「ここで会えるかもって思ってたんですよ!」と調子のいいことを言い、「むちゃくちゃ可愛い服をありがとうございます。こればっかり着てます」と続けた。
  
佐藤さんに会ったらどうしようと思いながら、お下がりの服を着せてしまったのは、こればっかり着ているからだ。色合いといいシルエットといい、同じようなものを見たことがなく、「どちらで購入されたんですか?」と聞かれたことも一度や二度ではない。洗濯しても生地のハリが保たれ、くたっとしないのも品質の高さをうかがわせる。
 
「すっごく可愛い! 似合ってる」
と娘さんは優亜に向かって言ってから、
「可愛いです!」と直美とイザオに言った。
 
娘さんの言葉に佐藤さんはうなずき、
「お洋服も喜んでます」と目頭を押さえる。
「ママ、洋服のキモチになりすぎぃ」と娘さんがからかう。
 
電車の中で向かいの席に座って言葉を交わしたとき、あんな母と娘になれたらと自分と優亜の将来を想像したことを直美は思い出す。
  
電車の中の直美から見た千佳子と娘

「お隣のテーブル、いかがですか?」とお店の人に声をかけられ、席に着くのを忘れていたことに気づいた。お店の人は一人で、佐藤さんと直美が先日一緒に来たときにもいた人だ。

「一緒に座れるんじゃない?」と佐藤さんの娘さんが言う。
「狭くない?」と佐藤さんが言うと、
「大丈夫だよ」と力強く言い、「ね?」と優亜を見た。

「おんなじ! おんなじ!」と優亜が言い、
「同じテーブルがいいって言ってる」とイザオが言い、隣のテーブルから椅子をふたつ持ってきた。小さな丸テーブルを親子ふた組で囲む。優亜は直美の膝の上だ。

「おんなじ!」は好奇心と親しみを伝えて、人と人をくっつける。とても自然に。楽しさまで加えて。

「ちょうど原口さんにお話ししたいことがあって」
 
佐藤さんに「原口さん」と呼ばれ、直美はママから「アイタス食品の人」に切り替わる。会社では旧姓を使い続けている。
 
「マルシェ、以前お話ししたものとだいぶ変わることになりそうです。詳細を詰めた上で、あらためてご相談させてください」
 
直美はほっとする。急いで返事をしなくて良くなったこと、佐藤さんが詰めの甘さを自覚していることに。

「ほらママ、今日来て良かったでしょ?」と娘さんが佐藤さんを見た。

佐藤さんも今日kirikabuに行くかどうか迷っていたのだろうか。

「おんなじ、おんなじ?」とイザオがおどけて直美を見た。

「おんなじ! おんなじ!」と優亜が真似して、テーブルに笑いが弾ける。

そうだ。共通点をとっかかりにすれば、次の場所へ踏み出せるかもしれない。

佐藤さんとは、makimakimorizoのバッグを持っている者同士という縁がある。直美の場合は亜子姉さんから預かっているだけだが。

どちらも女の子の母親で、娘たちは同じワンピースを分け合っていて。

何か一緒にできそうな気がする。会社として関わるのが難しくても、個人として。友人として。

おんなじ! おんなじ!

罫線

次回8月31日に伊澤直美(56)を公開予定です。

編集部note:https://note.com/saita_media
みなさまからの「フォロー」「スキ」お待ちしています!

著者

今井 雅子プロフィール

今井 雅子

脚本家。 テレビ作品に連続テレビ小説「てっぱん」、「昔話法廷」、「おじゃる丸」(以上NHK)。2022年「失恋めし」をamazon primeにて配信。「ミヤコが京都にやって来た!〜ふたりの夏〜」(ABCテレビ)を9月30日より3夜連続で、「束の間の一花」(日本テレビ)を10月期に放送。映画作品に「パコダテ人」、「子ぎつねヘレン」、「嘘八百」シリーズ(第3弾「嘘八百 なにわ夢の陣」2023年1月公開)。出版作品に「わにのだんす」、「ブレストガール!〜女子高生の戦略会議」、「産婆フジヤン〜明日を生きる力をくれる、93歳助産師一代記」、「来れば? ねこ占い屋」、「嘘八百」シリーズ。音声SNSのClubhouseで短編小説「膝枕」の朗読と二次創作をリレー中。故郷大阪府堺市の親善大使も務めている。

気になるタグをチェック!

saitaとは

連載記事

saita オリジナル連載小説『漂うわたし』