第64回 伊澤直美(22) 名前は人生で最初のプレゼント
赤ちゃんの顔を見てから名前を決めようと言い出したのはイザオだ。
《名前は人生で最初に贈られるプレゼントで、一番最後まで使えるプレゼントでもある》
そんな言葉をどこかから仕入れて来て、「顔を見てプレゼントを選びたい」と乙女のようなことを言った。一緒に考える時間をなかなか作れず、直美と赤ちゃんが退院しても、名前はまだ決まっていなかった。出生届の届け出期限は生まれた日から2週間だから、まだ時間はある。
性別は産んでみてのお楽しみにしていた。産婦人科の先生は、そういう企みを面白がってくれる人で、妊婦検診のたびに、「うっかり口にしないようにしなきゃね」とニコニコしながら気をつけてくれた。エコー写真では、男の子を決定づけるものが写っていなかった。隠れている可能性もあるが、女の子だろうなと思っていたら、出てきたのはやはり女の子だった。
だが、周囲の予想は「男の子」に集中していた。周囲と言っても、見知らぬ人たちだ。大きなお腹を抱えて歩いていると、行く先々で「男の子? 女の子?」と聞かれた。スーパーのレジで。信号待ちの交差点で。多いときには日に何人も。累計で数十人に聞かれたのではないかと思う。
妊婦にお節介を焼きたがる「良かれ教」の人たちに面食らったが、「男の子? 女の子?」といきなり聞いてくる人たちとの距離の取り方にも戸惑った。あなたには関係ないし、余計なお世話だし、と最初のうちは反発も覚えたが、
「大阪の人が『儲かりまっか?』って聞いたり、中国の人が『ご飯食べた?』って聞いたり、イギリスの人が『明日は雨降るかな?』って聞いたりするみたいなもので、深い意味はないんじゃない?」
とイザオの姉で先輩ママでもある亜子姉さんに言われて以来、軽い気持ちで受け答えできるようになった。
「性別は、あえて聞いていないんです」と答えると、「産んでからのお楽しみね」と理解を示す反応と、「どうしてそんなことをするの?」と首を傾げる反応に分かれたが、「どうして?」派の人たちも咎めているのではなく、単純に疑問に感じているのだと思えば、「産む楽しみがあったほうがお産を頑張れそうなので」とサバサバと答えられた。「性別がわからないと、用意するもの困るんじゃない?」と言われたこともあったが、新生児が着るものに男ものも女ものもないので、とくに困らなかった。
女の子が出てきたので、女の子の名前を考えることになった。
お腹の中にいた頃の「なかちゃん」の呼び名がなじんでしまい、「なか」がつく名前にしようかと考えたが、「なかこ」も「なかみ」も「なかえ」もしっくり来ず、「もなか」だと狙い過ぎかとなり、漢字の「中」を「あたる」と読ませる案も検討したが、そこまで「なか」にこだわることはないかと「なか」路線を離れることにした。
直美とイザオが同期入社で出会い、今も夫婦で働いている「アイタス食品」の頭のふた文字を取って「あい」はどうかと提案したのは、同期カップルのタヌキ(田沼深雪)とマトメ(的場始)だ。コロナ禍が明けるのを待って挙式は延期しているが、先に籍を入れ、直美とイザオが住む目黒で新婚生活を始めている。歩いて数分の距離なので、「いつでもベビーシッターさせて」と手を挙げてくれ、名づけにも首を突っ込んでいる。
両親がアイタス食品勤めだから、「あい」。
安易だなと思ったが、亜子姉さんの「亜」からひと文字もらうのはどうだろうと考えていた。「あい」の音なら「亜」の字をあてはめられる。
たとえば、亜衣。
「ひっくり返して、『いあ』もありじゃない?」とイザオが言った。
亜衣と衣亜ではずいぶん印象が違う。「いあ」という響きは耳なじみがないが、子音をつけて、「りあ」や「みあ」ならありそうだ。
理亜。美亜。
他に名前に良さそうな組み合わせがないか、探ってみた。
ちあ。とあ。のあ。
千亜。登亜。乃亜。
は行を過ぎ、「ゆあ」と直美が口にすると、イザオが「ゆあ?」と聞き返し、「可愛くない?」と言った。
「うん、可愛い」
「『ゆ』の漢字は?」
「優しい、かな」
優亜。名字とつなげると、伊澤優亜。
「伊」と「優」は人偏同士だし、澤の字の右側の上の「目」を横倒ししたような形は「亜」の字の真ん中に似ていて、文字にしたときのバランスがとても良いように思える。
いざわゆあ。響きも良い。
レンタルのベビーベッドで眠っている「なかちゃん」の顔をのぞき込み、「ゆあ」と呼びかけてみる。「なかちゃん」より「ゆあ」のほうが、しっくり来る。
ベビーベッドの脇の壁に虹ができているのに気づいた。家出したイザオが一週間ぶりに帰って来たあくる朝、イザオと直美の手の上に虹が落ち、その手を取り合って仲直りのキスを重ね、この子が宿ったのだったと思い出す。
この名前がいいよと虹まで祝福してくれているようだ。決まりだねとイザオとうなずき合った。
「アイがユアになったね」とイザオが言った。英語の一人称主格の「I」が二人称所有格の「your」になった。「私が」より「あなたの」のほうがやわらかい。タヌキとマトメも気に入ってくれるだろう。
「優亜」
「優亜」
イザオとふたりで何度も名前を呼んだ。
この先、何度呼ぶことになるのだろう。少しずつ大きくなっていくこの子を呼ぶたびに、わたしたちは少しずつ親になっていく。
名前をつけることで、親もプレゼントをもらっている。わたしたちのところに生まれてくれて、名前をつけさせてくれて、ありがとう。
幸せだなと思ったら、また胸の奥がキュッと痛くなった。
母と父も、こんな風にわたしの名前をつけて、わたしの将来に想いを馳せたのだろうか。ふたりで、どんな話をしたのだろう。どんな思いを込めて、直美に決めたのだろう。
わたしの母になったとき、母も幸せだっただろうか。
だとしたら、うれしい。と同時に、「なのにどうして?」という気持ちになる。直美に中学受験をさせるかどうかで母は父と幾度も言い争った。自分のせいで両親が仲違いしてしまっていることが、いたたまれなかった。
そんなことを思い出すのは、季節のせいかもしれない。
地元の公立中学校に進むことが決まった春。
その中学校を卒業することになった春。
桜の蕾が膨らみ、ほころぶ季節になると、不本意な母の不機嫌な顔と、母に言われた言葉が蘇る。
「お母さんの人生、返して」
わたしもやがて思い通りにならない娘に心ない言葉をぶつけるようになるのだろうか。
「優亜」
心の中で名前を呼んでみる。ここにいてくれるだけで幸せだと思える、今の自分を確かめるように。
「優亜」
あなたの名前は、あなたのもの。
あなたの人生は、あなたのもの。
次の物語、連載小説『漂うわたし』第65回 多賀麻希(21)「彼の指が見つけたエンダツ」へ。
イラスト:ジョンジー敦子
編集部note:https://note.com/saita_media
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