第75回 伊澤直美(25)スポットライトの当たる場所が変わっただけ
「はかどってる?」
パソコンを覗き込むイザオの顔が突然目の前に現れて、直美は「うわっ」と声が出た。イザオが部屋に入って来たことに気づかないくらい、作業に集中していたらしい。
「鏡っ子ゆあちゃん」
イザオが画面を読み上げ、「何これ?」と食いついた。
「読まないで」
直美は急いでファイルを保存すると、ノートパソコンを折り畳んだ。「優亜(ゆあ)は?」と娘の様子を聞くと、「今寝た」と返事があった。
日曜日の昼下がり。生後5か月になった優亜の子守りをイザオに任せ、ふたりをリビングに残して仕事部屋に引っ込んだ。明日までに企画書上げなきゃと言って。
それから2時間ほど経っている。
「鏡っ子ゆあちゃんって童話?」
「そんなんじゃない。育児日記。書き留めとかないと忘れちゃうから」
直美はそう言いつつ、月末に締め切りが迫った童話賞を意識しているのだが、「お茶しよっか。休憩休憩」と誤魔化し、イザオの背中を押してリビングへ移動した。
テーブルから目の届くところに敷いたタオルケットの上で寝息を立てている優亜を見ながら、イザオが淹れてくれたお茶を飲んでいると、
「鏡っ子ゆあちゃんってどんな話?」
イザオは一瞬見たタイトルがまだ気になっていた。あらすじだけでも教えてよと言うので、「鏡に映る自分と鏡の前の自分は、同じなのか、別なのかって話」と答えると、「哲学みたいだな」とイザオは言った。
「子どもを持つとマルチアーティストになる」
そう言ったのは、イザオの姉の亜子姉さんだ。美大を出て広告代理店のアートディレクターになったが、出産で会社を辞めた。育児の合間に描き始めたイラストが好評で、口コミで注文が舞い込んでいる。
亜子姉さんはすでに「アーティスト」なのだが、子どもを泣き止ませるため、ゴキゲンさんにさせるためなら、親は絵描きにも歌手にも演奏家にもコメディアンにもなる。自分にこんな芸当や舞台度胸があったのかと驚かされるし、子どもという刺激に創作意欲をかき立てられもする。
「鏡っ子ゆあちゃん」は鏡に映る優亜のことだ。
優亜は生後2か月半頃から鏡に興味を示し始めた。リビングの壁に貼りつけた全身鏡に映っている赤ちゃんが気になり、不思議そうにじっと見る。3か月を過ぎると、鏡の中の自分に笑いかけるようになった。
鏡の中の優亜に直美は「鏡っ子ゆあちゃん」と名前をつけた。優亜が鏡っ子ゆあちゃんに気を取られている間に、直美は食器を洗ったり掃除機をかけたりできるようになった。
4か月半頃から、優亜は鏡に向かって「オウ」「アウ」と大きな身振りを交えて話しかけるようになった。外出先でショーウィンドウに鏡っ子ゆあちゃんが映ると、優亜は抱っこひもから出ている両手をバタバタ動かして反応する。「ここにもいた!」と喜んで挨拶しているように見える。優亜が手をバタバタさせると、鏡っ子ゆあちゃんも同じように手をバタバタさせる。
「イザオって、いつからイザオだった?」
「何それ? 謎かけ?」
フォークで突き刺したスフレチーズケーキを宙に浮かせて、イザオが考える顔つきになる。
「優亜は自分が優亜だってわかってるのかなと思って」と直美が言うと、
「名前呼んだら反応するから、わかってるんじゃない?」とイザオが言う。
「自分の名前はわかってると思うんだけど、鏡に映っているのが自分だってわかってるのかな」
自分が映っていることをわかっているのか。鏡の中の相手も動くから面白がっているだけなのか。自分とそれ以外の区別がまだついていないのだとしたら、いつから違いがわかるようになるのだろう。そんな疑問から「赤ちゃんが鏡の中の自分を『自分』だと気づく話」を書きたくなった。
直美がマタニティビクスで通っていたスタジオがベビービクスもやっていて、赤ちゃん連れで母親同士がおしゃべりしながら体を動かせる場を提供してくれているのだが、そこにひと月ほど前から通っている。
スタジオの正面の壁は全面鏡張りになっている。鏡が大きくなれば鏡っ子ゆあちゃんの吸引力も増すのではと期待したが、最初、優亜の反応は薄かった。鏡が大きすぎて、他の赤ちゃんやママが映り込んでしまい、鏡っ子ゆあちゃんに集中できない様子だった。
肘を折り曲げたスフィンクスのポーズで優亜を鏡に向き合わせたとき、変化があった。肘を伸ばして前に突き出し、鏡っ子ゆあちゃんに向かってハイハイの真似事を始めたのだ。
お近づきになりたいという気持ちの表れだろうか。気持ちは前へ進んでいるけれど手足の動きが伴わず、床につけたおなかを中心にして時計回りにズリズリと回転する。水族館で芸を見せるアシカのような格好だ。時計に見立てると12時から3時までの90度ぐらいで力尽きていたのが、少しずつ勢いがついて、180度、270度と回転が大きくなっていった。
腕の支える力や足のけり出す力がつき、タイミングが合うようになるとハイハイになるのだとインストラクターの先生が教えてくれた。おしりを落とし、おなかを床にこすりつけてズリズリ進むハイハイを「ズリバイ」、おしりを上げてのハイハイを「高(たか)バイ」と呼ぶらしい。
「ズリバイ、高バイなんて言葉、聞いたことなかったな」とイザオが言う。妊娠中に始まって、これまでの人生で通り過ぎてきたもの、すれ違ってきたものに次々と出会っている。
日陰に光が射し込むように。
スポットライトが当たるように。
その感覚は、直美自身の生活にも当てはまる。
朝のコーヒーと夜のスパークリングワインを人生から抜くなんて考えられなかったのに、妊娠がわかった途端、体が欲しがらなくなった。授乳を続けている今も。細胞が入れ替わったのではないかというくらい、好みが変わった。我慢しているのではなく、他に飲みたいものができた。
自転車に乗って映画を観に出かけ、近くにあるレストランで食事をする。そんな休日の過ごし方を長らくしていないが、今は一人の人間が育っていく現在進行形のドラマから目が離せない。映画なんて、いつでも観られると思ってしまう。
妊娠出産、続く育児。生活が大きく変わる中で失われるものを恐れ、子どもを持つことをためらっていたが、何も失ってはいない。真ん中に来るものが置き換わったのだ。スポットライトの当たる場所が変わっただけなのだ。
存在していたけれど気づいてなかったものが、ライトが当たると浮かび上がる。「鏡っ子ゆあちゃん」なんて魔法少女のようなネーミングが自分から出てきたのも意外だったし、そのタイトルで童話を書こうとしている自分にも驚いている。
「実は、童話賞に出そうと思って」
「そうなの?」
「今月末締切で。ごめん。仕事するって言ってたのに、違うことしてて」
「いいよ。息抜きも必要だし」
「ありがとう」
イザオの寛大さにお礼を言い、なんか違うなと直美は引っかかる。一見どこもおかしなところはないのだけど、外し忘れたタグが首筋にチクチク当たっている感じ。
スポットライトの焦点がブレて、光が照らす先を失った。
次の物語、連載小説『漂うわたし』第76回 伊澤直美(26)「これは満たされてますアピールなのか」へ。
イラスト:ジョンジー敦子
編集部note:https://note.com/saita_media
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