第105回 伊澤直美(35)何を証明しようとしているの?
《おはよう、今日という日✨今日もこの日を迎えられたことに感謝✨上を向いて、胸を張って、私を咲かせましょう✨》
タワーマンションの高層階から撮ったと思われる朝日の写真と、その眩しさに負けない、前向きすぎるコメント。
ケイティのインスタが投稿されると、待ち構えていたようにコメントが次々とつく。直美はキッチンでお湯が沸くのを待ちながら、スマホの下から上へ人差し指を這わせ、コメントを追いかける。
《OKTです! ケイティの笑顔みたいなお日様が咲いてますね✨ケイティもますます咲いてください✨》
《OKTです! ケイティの言葉に毎日元気もらってます✨》
《OKTです! チーム咲きびとのみんな、今日も思いっきり私を咲かせましょう✨》
コメント欄に並ぶアイコンは見覚えのあるものばかり。固定メンバーが集まっている。前向きがさらに煮詰められて煮こじれていく。ポジティブワードがインフレを起こしている。
「OKT」は「オッケー」と「ケイティ」を合わせて「オッケーティー」と読むのだろうか。コメント欄には「KTS」のアルファベット3文字も登場する。これは「ケイティーズ」だろうか。
卵かけご飯をTKGと表すようなセンスだが、ケイティ自身のコメントにはOKTもKTSも使われていない。「ファンの方々が勝手にやっている」というスタンスのようだ。
ファンと同じレベルには降りて行かないが、ファンの盛り上がりには水を差さない。自分を高く見せるのが天才的にうまい人というのが、この数か月、ケイティのインスタを追いかけた直美の感想だ。こう動けば人が喜ぶという嗅覚がずば抜けている。
そういう人は、直美の周りにもいた。同じクラスにも。同じゼミにも。同じ部署にも。花火と同じで、離れたところから眺めていたい人たちだった。近づくと、音がうるさいし、煙が邪魔になる。
朝のルーティーンとなっているケイティのインスタチェックを終えると、今度は亜子姉さんのひまわりバッグを購入したネットショップを見に行く。
ショップの名前はmakimakimorizoという。
商品は更新されないままで、「SOLD」のついたバッグやポーチが並んでいる。その中にひまわりバッグもある。ケイティがひまわりバッグを売り出した後も商品を削除せず、ショップも閉じていないというのは、後ろめたいことがないという意志表示にも思える。
《光と視線を集めて咲くひまわり。存在感はバツグンだけど頭でっかちなのがコンプレックス。上を向いているのは、こぼれそうな何かを押し留めているのかもしれません。ひまわりが俯いたら、時が満ちた合図。夏を蓄えたシマシマの種が育ちましたとリスに教えてあげてください》
バッグの仕様ではなく思想を語るポエムのような商品説明は好き嫌いが分かれそうだ。価格帯を見ると、ひまわりバッグの6万円が飛び抜けている。次に高いのはチューリップをモチーフにしたバッグで、こちらは18651円とひまわりバッグの3分の1の値段だが、商品写真を見比べても、それほどの開きがあるようには思えない。
18651というキリの悪い数字も気になる。何かの語呂合わせだろうか。
《いい春、来い》
まさかね。
チューリップバッグと比べると、ひまわりバッグが割高に思えてしまうが、亜子姉さんは6万円という値段に運命的なものを感じている。久しぶりにイラストの仕事が舞い込み、ひまわりを描いて、6万円のギャラを受け取った。その日、初めて訪ねたネットショップで目に飛び込んだのが、ひまわりバッグだった。
自分のひまわりが売れたお金で、別なひまわりを買った。ひまわりバッグの価値を否定することは、亜子姉さんの作品にもケチをつけることになってしまう。知らないままでいるほうが幸せなのかもしれない。
《こちらの記事に出ているバッグは、先日購入させていただいたものでしょうか》と直美がネットショップに問い合わせると、
《ご購入いただいたバッグは一点もので、同じものはお作りしていません》と返信があった。
ケイティの公式サイトの問い合わせフォームからも質問をしたが「お問い合わせを受けつけました」という自動返信が届いたきりだ。
偶然似たとは考えにくいから、どちらかがどちらかのデザインを真似したと思われるが、そのことについて、ケイティもmakimakimorizoも沈黙している。
双方の間では合意ができていて、わざわざ表立って説明する必要がないのだろうか。
あるいは、どちらかがどちらかに弱みを握られているのだろうか。
太陽と月のように大きさも熱量もまったく違うふたつが引っ張り合っている。
《ケイティさんがご自身のブランドで出されているひまわりの形のバッグが、makimakimorizoさんという作家さんの一点もののバッグによく似ています。偶然でしょうか》
匿名掲示板にコメントを打ち、送信ボタンを押しかけて、直美は手を止める。
どちらが先なのか、知ったところで何になるのだろう。わたしはバッグを預かっているだけで、何も関係ないのに。
びりり。びりり。
不穏な音がしてスマホから顔を上げると、目を覚ました優亜がゴキゲンで新聞を破いている。
「優亜、それダメ!」
取り上げたのは一週間前の朝刊だ。もう何週間も溜まっている。紙で届けば目を通すのではと思ってデジタルから切り替えたのだが、習慣にしないと読まない。
ひまわりバッグのことを調べる時間があったら新聞を読んだほうがいい。優先順位を間違えている。
スマホを見ている間にも、わが子は大きくなる。
つかまり立ちができてからなかなか歩き出さなかった優亜は、1月の末に1歳の誕生日を迎える前日、突然歩き出した。最初の一歩の感動的な瞬間をいつかいつかと待ち構えていたのに、初めてとは思えない足取りですたすたと歩き出し、「初々しさがないな」とイザオを残念がらせた。溜め込んで一気に花開くタイプなのかもしれない。
散歩に出かけると、優亜は小さな指先をあちこちに向け、「見て」と言うように直美に訴える。優亜が見ている世界は、新しいものに満ちている。
地下鉄に降りる階段の脇にある証明写真の機械を優亜が指差した。開いたカーテンの奥に、高さを変えられる丸椅子。その正面にカメラ写りをチェックするモニターがある。
「鏡あるよ」と優亜と抱っこし、モニターに顔を映り込ませると、優亜は鏡の中の自分を指差し、「お、お」と挨拶する。
「鏡っ子ゆあちゃん」という童話を書いてコンクールに出したのは半年前のことだ。通知が来ないなと思ったら、とっくに受賞作品は発表されて、受賞式も終わっていた。サイトで発表されていた一次選考通過者の中にも「原口直美」の名前はなかった。
母との関係も、子育てしながらの会社勤めも、取り残されているような気後れを感じて、なんとなくスッキリしない。けれど、亜子姉さんのように創作にぶつけるパワーもなく、才能もない。匿名掲示板にひまわりバッグのことを書き込んで、指先一本で波紋を起こせたら、沈澱した気持ちが攪拌されるとでもいうのだろうか。
「何を証明しようとしているんだろ」
こぼれた暗い声に反応して、優亜が小さな手をパチパチと叩く。娘の見当違いな拍手が今の問いの答えのようにも思える。
誰かに拍手して欲しいだけなのかな、わたし。
証明写真機の壁に貼られたサンプル写真の女性と目が合った。リクルートスーツに身を包み、知的な微笑みをたたえた若い女性。整っているが派手ではない、採用担当受けしそうな顔立ち。
この人を知っている。どこかで会っている。
証明写真の女性に体重と年齢をひと回りずつ足したら、記憶の中の一人と重なった。
マタニティビクスで一緒だったサエさんだ。
次の物語、連載小説『漂うわたし』第106回 伊澤直美(36)「サレ妻の逆襲」へ。
編集部note:https://note.com/saita_media
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