第32回 佐藤千佳子(12) バズらせるってどうするの?
千佳子が家に帰ると、娘も夫もまだ帰っていなかった。持ち帰った「月刊ウーマン」をどうしようかと考える。「ここに書いてあるの、わたしが言ったことなんだよ」と自慢してみようか。家族の目につくところにおいて、どんな反応をするか、見てみようか。
キッチンカウンターの上、ガラス瓶にハーブやアイビーを挿す定位置になった場所に、それとなく、いや、わかりやすく、置いてみた。
「なんで月刊ウーマンがあるの?」
バスケ部のジャージ姿で帰宅した娘の文香が、表紙に目を留めた。
「ふーちゃん、月刊ウーマンって知ってるの?」
「だって書いてるから。ママ、こんなの読むんだ?」
「珍しい?」
「ママ、仕事するの?」
「今だって仕事してるじゃない?」
「じゃなくて、こういう仕事」
文香が表紙を指差す。モデルなのか、実在のキャリアウーマンなのか、スーツ姿の女性が歯を見せて笑っている。「スーツを着るような仕事」と言いたいのだろう。
「ふーちゃん、実はね」
「お腹空いたー。晩ご飯何?」
千佳子がページをめくる前に文香が遮り、そこで話は途切れた。
夕飯ができた頃に帰宅した夫は、月刊ウーマンを素通りした。桜の花には目を留めたのに、雑誌には興味がないらしい。
それきり、文香も月刊ウーマンのことには触れず、千佳子の高揚した気分も落ち着き、わざわざ言わなくていいかとキッチンカウンターから引き上げた。それをどこにしまおうかと考えて、LDKを見回す。
自分の棚というものを持っていないことに気づいた。考えてみれば、自分だけが読む雑誌をこれまで買ったことがなかったのだ。キッチンの吊り棚のレシピ本を差してある棚に突っ込みかけて、手を止めた。
「明日、野間さんに見せてみよう」
その思いつきに、しぼみかけたワクワクがまた膨らみ、エコバッグに月刊ウーマンを戻した。
「バズらせようよ」
月刊ウーマンの「パセリの花束」の記事を読み終えると、野間さんが言った。千佳子より20歳ほど歳上の野間さんの口から「バズらせる」というイマドキな言葉が飛び出したのが意外だった。
「野間さん、若いですね」と言うと、
「昔から使ってるよ」と言われて、さらに驚いた。
「『バズる』とは言ってなかったけどね。私が広告代理店にいた頃は、ネット広告もまだなくて、バズマーケティングって言葉もなかったけど、ニューヨークの本社から来たボスが口癖みたいに『バズを作れ』って言ってた。『バズ』って元々は蜂がブンブンいう音のことで、そっから口コミって意味になったんだよね」
そうだった。野間さんは30年前、外資系の広告代理店でバリバリ働いていて、月刊ウーマンに取材されたこともあったのだった。
そこからの野間さんの動きは早かった。店長に許可を取ると、記事をカラーコピーして、「月刊ウーマンで話題沸騰! パセリの花束!」と太字のマーカーで見出しを書き、ラミネート加工し、野菜売り場のパセリの棚に貼った。そこまで、30分足らず。
「野間さんすごい! これ、パセリ売り切れちゃうんじゃないですか」
「次の発注数がどっと増えるかも」
レジを打つ間、売り場のパセリがどうなっているか、気になって、ソワソワした。野間さんも同じ気持ちだったのだろう。客が途切れたとき、千佳子が野菜売り場のほうへ目をやると、隣のレジに入っている野間さんも、同じ方向へ目を向けていた。目が合って、ふふっと笑い合った。
野菜売り場までは距離があり、目を凝らしても、棚のパセリの売れ行きは見えない。棚の前で客が足を止めているのが見えると、「POPが目に留まったかな」と想像し、「パセリを買ってくれるかも」と期待した。
シフトが終わる時間になり、いそいそと野菜売り場に向かった。
「嘘」
と思わず声が出てしまった。従業員エプロン姿のままだったので、お客さんに聞かれては誤解を呼んでしまうところだったが、まわりには誰もいなかった。
「ワオ」
小さく驚きの声を上げて、野間さんが隣に立った。休憩に入るタイミングで様子を見に来たらしい。
二人で控え室に引っ込むと、ふうと息をついてから、二人同時に吹き出し、笑い合った。
「いやー、ここまでとはね」
「レジ打ちながら、もしかして、とは思ってましたけど」
棚のパセリは驚くほど売れていなかった。千佳子も野間さんもレジを打ちながら、「パセリが来ない」と感じていたのだが、「他のレジでは出ているのかも」と淡い期待を寄せていた。だが、どのレジでもパセリは売れていなかった。POPを出す前と後で、売れ行きに変化はなかった。
「バズらせるって難しいですね」
「考えてみたら、月刊ウーマンって言われたって、ピンと来ない人も多いよね。作戦失敗」
潔く負けを認めた野間さんは、新しいおもちゃを見つけた子どもみたいに、目が爛々としていた。次の作戦を考えているらしかった。
思いがけないことと、思うようにいかないことが、かわるがわるやって来るのが、なんだか面白い。そんなことを思いながら家に帰ると、珍しく文香が先に帰宅していた。
「ふーちゃん、早かったね。部活は?」
「期末テスト前だから」
「そっか」
「パパも帰ってるよ」
千佳子が振り返ると、部屋着に着替えた夫がリビングに入って来た。文香が夫に目配せをする。
「何?」
文香が自分の部屋に引っ込むと、ブーケの花束を抱えて戻って来た。
「ジャジャーン。ママ、お誕生日おめでとう」
「あ、今日だった」
「やっぱり忘れてたの?」
文香が中学校に上がり、自粛ムードもあり、去年は千佳子の誕生日も、夫の誕生日も、とくに何もしなかった。毎年描いてくれていた似顔絵つきのメッセージもなかった。親の誕生日を祝うのは卒業したかなとちょっぴり淋しくなったが、去年も花を贈られた記憶はある。
受け取った花束を見ると、色とりどりの花にパセリが混じっていた。
「あれ、パセリ?」
「パパが花束とパセリを買って来てくれて、組み直したんだよ」
「ねっ」と文香に言われ、「パセリは買ったんじゃなくて、うちの研究室で育てているやつをもらって来た」と夫が言った。
「なんだ。月刊ウーマンの記事に気づいてたんだ?」
千佳子がそう言うと、文香と夫が顔を見合わせた。
「月刊ウーマンって?」と夫が聞く。
「昨日、ここに置いてたやつだよね?」と文香が言う。
「そう。パセリの花束のことが載ってたんだけど、それを見たんじゃないの?」
「ううん。ママが前にパセリ活けてたから、やっただけ」
そうか。あの記事は見てないのか。じゃあ、後で話そう。まずは、晩ご飯を作ってから。「用意しといたよ」という声を期待したが、なかった。そこは誕生日のわたしが作ることになってるらしい。苦笑しながら冷蔵庫を開けると、ケーキの箱があった。
今日はこの後いくつ、思いがけないことが起こるのだろう。さっき気づいた誕生日。日付が変わるまでに、あと5時間もある。
次の物語、連載小説『漂うわたし』第33回 伊澤直美(11)「妊娠検査薬の結果を待つ間に」へ。
イラスト:ジョンジー敦子
編集部note:https://note.com/saita_media
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