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連載小説『漂うわたし』第32回 佐藤千佳子(12)「バズらせるってどうするの?」

カルチャー

2021.07.10

【前回までのあらすじ】食品メーカーの消費者インタビューで「パセリの花束」の話をしたことが「月刊ウーマン」誌に載ったことを知った千佳子。家に帰り着くまで待ちきれず、書店近くのファミレスで記事を読み、パセリのような目立たない存在だった自分が主役になったような誇らしさを味わう。自分が主役になったような誇らしさを味わう。そこは、かつて娘に大泣きされ、男性に怒鳴り込まれた店の系列店だった。

連載:saita オリジナル連載小説『漂うわたし』

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私って誰?

第32回 佐藤千佳子(12) バズらせるってどうするの?

千佳子が家に帰ると、娘も夫もまだ帰っていなかった。持ち帰った「月刊ウーマン」をどうしようかと考える。「ここに書いてあるの、わたしが言ったことなんだよ」と自慢してみようか。家族の目につくところにおいて、どんな反応をするか、見てみようか。

キッチンカウンターの上、ガラス瓶にハーブやアイビーを挿す定位置になった場所に、それとなく、いや、わかりやすく、置いてみた。

「なんで月刊ウーマンがあるの?」

バスケ部のジャージ姿で帰宅した娘の文香が、表紙に目を留めた。

「ふーちゃん、月刊ウーマンって知ってるの?」
「だって書いてるから。ママ、こんなの読むんだ?」
「珍しい?」
「ママ、仕事するの?」
「今だって仕事してるじゃない?」
「じゃなくて、こういう仕事」

文香が表紙を指差す。モデルなのか、実在のキャリアウーマンなのか、スーツ姿の女性が歯を見せて笑っている。「スーツを着るような仕事」と言いたいのだろう。

「ふーちゃん、実はね」
「お腹空いたー。晩ご飯何?」

千佳子がページをめくる前に文香が遮り、そこで話は途切れた。

夕飯ができた頃に帰宅した夫は、月刊ウーマンを素通りした。桜の花には目を留めたのに、雑誌には興味がないらしい。

それきり、文香も月刊ウーマンのことには触れず、千佳子の高揚した気分も落ち着き、わざわざ言わなくていいかとキッチンカウンターから引き上げた。それをどこにしまおうかと考えて、LDKを見回す。

自分の棚というものを持っていないことに気づいた。考えてみれば、自分だけが読む雑誌をこれまで買ったことがなかったのだ。キッチンの吊り棚のレシピ本を差してある棚に突っ込みかけて、手を止めた。

「明日、野間さんに見せてみよう」

その思いつきに、しぼみかけたワクワクがまた膨らみ、エコバッグに月刊ウーマンを戻した。

ディル

「バズらせようよ」

月刊ウーマンの「パセリの花束」の記事を読み終えると、野間さんが言った。千佳子より20歳ほど歳上の野間さんの口から「バズらせる」というイマドキな言葉が飛び出したのが意外だった。

「野間さん、若いですね」と言うと、
「昔から使ってるよ」と言われて、さらに驚いた。

「『バズる』とは言ってなかったけどね。私が広告代理店にいた頃は、ネット広告もまだなくて、バズマーケティングって言葉もなかったけど、ニューヨークの本社から来たボスが口癖みたいに『バズを作れ』って言ってた。『バズ』って元々は蜂がブンブンいう音のことで、そっから口コミって意味になったんだよね」

そうだった。野間さんは30年前、外資系の広告代理店でバリバリ働いていて、月刊ウーマンに取材されたこともあったのだった。

そこからの野間さんの動きは早かった。店長に許可を取ると、記事をカラーコピーして、「月刊ウーマンで話題沸騰! パセリの花束!」と太字のマーカーで見出しを書き、ラミネート加工し、野菜売り場のパセリの棚に貼った。そこまで、30分足らず。

「野間さんすごい! これ、パセリ売り切れちゃうんじゃないですか」
「次の発注数がどっと増えるかも」

レジを打つ間、売り場のパセリがどうなっているか、気になって、ソワソワした。野間さんも同じ気持ちだったのだろう。客が途切れたとき、千佳子が野菜売り場のほうへ目をやると、隣のレジに入っている野間さんも、同じ方向へ目を向けていた。目が合って、ふふっと笑い合った。

野菜売り場までは距離があり、目を凝らしても、棚のパセリの売れ行きは見えない。棚の前で客が足を止めているのが見えると、「POPが目に留まったかな」と想像し、「パセリを買ってくれるかも」と期待した。

パセリのpop

シフトが終わる時間になり、いそいそと野菜売り場に向かった。

「嘘」

と思わず声が出てしまった。従業員エプロン姿のままだったので、お客さんに聞かれては誤解を呼んでしまうところだったが、まわりには誰もいなかった。

「ワオ」

小さく驚きの声を上げて、野間さんが隣に立った。休憩に入るタイミングで様子を見に来たらしい。

二人で控え室に引っ込むと、ふうと息をついてから、二人同時に吹き出し、笑い合った。

「いやー、ここまでとはね」
「レジ打ちながら、もしかして、とは思ってましたけど」

棚のパセリは驚くほど売れていなかった。千佳子も野間さんもレジを打ちながら、「パセリが来ない」と感じていたのだが、「他のレジでは出ているのかも」と淡い期待を寄せていた。だが、どのレジでもパセリは売れていなかった。POPを出す前と後で、売れ行きに変化はなかった。

「バズらせるって難しいですね」
「考えてみたら、月刊ウーマンって言われたって、ピンと来ない人も多いよね。作戦失敗」

潔く負けを認めた野間さんは、新しいおもちゃを見つけた子どもみたいに、目が爛々としていた。次の作戦を考えているらしかった。

思いがけないことと、思うようにいかないことが、かわるがわるやって来るのが、なんだか面白い。そんなことを思いながら家に帰ると、珍しく文香が先に帰宅していた。

「ふーちゃん、早かったね。部活は?」
「期末テスト前だから」
「そっか」
「パパも帰ってるよ」

千佳子が振り返ると、部屋着に着替えた夫がリビングに入って来た。文香が夫に目配せをする。

「何?」

文香が自分の部屋に引っ込むと、ブーケの花束を抱えて戻って来た。

「ジャジャーン。ママ、お誕生日おめでとう」
「あ、今日だった」
「やっぱり忘れてたの?」

文香が中学校に上がり、自粛ムードもあり、去年は千佳子の誕生日も、夫の誕生日も、とくに何もしなかった。毎年描いてくれていた似顔絵つきのメッセージもなかった。親の誕生日を祝うのは卒業したかなとちょっぴり淋しくなったが、去年も花を贈られた記憶はある。

受け取った花束を見ると、色とりどりの花にパセリが混じっていた。

パセリの花束

「あれ、パセリ?」
「パパが花束とパセリを買って来てくれて、組み直したんだよ」

「ねっ」と文香に言われ、「パセリは買ったんじゃなくて、うちの研究室で育てているやつをもらって来た」と夫が言った。

「なんだ。月刊ウーマンの記事に気づいてたんだ?」

千佳子がそう言うと、文香と夫が顔を見合わせた。

「月刊ウーマンって?」と夫が聞く。
「昨日、ここに置いてたやつだよね?」と文香が言う。
「そう。パセリの花束のことが載ってたんだけど、それを見たんじゃないの?」
「ううん。ママが前にパセリ活けてたから、やっただけ」

そうか。あの記事は見てないのか。じゃあ、後で話そう。まずは、晩ご飯を作ってから。「用意しといたよ」という声を期待したが、なかった。そこは誕生日のわたしが作ることになってるらしい。苦笑しながら冷蔵庫を開けると、ケーキの箱があった。

今日はこの後いくつ、思いがけないことが起こるのだろう。さっき気づいた誕生日。日付が変わるまでに、あと5時間もある。


 

次の物語、連載小説『漂うわたし』第33回 伊澤直美(11)「妊娠検査薬の結果を待つ間に」へ。

イラスト:ジョンジー敦子

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著者

今井 雅子プロフィール

今井 雅子

脚本家。 テレビ作品に連続テレビ小説「てっぱん」、「昔話法廷」、「おじゃる丸」(以上NHK)。2022年「失恋めし」をamazon primeにて配信。「ミヤコが京都にやって来た!〜ふたりの夏〜」(ABCテレビ)を9月30日より3夜連続で、「束の間の一花」(日本テレビ)を10月期に放送。映画作品に「パコダテ人」、「子ぎつねヘレン」、「嘘八百」シリーズ(第3弾「嘘八百 なにわ夢の陣」2023年1月公開)。出版作品に「わにのだんす」、「ブレストガール!〜女子高生の戦略会議」、「産婆フジヤン〜明日を生きる力をくれる、93歳助産師一代記」、「来れば? ねこ占い屋」、「嘘八百」シリーズ。音声SNSのClubhouseで短編小説「膝枕」の朗読と二次創作をリレー中。故郷大阪府堺市の親善大使も務めている。

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