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連載小説『漂うわたし』 第4回「どっちが産むか選べたらいいのに」

カルチャー

 連載小説 漂うわたし カバー画像

2020.12.26

【前回までのあらすじ】同期入社のイザオと結婚して4年になる直美は、掃除も料理も得意な夫との共働き生活に満足していた。会社の給料には男女差があるが家庭内では男女平等、夫婦で歩調を合わせられていると思っていた。子どもを持つのもしばらく先のつもりでいたのだが、夫は違うことを考えていた。

漂うわたし第4回

【BackNumber】

第3回 伊澤直美(1) 給料日にモヤモヤする理由

第4回 伊澤直美(2) どっちが産むか選べたらいいのに 

「子どもどうするって急に言われてもねー」

会社の昼休み、直美は同期入社の田沼深雪をランチに誘った。頭の2文字と最後のひと文字をつなげてあだ名にする同期の内輪ルールで「タヌキ」と呼んでいるが、見た目は猫に近い。それも血統書つきの高級猫。有名私大のミスコンで準ミスになった美貌の持ち主だ。

昨夜、イザオは酔った勢いで、実はずっと子どもが欲しかったけど言い出せなかったと言い、早ければ早いほどいい、できるだけ早く産んで欲しいと頭を下げた。なぜか涙ぐんでいて、直美は一気に酔いが冷めた。

「頼まれたからって産めるものじゃないよね?注文を受けて料理出すのとは訳が違うんだから」

直美が言うと、絶妙なタイミングでミラノ風カツレツが運ばれて来た。ナイフとフォークで切り分けると、立ち上る湯気とともにチーズがあふれ出す。今日も揚げたてだ。ひと口ほおばると、サクサクの衣とチェダーチーズのコクと肉の旨味が口の中で溶け合う。同じものを頼んだタヌキと「至福〜」と笑い合った。

チーズ入りカツレツ

「してる?」とタヌキが3文字で聞いて来た。「ないね」と直美も3文字で答える。

イザオとは結婚前からすでにセックスレス気味だった。結婚前の8年の同棲期間の前半で一生分を済ませてしまった感がある。結婚3年目になって新居に引っ越した日、場所が変わって気分が変わったのか、荷ほどきをしている直美に手を伸ばしてきた。一年前の今頃。それが最後だ。

「種も蒔いてないのに収穫するって手品ですかって、こっちも酔いにまかせて絡んだわけ」
「タネってウケる。で、どうなったの?」
「久しぶりにその気になったんだけど、そのまま酔いつぶれちゃった」
「タネ蒔き、不発かー」

ただでさえ華やかな容姿で店内の視線を集めているタヌキが、よく通る声で「タネ」を連発するので、直美は話題を変えた。

「マトメがイザオに泣きついてたよ。タヌキが指輪受け取ってくれないって」

同期入社のマトメ(的場始)はタヌキに何度も振られた末に、直美とイザオの結婚披露宴の3次会で口説き落とした。「30代になって市場価格が急落したとこを狙い撃ちされた」とタヌキは嘆いていたが、あれから4年続いている。親元暮らしで箱入り娘のタヌキと旅行もままならないマトメは、早く結婚して一緒に暮らしたがっているのだが、タヌキは煮え切らない。

「まだ掘り出し物が出るかもって期待してる?」
「それはないけど。やっぱ結婚って面倒だよね」
「そんなことないよ。ふたりで暮らすの楽しいし、何かとラクになるし」
「3人になったら?」

タヌキに聞かれて、直美は黙る。話題が「子どもどうする?」に戻ったところで、食後のコーヒーと追加で頼んだプチデザートが運ばれて来た。

婚約指輪

「イザオがさ、子育ても分担するからって言ったんだよね」
「言いそう」

産んでくれたら後は何でもやるとイザオは言ったのだ。だから、そこまでは頼む、と。

「妊娠出産は夫婦で分担できないっての!わたしが 産むしかないの!授乳も母親にしかできないし!」
「母乳じゃなくて、粉ミルクで育てる道もあるけど」
「でも、9か月も大きなおなか抱えて通勤できない!」
「ま、膨らむのは後半何か月だけど」
「産むの絶対痛いけど、イザオに代わってもらえないし!」
「それは終わる痛みだし。無痛分娩もあるし」 

直美の心配のひとつひとつに、タヌキは「なんとかなるよ」的な返事をしてから「知らんけど」と関西弁でおどけて笑った。「知らんけど」と直美も笑った。

「でも、男は最初っから、知らんけど、だからね」とタヌキが言い、「そこ!」と直美が食いついた。

「男は何も変わらない!おなかも大きくならないし、おなかの子を守らなくていいし、産む痛みも味わわない。妊娠出産で振り回されるのは女だけ!」

妊娠出産だけじゃない。それにまつわる不便も不安も不快も夫は分担できない。妻一人が引き受けることになる。

「そこまで考えてから、子どもどうする?って言って欲しいよね!」
直美が勢い込んで言うと、
「やだ、いたの?」
タヌキが驚いた声を上げた方向、レジの前にマトメがいた。その向こうに立ち去るイザオの背中が見えた。会社から離れた店にしたのに、よりによって同じ店にいたとは。

そう言えば、昨夜、イザオの作ったカリフラワーのチーズ焼きをおかわりしながらチーズ愛を語り、「あの店のミラノ風カツレツがおいしい」と話題にしたことを直美は思い出す。

クリスマスオーナメント

「そっちの話は聞こえてなかったけど、多分、同じ 話、してたと思う」
タヌキに手招きされたマトメがテーブルまで来て、 直美に告げた。
「イザオ、昨日の話、覚えてたんだ?」 
「酔ったフリして切り出したけど、子どもなんていらないってバッサリ斬られたって」
「いらないとは言ってないって」
直美が言い返すと、マトメが言った。
「先週白組会やったとき、マツリに急かされたんだよ」

マツリ(松井政則)に子どもが生まれ、同期の男子会、通称「白組」で出産祝い飲み会を開いたら、「お前んとこも早く作れ」発言が出たらしい。

「イザオは、うちはまだまだって言ってたんだけど、マツリに、子育ては体力勝負だからスタートは早いほうがいいって言われて、焦ったんじゃないかな」
  
それだけ言って、マトメは先に店を出た。イザオをかばったつもりらしいが、直美は、むしろ追い討ちをかけられた気持ちになり、「やっぱり男は他人事だよね」と冷めたコーヒーをすする。
  
「ハラミは、子どもを持つ気はないの?」
「この先、いつかは持ちたいとは思ってるけど」
「いつかっていつ?」
「今じゃないかなって」
「でも、私たち、もうすぐ35だよ。マルコー突入だよ」
  
少し前まで35歳を過ぎると「高齢出産」と言われた。産むならそんなに待っていられない。そんなこと、わかってる。だけど、サークルの勧誘みたいなノリで、始めるなら早いほうがいいなんて、軽々しく言わないで欲しい。

「どっちが産むか、選べたらいいのにね」

タヌキの言う通りだ。涙ぐむほど子どもが欲しいのなら、イザオが産めばいい。名刺の名字は夫の姓か妻の旧姓を選べるようになっても、妊娠出産は夫か妻かを選べない。

テーブルに置かれたメニューに目をやる。イザオもミラノ風カツレツを注文しただろうか。ランチは同じメニューを見て、同じ選択肢から選べるのに。なんだよ。

 

次回『派遣切りのたびに削られる 』に続く

イラスト:ジョンジー敦子

※表示価格は記事執筆時点の価格です。現在の価格については各サイトでご確認ください。

著者

今井 雅子プロフィール

今井 雅子

脚本家。 テレビ作品に連続テレビ小説「てっぱん」、「昔話法廷」、「おじゃる丸」(以上NHK)。2021年「ミヤコが京都にやって来た!」(ABCテレビ)と「アイカツプラネット!」(テレビ東京)に参加。映画作品に「パコダテ人」、「子ぎつねヘレン」、「嘘八百」シリーズ。出版作品に「わにのだんす」、「ブレストガール!〜女子高生の戦略会議」、「産婆フジヤン〜明日を生きる力をくれる、93歳助産師一代記」、「来れば? ねこ占い屋」、「嘘八百」シリーズ。短編小説「膝枕」が音声SNSのClubhouseで朗読リレーと二次創作リレー中。故郷大阪府堺市の親善大使も務めている。

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