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連載小説『漂うわたし』 第213回 伊澤直美(71)「かたてぶくろ」

カルチャー

2026.01.31

【前回までのあらすじ】一家で出かけようとした休日の朝、洗濯を干し忘れていたことを同期入社の夫イザオになじられた伊澤直美。在宅勤務と言ってもヒマなわけじゃないのに。娘の優亜を連れて向かった先は横浜のパンケーキ屋kirikabu。以前スーパーマルフルの佐藤千佳子にハーブマルシェの相談をされた後、一家で再訪したとき、千佳子と娘の文香に遭遇した思い出がある。店の本棚で優亜が見つけた布絵本は、月曜日と日曜日がささいなことでケンカをする内容で、作者の十文字パセリは佐藤千佳子のペンネームだった。

連載:saita オリジナル連載小説『漂うわたし』

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漂うわたし

第213回 伊澤直美(71) かたてぶくろ

「ほんとに落ちてたんだね。生片手袋」

ミラノ風カツレツを口に運びながら、テーブルの向かいの席でタヌキが言った。

「切りどころ間違うと物騒だね。生片手袋」と直美が突っ込むと、
「生片手・袋。ほんとだ」とタヌキが笑った。

切れ長の目を細めると、目尻に皺が寄る。入社したときから年相応に重力と紫外線の影響は受けているが、タヌキは今も今日も美しい。

同期入社で商品開発部の同僚でもある田沼深雪。名字の頭ふた文字と下の名前の最後ひと文字を組み合わせてあだ名にする同期ルールでタヌキと呼んでいる。同期の的場始、マトメと結婚したが、マトキにはならず、タヌキのままだ。

入社したときは名字が原口だった直美も、同期の伊澤孝雄、イザオと結婚した後もハラミのままだ。

ランチタイムに、いつもの洋食屋で、いつものミラノ風カツレツ。タヌキとふたりでランチのときは、ほぼこの店で、ほぼミラノ風カツレツを食べている。

直美とイザオのすれ違いも、タヌキとマトメの結婚までの盛り上がりも、向かい合ってミラノ風カツレツを食べながら聞き合った。

今から5つ前の冬、酔ったイザオに子どもが欲しいと涙ぐまれた次の日も、今と同じテーブルにいた。

「頼まれたからって産めるものじゃないよね?注文を受けて料理出すのとは訳が違うんだから」

直美がそう言ったとき、絶妙なタイミングでミラノ風カツレツが運ばれて来たのを覚えている。

フォークで持ち上げたミラノ風カツレツの一切れ。断面からチーズが溶け出している。

入社してすぐイザオと同棲を始め、結婚してから4年経ち、恋愛よりも生活の比重が大きくなり、キスもその先もすっかり減った頃だった。

「種も蒔いてないのに収穫するって手品ですかって、こっちも酔いにまかせて絡んだわけ」

直美がそう言うと、タヌキは面白がって「タネ」を連発した。

「ハラミは、子どもを持つ気はないの?」と聞かれ、
「いつかは持ちたいとは思ってるけど、今じゃないかな」と答えた。

「どっちが産むか、選べたらいいのにね」

そう言ったタヌキはマトメと付き合っていたけれど、まだ指輪を受け取っていなかった。

「いつか」はなかなか「今」にならず、イザオとの産む、産まないのすれ違いは続き、溝を深めた。子どもが欲しいと言いながらお揃いのシティバイクを買おうと言い出したイザオの気まぐれを咎めて言い争いになり、怒ったイザオが家を出てマトメの部屋に転がり込んだ。その頃、タヌキはマトメとの結婚を「いつか」から一歩踏み出そうと決めたところだった。

「ハラミとイザオはいつ仲直りするんですか?」

いつか、いつかの先延ばしの呪いを解く方法は、いつかの「か」を「いつ」と切り離すこと。期限を問い、答えを迫ることで、「いつか」が目の前の課題になる。タヌキとマトメに間を取り持ってもらい、イザオが帰ってきて、仲直りして、直美の中に命が宿った。

優亜に会えたのは、タヌキとマトメのおかげだ。

タヌキとマトメにもその自覚はあるのか、親戚の子を迎えるように優亜の誕生を喜び、成長を見守ってくれている。子育てが大変なときに手伝ってくれ、おむつも替えてもらった。子守りをお願いしたこともある。

7年の交際期間を経てタヌキとマトメが結婚したときには、一家でパーティーに出席した。

優亜を真ん中にして手をつないで結婚パーティーへ向かうイザオ、優亜、直美一家の後ろ姿-

誕生日も毎年祝ってくれる。1歳、2歳、3歳。そのときの優亜に合った絵本を贈ってくれる。

4歳になった今年の誕生日、会社帰りにタヌキとマトメが立ち寄り、優亜に直接手渡してくれた絵本が『かたてぶくろ』だった。さまざまな色や形の片方の手袋が、もう片方を探し、再会して、めでたしめでたしというパズルと冒険を組み合わせたお話だ。

その週末、一家で出かけた越後湯沢で片手袋に遭遇した。

「あ、かたてぶくろ!」

優亜が指差す先、雪の上に赤い点が見えた。近づくと、手袋の形をしていた。

その場で写真を撮り、「かたてぶくろ!」とメッセージを添えて、タヌキに送った。

タヌキが「ほんとに落ちてたんだね。生片手袋」と言ったのは、そのときの片手袋のことだ。

「今年も越後湯沢?」
「そうなの。去年と同じところに泊まったんだけど、お誕生日でしたねって覚えててくれて。優亜の誕生日祝い、毎年ここでやろっかってイザオと話してる。新幹線降りたら歩いてゲレンデ行けるし」

優亜の3歳の誕生日祝いに一家で初めて越後湯沢に行ったのが一年前の今頃だった。

一年ぶりに同じ場所を訪れたことで、一年前からの成長を感じられた。去年はソリ遊びだったが、今年はスキー板をはいて、後ろからイザオに抱えてもらって坂を滑り降りた。

「ハイハイしてた優亜が、スキーデビューかぁ」

タヌキがしみじみと言う。

「そうなの。あっという間」

直美もしみじみと言う。

去年、初めて見る雪に興奮した優亜は、今年は、初めて見つけた「かたてぶくろ」に歓声を上げた。

手編みのような赤い毛糸の手袋。積もった雪の上に片方だけ落ちている。

「絵本で読んだばかりの片手袋が現実に落ちてたことにびっくりしたんだけど」

あの日の雪の上の鮮やかな赤い手袋を脳裏に思い浮かべ、直美は話を続ける。

「まるで、優亜のために誰かが置いて行ってくれたみたいって、わたし、思って。イザオも同じことを思ったみたいで、『片手袋さん、優亜を待ってたのかな』って言ったの。そしたら優亜が、『かたてぶくろさんは、ゆあじゃなくて、おむかえをまってるんだよ』って言って。『そっか。早く見つけてもらえるといいね』ってわたしが言ったら、『ここでまってたらあえるの』って言われて。あ、そっか。落とされて、ここにいるんじゃなくて、ここが待ち合わせの場所なのか。そんな見え方もあるんだって。後で同じ場所を通ったら、片手袋がいなくなってて、それを見た優亜が、ほらねって目でわたしとイザオを見たの。子どもの視点って面白いし、深いよね。去年の『おめめ、わすれてる』も衝撃だったし」

ミラノ風カツレツを食べ進めながら、直美は越後湯沢の話を続け、今年から去年へ時を戻す。

雪を固めて作ったねずみをホテルの部屋に持ち帰ったあくる朝、直美とイザオはあわてた。

暖房のきいた部屋で、雪ねずみは溶けて消えてしまっていた。

だが、目を覚ました優亜は、雪ねずみを置いていた皿を見て、屈託なく言った。

「おめめ、あるねえ」

目玉だった黒い小石が二つ、雪が溶けた水に囲まれ、取り残されていた。

当時の優亜は「ある」と「ない」で世の中を見ることを覚えたばかりだった。絵本を開いて、「ゆき あるねえ」と言い、マンションの窓の外を見て、「ゆき ないねえ」と言う姿を見て、雪を見せてあげたいと思ったのだった。

皿の上に残された小石を前に、優亜は首を傾げ、考えた。なぜ、「おめめ」がそこに「ある」のか。やがて、わかったという顔になった。

「ゆきねずみさん、おめめ、わすれてる!」

皿に置いていた雪ねずみが溶けて水になり、小石の目玉だけが残っている。

優亜が見ている世界、子どもだった自分たちが見ていたかもしれない世界を覗けた出来事だった。

「溶けた雪じゃなくて、残された目玉を見るっていう、なんか哲学だなって思ったんだけど、片手袋もさ、落とされてひとりぼっちだと淋しいし心細いけど、いつもの場所でお迎えを待ってるなら、会えたら何を話そうかってワクワクしてるかもしれないし。あ、でも、保育園でお迎えを待つ自分と片手袋を重ねてるのかな。そう思うと、ちょっと切ないね」

ミラノ風カツレツの最後のひと切れを口に入れると、直美はテーブルに置いたスマホを手に取る。

「片手袋って結構落ちてて。見かけたら写真撮ってるんだけど、東京に戻ってから3回も遭遇したの。優亜が最初に見つけるんだけど、今まで、なんで気づかなかったんだっていうくらい。あっちでもこっちでも落ちてる。じゃなくて、お迎え待ってる」

カメラロールを遡るが、片手袋の写真が出てこない。

「こないだ新宿御苑に行ったときだから、この辺かな」

「今は、いいよ」とタヌキは言うが、直美は手を止めない。
「ちょっと多いよね」
「落とす人は多いけど探しに来る人が少ないから、片手袋が増えちゃうのかも。手袋も百均で買えちゃうし」
「じゃなくて、優亜の話」

カメラロールを遡る直美の手が止まった。

目線を上げると、タヌキの切れ長の目は笑っていなかった。

罫線

次回2月7日に伊澤直美(72)を公開予定です。

編集部note:https://note.com/saita_media
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著者

今井 雅子プロフィール

今井 雅子

脚本家。 テレビ作品に連続テレビ小説「てっぱん」、「昔話法廷」、「おじゃる丸」(以上NHK)。2022年「失恋めし」をamazon primeにて配信。「ミヤコが京都にやって来た!〜ふたりの夏〜」(ABCテレビ)を9月30日より3夜連続で、「束の間の一花」(日本テレビ)を10月期に放送。映画作品に「パコダテ人」、「子ぎつねヘレン」、「嘘八百」シリーズ(第3弾「嘘八百 なにわ夢の陣」2023年1月公開)。出版作品に「わにのだんす」、「ブレストガール!〜女子高生の戦略会議」、「産婆フジヤン〜明日を生きる力をくれる、93歳助産師一代記」、「来れば? ねこ占い屋」、「嘘八百」シリーズ。音声SNSのClubhouseで短編小説「膝枕」の朗読と二次創作をリレー中。故郷大阪府堺市の親善大使も務めている。

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