第201回 伊澤直美(67) 楽しいから笑うんじゃない
《楽しいから笑うのではない。
笑うから楽しいのだ》
いつかの時代のどこかの国の哲学者だったか心理学者だったかの言葉だ。直美が教わったのは、大学の教養課程の授業だった。
笑うという行動に引っ張られて、楽しいという感情が後からついて来る。笑っていると、実は楽しいのではないかと脳が錯覚する。笑えない状況でも、あえて笑うことで、気持ちが明るくなる。
そんな話だった。
そのときは「何だそれ?」と思った。講義をしていた先生が仏頂面で説得力がなかったせいもある。楽しくなくても笑いましょう、笑っているうちに楽しくなってきますなんて、ただの現実逃避、自分を騙しているだけじゃないか。
だが、歳を重ねるにつれ、「そういうことね」とだんだんわかってきた。
笑えないけれど、笑うしかない場面はある。そういうときは、とりあえず笑ってみる。少なくとも口角が上がって笑顔になる。
口角を上げたまま怒ったり悲しんだりするのは難しい。笑うと、他の感情が入り込む隙間を塞げる。負の感情につけ込まれずに済む。
だけど、「楽しくなる」までは行かない。笑ったら楽しくなるなんて、そんな単純な話じゃない。
そう思っていた。この夏までは。
「ワッハッハー」と笑い転げるかいじゅうと出会うまでは。
保育園に持っていくものを忘れたら、ワッハッハー。
反対側の電車に乗ってしまったら、ワッハッハー。
診察券だと思ってポイントカードを出してしまったら、ワッハッハー。
「ワッハッハー」と吹き出しに書いたみたいにはっきりと声に出して笑うと、とりあえず気が紛れる。ちょっとした失敗や落ち込みくらいは吹き飛ばせる威力がある。
笑うと、もしかしたら楽しいのではないのかと脳が錯覚するって、こういうことだ。笑っていると、楽しいがついて来る。魔法の言葉だ。ワッハッハー。
ケイティの「OKT」も、そんな言葉だったのだろうか。
インフルエンサーのケイティとその取り巻きの合言葉、「OK」と「ケイティ」を組み合わせた「OKT」。
イザオの姉の亜子姉さんの代理で購入したひまわりバッグとそっくりなバッグをケイティが売り出した頃、直美が首を突っ込むことでもないのだが、ケイティのインスタを追いかけるのが日課になっていた。コメント欄には「OKT」が飛び交っていた。
ケイティの信者だから「OKT」と盛り上がっていたのではなくて、「OKT」と言い合ううちに、ケイティがどんどんありがたい存在になっていったのかもしれない。
唱えているうちに気分が上がって、気持ちがついて来る。おまじないや念仏って、そういうものだ。
今日も朝からワッハッハーに助けられた。
優亜を保育園に送り届けて駅へ向かうと、いつもより時間に余裕があった。コーヒーを飲んで行こうと思い、駅前のコーヒーショップに入った。コーヒーを席に運ぶ途中で、すれ違った他の客をよけようとしてトレイが傾き、カップからコーヒーがあふれた。
相手は気づかず立ち去って店を出てしまい、店員たちは客をさばくのに忙しく、誰にも声をかけられないまま気を取り直してガラス壁に面したカウンター席に陣取ったが、コーヒーの半分ほどはトレイにこぼれてしまっていた。
コーヒーは服にもかかっていた。白い半袖のセーターに。
なんで、よりによって、白なんか着てきたんだろう。なんで、今日に限って、コーヒーを飲んで行こうなんて思ったんだろう。
ついてない。泣きたい。そんなときは、お腹を抱えて笑い転げるかいじゅうを心の中に呼び出す。
周りに人がいるから、大きな声では言わない。カウンター席の右隣でスマホを見ているスーツ姿の若い男性にも左隣で単行本を広げている初老の女性にも聞こえないくらいの小さな声で、けれど口は大きく開いて、口角を上げて、「ワッハッハー」と唱える。
白いセーターにコーヒーが飛んで、乳牛になっちゃったよ。ワッハッハー。
水で拭いても、茶色いしみは取れなかった。
誰かに聞かれたら、一緒に笑ってもらおう。ワッハッハー。
ところが、会社に出ても、誰にもセーターのしみのことを突っ込まれなかった。
誰もわたしのことなんて見てないや。ワッハッハー。
午後からのミーティングに5分ほど遅れて出ると、すでに話が始まっていた。待ってくれなかったんだと軽く傷ついた。「遅れてごめんなさい」とミーティングを仕切っている後輩のハラミ2号に言うと、「あれ? ハラミさん、声かけてましたっけ」と言われ、傷口が広がった。
ここは、ひるんだら負けだ。こういうときこそワッハッハーの出番だが、いっぱいいっぱいで笑う余裕がない。
「あれ? ハラミさん、そこどうしちゃったんですか」
ハラミ2号がセーターの茶色いしみに気づいた。
「私も気になってました」
「コーヒーですか?」
他の出席者も口々に言う。気になってたら言ってよ。
「そうなの。人とぶつかりそうになって、浴びちゃった。ワッハッハー」
やっと言えた。ワッハッハー。
「笑うしかないですね」
「そういう日に限って白着ちゃうの、わかりますー」
他の出席者たちもうなずく。皆それぞれ同じような失敗をしたことがあるのだ。あるある。わかるわかる。笑顔の輪が広がる。その中心にわたしがいる。
気まずさは消え、居場所ができて、そのままミーティングを続けられた。ワッハッハーが空気を変えてくれ、潤滑油になってくれた。
夕方、優亜のお迎えに行けなくなったからとイザオから連絡が来たときも、ワッハッハーの効力は続いていた。
早く優亜に会える。ワッハッハー。
保育園の帰りにスーパーに寄って帰り、右手に優亜の着替えを入れた通園バッグ、左手にエコバッグを提げ、玄関を抜けてリビングに入ったところで、つんのめって手からバッグが離れた。通園バッグではなく、エコバッグのほう。
何かが潰れるような音がした。
卵、買ってきてたんだった。
袋からパックを取り出すと、卵の殻にヒビが入っていた。10個とも全部。やってしまった。
ここまで何とかやり過ごしてきたけど、トドメを差された。もう限界だ。やっぱりついてない。泣きたい。でも、優亜の前で泣くわけにはいかない。
「ワッハッハー」
声に出して言ってみる。元気のない暗い声。全然楽しくならない。だけど、気は紛れた。涙をやり過ごせた。
「たまご、ギザギザになってるねえ」
直美の隣でヒビの入った卵を見ている優亜が言った。
「うん。ヒビが入っちゃったね」
大丈夫。声はふるえていない。泣き声になっていない。
「かいじゅうさんがうまれるんじゃない?」
「え?」
思わず優亜を見た。優亜はキラキラした目でヒビの入った卵を見ている。
「きょうりゅうがうまれるときも、たまごがギザギザになるんだよ」
そう言えば、優亜が近頃恐竜の絵本を気に入って読んでいると保育園の連絡帳に書いてあった。その絵本に恐竜の赤ちゃんが生まれる場面があって、ヒビの入った卵が出てくるのだろうか。
卵に入ったヒビを見て、直美は「終わった」と思ったけれど、優亜は命のはじまりを見ている。優亜が見ている卵は、世界は、楽しいのだ。無理に笑わなくても。
「ママ、どうしたの?」
優亜が心配そうに直美の顔をのぞきこむ。
「ママ、どうしてないてるの?」
楽しいから笑うんじゃない。
悲しいから泣くんじゃない。
「優亜がかわいいから泣いてるの」
「ゆあちゃんがかわいいと、ママがなくの?」
「そうだよ。かわいい、かわいいって泣くんだよ」
言いながら、どこかで聞いたことあるフレーズだと直美はデジャヴを覚える。そうだ。童謡「七つの子」の歌詞だと思い至る。
カラスはなぜ鳴くのか。かわいい七つの子があるからだ。七つは歳だと思っていたけれど、カラスの子どもの数だろうか。一人でもこんなにかわいいんだから、7羽分鳴かなきゃならないカラスは、そりゃ忙しい。うるさいくらい鳴き続けるのも納得だ。
今わかった。カラスのお母さんの気持ち。
「あれ? ママ、わらってるー」
「え? 笑ってる?」
「ヘンなの。なくのか、わらうのか、どっちかにしなさい」
大人が子どもをたしなめる口調で優亜が言う。保育園の給食の時間、口の中に物を入れたままおしゃべりすると、保育士さんに「食べるか、しゃべるか、どっちかにしなさい」と注意されるのだ。
直美はますます泣き笑いになる。
泣いているのは悲しいからではないけれど、笑っているのは楽しいからだ。
次回9月27日に伊澤直美(68)を公開予定です。
編集部note:https://note.com/saita_media
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