第160回 伊澤直美(54)プレゼンごっこだと思ってた
「プレゼンってやったことがなくて。でも、一度やってみたかったんです」
初プレゼンの佐藤さんがテーブルに出した資料は一人一部ではなく、一部を一緒に見るスタイルだった。
新鮮だと直美は思う。感心しているわけではない。体を90度に捻らなくてはならない。
「パートで一緒だった野間さんが、よく本部にプレゼンしてたんですけど、野間さんは今、アムステルダムに行ってしまって」
知らない名前がいきなり登場する。野間さん。パートの同僚。本部にプレゼン。今アムステルダム。どういう人物なのだろう。
「マイさんに相談したら、プレゼンは熱意を伝えることが大事って教えてもらって。マイさんの会社のハーブをうちの店で扱っているんですけど、ハーブみたいに元気でパワフルな人なんです」
マイさん。また知らない人が出てきた。ハーブ会社の人。ハーブみたいにパワフル。マルフル担当の営業さんだろうか。
「マルフルマルシェ」と表紙のロゴを読み上げると、
「略してマルマルです」と佐藤さんが得意げに言った。
本人は気に入っているようだが、流行らない気がする。こういうとき、「いいですね」と持ち上げる適当さと器用さとを残念ながら持ち合わせていない。
バジルらしき葉っぱをあしらったロゴの上に「ハーブでつながる! 広がる!」と緑色のペンで書き添えられている。プリントアウトに手書きで書き入れているようだ。
ちょうど先日、イザオの姉の亜子姉さんに「パソコンができないって理由でPTAの役を引き受けない人が多い」と聞いたところだった。「でも、今は何でもスマホでできちゃうから、断る理由にならないんだよね」と話は続いた。
たしかにリモート会議も文書作成もアンケートフォームを作成するのも集計するのもスマホで事足りる。優亜の保育園の行事ポスターも、今年の広報委員はスマホで作っているらしい。初プレゼンの佐藤さんは、資料作りにも慣れていないのかもしれない。
佐藤さんが表紙をめくり、
「あ、マイさん、ここにいます。この人です」
とイラストに描かれた緑のエプロンの女性を指差した。
「マイさん」は商品を並べた台の後ろに立っている。マルシェで売り子をする人だということしかわからない。情報がなさすぎる。
イラストはマルシェのイメージ図らしい。温かみと親しみがあり、絵本のようなタッチは悪くない。
「ハーブを使ったお菓子を作っているパティシエさんやハーブ染めのクラフト作家さんにも声をかけて、みんなでにぎやかにしたいなって思っているんです」
みんなでにぎやかにしたいというノリに直美は既視感を覚える。あれだ。保育園のバザーだ。
「お仕事のご相談だったんですね。優亜を連れて来なくてよかった」とあえて言ってみると、
「そうなんですか。優亜ちゃんと一緒に来られると思ってました。会いたかったな」と佐藤さんは言った。
やはりバザーのノリだ。プレゼンというよりプレゼンごっこだ。
それより娘の名前を伝えていたっけ。試食イベントのときに言ったのだろうか。いつの間にか「直美さん」と下の名前で呼ばれているのも居心地悪い。ママ友みたいだ。
子どもの名前は一度会ったら覚えましょう。覚えていることを伝えましょう。母親同士は「誰々ちゃんママ」ではなく本人の名前で呼び合いましょう。できれば、結婚してからの名字ではなく、慣れ親しんだ下の名前で。そういうママ友文化が、どちらかといえば苦手だ。
わたしは「千佳子さん」とはまだ呼べないな。ママ友でもないし。佐藤さんのお子さんの名前も聞いたかもしれないけれど覚えていない。
「先日の試食イベントのご縁で、弊社にお声がけくださったんですか?」
「弊社」なんて普段の仕事でも使わないビジネスっぽい言い回して聞いてみる。
「いつか直美さんとお仕事をしたいと思っていたんです!」
力強く言われた。やはり仕事だと思っているのか。どっちなんだ!?
「月刊ウーマンの記事を読んだ話、しましたよね?」
「ええ」
「何度も読んで覚えちゃったんですけど」と佐藤さんが目の前で暗唱を始めた。
《パセリを花束みたいに活けている話をすごく楽しそうにされた方がいたんです。花束は主役、パセリは脇役ってイメージがありますが、パセリが主役になるんだって新鮮な驚きがありました。私たちが手がけるお惣菜シリーズは、副菜と呼ばれるものが多いんですが、もしかしたら、盛りつけ方や使い方で主役になることもあるのかもしれません。毎日を楽しく彩るのは、なんでもないことに光を当てる想像力なんだと教えられました》
そんなことを語ったっけ。
時が経って、人の口から伝えられると、自分の言葉じゃないような気がする。いい意味で。
佐藤さんが熱っぽく続ける。
「商品が棚に並ぶって、ポジションの取り合いじゃないですか。競争に勝つ商品がいれば、敗れる商品もいて、日々入れ替わるんですけど、それぞれの商品に親がいるんですよね。できる限りのことをして送り出してあげたいって直美さんがおっしゃってたの、親が子を想う気持ちそのものだなって」
そんな話もしたような気がする。優亜がお腹に入る前だ。あれから3年余り経っていることになる。手がけた商品が子どもだと子どもを産む前は思っていたが、今は、子どもと商品はまったく別の物だと思う。商品は夜泣きしないしイヤイヤ期もない。子どもが社会に巣立つのと、商品を市場に出すのとでは、かける時間も労力も気持ちも比べものにならない。
佐藤さんの想いを受け止め、あらためてマルシェのイメージ図に目をやる。ハーブと豆の組み合わせを身近にするチャンスがここにある。
緑の葉っぱからの連想で、同期入社で商品開発室の同僚のタヌキのウェディングドレスが頭の中に広がった。
「このイラスト描いてくださったの、直美さんも知ってる人です。makimakimorizoのマキマキさん」
「そうなんですか?」
裾にクローバーが広がるウェディングドレスを連想したのは偶然ではなかったのか。
「マキマキさん、野間さんの家に引っ越して来られて、うちのマルフルに買い物に来られるんです。そのときにハーブの苗を買いたいって話になって。そこにマイさんが通りかかって、マルシェをやろうってなったんです」
「野間さんって方とmakimakimorizoの方がお知り合いだったんですか?」
「マキマキさんがバイトしている新宿三丁目のカフェにショップカードを置いてて、野間さんが先にチューリップバッグを買って、その後に、このバッグをプレゼントしてくださって」
佐藤さんはそう言って、隣の椅子に置いているチューリップバッグを持ち上げた。
「すごいですね」
ひまわりバッグの値段を知っている直美は素直に驚く。
「アムステルダムに出発する前に、これまでのお礼にって。こっちがお餞別を贈らなきゃいけないのに。あ、一応、ここのパンケーキをご馳走したんですけど。そのときは定番のブルーベリーだったかな」
佐藤さんの話は行ったり来たりして、プレゼントークとしてはまどろっこしいのだが、なぜか聴いてしまう。声がいいのだと気づいた。透明感があり、耳心地が良い。聴いていて癒される声だ。
登場人物が一気につながり、パンケーキにまでつながった。見えないところで、ぐるっとつながっている。クローバーの地下茎みたいだ。makimakimorizoのひまわりバッグを亜子姉さんの代わりに購入し、タヌキがウェディングドレスを託すきっかけを作った直美も、そのつながりに連なっている。マルシェとの距離が、ぐっと近くなる。パンケーキなんて食べている場合じゃない、と輪の外側で聞いていたつもりが、いつの間にか輪をくぐって内側に引き入れられている。
パンケーキの甘いにおいとレモンの香りが近づいてくる。注文したシトラスのパンケーキが焼き上がり、テーブルに運ばれた。メニューで見たよりもハーブがたっぷりかかっている。
「これもマイさんの会社のハーブです」
資料をチューリップバッグにしまいながら佐藤さんが言う。
「そうだ。月刊ウーマンって雑誌があるのを教えてくれたの、マイさんなんです。以前、映画配給会社でバリバリ働いていた頃に見開きで載ったらしくて」
「もしかして、さっきから名前が出ているマイさんって、あのハーブコンシェルジュの!?」
思わず身を乗り出していた。この週末に連絡を取ろうとしていた人だ。
次回7月13日に多賀麻希(53)を公開予定です。
編集部note:https://note.com/saita_media
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