第39回 伊澤直美(13) 一人目もまだなのに二人目ですかお義母さん
職場への妊娠報告は和やかでスムーズだった。まず「おめでとう」の言葉があり、予定日を聞かれ、じゃあ産休に入るのはいつ頃からという試算があり、「楽しみですね」とあらためて祝福された。
こんなに簡単だったんだと直美は拍子抜けし、肩の力が抜けて初めて、身構えていたことに気づく。
開発が始まったばかりの商品シリーズが世に出るまでは、自分が欠けるわけにはいかないと気負っていた。産休が明けてすぐに戻れるだろうか。一旦離れてしまっても、戻る場所はあるのだろうか。職場復帰できるとしても、保育園に入れられるのだろうか……。
妊娠に踏み出せなかったときに頭の中を駆け巡ったあれこれは、「今じゃない」を正当化するための口実だったのだ。
次は、イザオの家族への報告だ。
イザオの姉、亜子姉さんには妊娠がわかってすぐに直美から伝えた。出産を控えていた亜子姉さんは「学年同じだね! 一緒に遊ばせようよ!」と大歓迎してくれた。
「うちの親には、いつ言う?」と聞かれ、
「安定期に入ってからにしようかなと思って」と答えた。
「そのほうが安心だね。あの人たち、素直におめでとうって言わないかもしれないけど、私から代わりに言っとく。直美ちゃん、おめでとう! おめでとう! おめでとう!」
力強く繰り返される「おめでとう」を聞きながら、亜子姉さんがママ友にもなるって最強じゃないかと直美は思った。
夫の姉が亜子姉さんで良かった。
亜子姉さんの弟が夫で良かった。
イザオの両親に報告する前に、亜子姉さんは二人目を出産し、幸太に妹ができた。
「今言う?」とイザオが言った。
あんたたちも早くとせっつかれる前に。
二人目の孫に気を取られているうちに。
イザオが実家に電話をかけ、「うちもできたんだよ」と伝えた。
「双子だったら追いつけたのに」
スピーカーホンにしたスマホから聞こえたイザオの母が告げたのは「おめでとう」ではなかった。
亜子姉さんの予言当たった、と直美が思うと同時に「そういうの、やめようよ」とイザオが声を尖らせ、電話の向こうの母親をなじった。直美はイザオが報告した後に電話を代わるつもりだったが、パーに広げた両手を体の前で震わせ、「やめとく」と身振りでイザオに伝えた。
電話を切った後、「まったく、うちの母親、なんでああいう言い方しかできないんだろな」とイザオはぼやいた。
「月刊ウーマン」に直美のインタビューが旧姓の「原口直美」で掲載されたとき、「お父さんに見せないでおくね」とイザオの母は連絡を寄越してきた。亜子姉さんには記事を見せていたことを後から知った。どういう理由でイザオ父には見せないでおき、亜子姉さんには見せたのか。イザオ母の真意は聞けていないが、「孫の顔は見れそうにないわね」と言いたかったのかもしれない。
だとしたら、妊娠報告を喜んでくれるのではないかと期待したのだが、返ってきた反応は「双子だったら」だった。一人目を産む前から二人目を催促されてしまうとは。目の前でハードルを引き上げられた感じだ。
「双子だったら追いつけたのにって、すごいよね」
直美はもちろんほめていない。呆れている。「追いつけたのに」という言葉が咄嗟に出てきたのは、息子夫婦が遅れを取っていると日頃から思っているということだろう。
イザオの母は、悪意なく、すごいことを言う。結婚して初めての正月、イザオの実家で出されたおせち料理の紅白なますを「おいしいですね」と食べていたら、「おめでた?」といきなり聞かれて面食らった。酸っぱいものが進むのはつわりのせいだと思ったらしい。珍しくふんわりしたラインのワンピースを着て行ったときも、やはり同じ反応をされた。孫センサーの感度が高すぎて、安心して酢の物も食べられないし、着るものにも気を遣う。
イザオが一人で実家に帰るようになり、イザオ自身も足が遠のき、電話でのやりとりが中心になっているが、言葉の毒気は年々煮詰められ、濃くなっている印象がある。これを言ったら相手が気を悪くするという遠慮や気遣いのフィルターで濾されることなく、原液のままの本音が押し出されている。ベテラン政治家の失言と似た構造だろうか。
「昔っから通知表比べられてたけどさ、孫の数まで比べないで欲しいよ。ハラミにもアコネーにも失礼だよ」
「双子にも失礼だよね。一気に2点稼げるみたいな考え方」
イザオとダメ出ししながら、「今日は平気だな」と直美は気づく。亜子姉さんが予防線を張ってくれていたおかげでもあるが、イザオの母の発言を「あーまたやってる」と思える余裕がある。
これまではいちいち突き刺さっていた言葉のトゲの先が丸まり、当たっても痛くない。逆に言えば、「子どもどうしよう」と悩んでいた頃は、その話題に触られると、敏感肌がかぶれるように過剰反応してしまっていたのだろう。
同じことを言われても、心の持ちようで、凹むときもあれば、笑い話にできることもあるんだなと直美は気づく。
イザオとこんな風に話が弾んだのって、いつぶりだっけと記憶をたどると、頭の中でパエリアが蘇った。
自転車で六本木まで出かけて、ちょうどいい時間だったというだけの理由で観た映画の中でカップルがケンカになったとき、食べていたのがパエリアだった。怒って店を出た彼女を彼氏が追いかけるのだが、ムール貝を中腰で食べ終えてから走り出すシーンが良かった。
映画を観終えた後、ムール貝入りのパエリアを食べられる店を探して、直行した。パエリア以外の印象はほとんど残っていない映画で、タイトルも覚えていないが、イザオと直美の間では『パエリア』と呼んでいる。
映画と観客のような距離感があれば、客観的に受け止められる。「映画はいただけなかったけど、パエリアはおいしい」のように、「義母の発言はいただけなかったけど、ダメ出しは楽しい」となる。イザオの母側にフィルターがない代わりに、自分側にフィルターを置いて、話半分に聞いたりネタにしたりすればいい。
「あれは直らないよな。あの性格で70年生きてきたんだから」
「ていうか、70年かけて今のお義母さんが出来上がったんだよね」
「生まれてからも、色々言ってきそうだよな」
やれやれと言いつつ、今日みたいに二人で笑い話にできれば何とかなりそうだと直美は思う。「子どもどうする?」のときはイザオとすれ違ったりぶつかったりしていたが、今はイザオと同じ方向から義母と向き合えている。
「ハラミのお母さんには、いつ言うの?」
イザオの言葉で、直美の顔から笑みが退いた。
次の物語、連載小説『漂うわたし』第40回 伊澤直美(14)「お母さんの人生、返して」へ。
イラスト:ジョンジー敦子
編集部note:https://note.com/saita_media
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