第49回 佐藤千佳子(17) この出会いにリボンをかけたい
「今年やり残したことは、パセリかな」
ティーカップをテーブルに置くと、野間さんは言った。
「パセリですか?」と千佳子は聞き返す。
シフトの休みが重なった平日の午後。野間さんの家にお邪魔して、お茶を飲んでいる。フレーバーティーのベリーの香りがリビングに立ち込めている。
「いけると思うんだよね。パセリの花束」
パセリを花束みたいに花瓶に活けてみたらキッチンも気持ちも華やいだというエピソードを千佳子は食品メーカーの消費者インタビューで語った。そのインタビューを担当した商品開発部の女性が「月刊ウーマン」というビジネス誌で千佳子の言葉を紹介した。
「パセリだって主役になれる」と見出しのついたその記事に飛びついた野間さんは、外資系広告代理店で営業をしていた頃に「月刊ウーマン」に見開きでインタビュー記事が載ったことがある。今から30年も前のことだ。
パセリに「花束」の付加価値をつけたら売れるのではないかと野間さんは言い、店長の了承を取りつけ、大はりきりで「パセリの花束」のPOPを作った。だが、笑ってしまうほど、売り上げにはつながらなかった。
「イメージがうまく伝わってなかったんじゃないかなって思うの。『パセリの花束』って文字で書いてあっても、何のことってなるじゃない? 佐藤さんだって、うちに帰って、花瓶に活けたから、パセリが花束らしくなったわけで」
野間さんの分析にうなずきながら、やっぱりキャリアウーマンやってた人は違うなと千佳子は感心する。「パセリの花束」が売り上げに結びつかなくても、千佳子は「そんなものか」と思い、それ以上は追わなかった。 そもそも、主役の料理の脇で彩りを添えるパセリと自分を重ねていたから、「パセリだって主役になれる」という発見に救われたのだ。パセリに何の思い入れもない人には、パセリが花束になったところで、めでたくもないだろう。
だが、野間さんは頭の中の取り出しやすいところに「パセリの花束」を置いて、ふとしたときに考えをめぐらせていた。
何か良いアイデアを出せたらと千佳子は思うが、何も思いつかず、暖房で温められて曇ったサッシ窓にそれとなく目をやる。
「庭見る?」と野間さんがガラスを手で拭き、「ノマリー・アントワネットの庭」が現れた。
「野間さんのお庭、いつ見てもお花が咲いてますね」
「ちょくちょく選手交代してるけどね」
根元に紫と黄色のパンジーが植わっているゴールドクレストに千佳子は目を留める。枝に花を咲かせたように、色とりどりのリボンがちょうちょ結びでくくりつけられている。
「あのリボン、野間さんが結んだんですか?」
「ああ、あれ? しーちゃんの置き土産」
しーちゃんは、野間さんの話にちょくちょく登場するお孫さんだ。長男さんより先に結婚した次男さんの一人っ子。漢字ひと文字で「栞」と書く。ちょうちょ結びを覚えたばかりのしーちゃんが、野間さんが取っておいたラッピングのリボンを見つけてゴールドクレストの枝にくくりつけたのだと言う。
「じいじの木がクリスマスツリーになったって、しーちゃん喜んでた」
「じいじの木、ですか」
「あのゴールドクレストね、お悔やみでいただいたの」
去年の春、野間さんはダンナさんを亡くした。定年退職した後、関連会社での2年の勤めを終えたあくる朝に胸の痛みを訴え、その夜に帰らぬ人となった。
「あまりに突然で、実感も湧かなくて。だけど、体から力が抜けちゃってね。初七日が終わって、何もする気が起きなかったときに、訪ねて来てくれた人がいたの」
ダンナさんの部下だったという男性が抱えて来た鉢植えに、ゴールドクレストが植わっていた。そのまわりに、オレンジと黄色のビオラが寄せ植えされていた。
「お悔やみにしては明るい色だなって思ったの。そしたら、その部下の方がお母様を亡くされたときに、ダンナが鉢植えを贈ったって言うの」
その話を聞いて、野間さんは驚いた。鉢植えなど贈るような人ではないと思っていたからだ。
「お母様が長患いで、部下の方は何年も介護されていたらしくて。急にぽっかり時間が空くと、何に使っていいかわからなくなるかもしれないから、そのときに水をやったり、声をかけたりするのにどうぞって」
そのときいただいたゴールドクレストが今も育っていますとダンナさんの部下だった人は告げた。かつて自分がしてもらったことを返してくれたというわけだ。
「いい話ですね」と千佳子が言うと、
「他人事だったらね」と野間さんは言った。
「ほんと、外ヅラがいいんだから。私は花なんて贈られたことなかったし。これからゆっくり労ってもらうつもりだったのに、さっさといなくなっちゃって、鉢植えになって帰って来られてもねぇ」
そんなことをブツブツ言いながら水あげてたのよと野間さんは言った。
「その割には真っ直ぐ育ってるでしょ」
野間さんが笑いながら言うので、千佳子も一緒に笑うが、同時に泣きそうになる。野間さんの憎まれ口が、ダンナさんへのアイラブユーに聞こえる。
「最初はこんなに小さかったの」
野間さんが丈を測るように右の手のひらをテーブルの上に浮かせる。その手の高さが示すサイズと、庭のゴールドクレストを見比べると、倍ほどの大きさになっている。
「大きくなりましたね」
「なったよねー。植木も孫も。ダンナがいなくなってからの時間が『見える化』してる」
サッシ窓の向こうのゴールドクレストに目をやりながら野間さんが言った。子どもは時間を成長に変える。そのことを千佳子も子育てをしながら感じている。
「しーちゃんの髪を三つ編みしてあげたいって言ってたの、あの人。自分の子は男の子ふたりだったから、初めての女の子でしょ。だから、じいじが三つ編みしてあげるんだって。しーちゃんの髪が伸びるのを待ってたんだけど、ねぇ」
湿り気を帯びてきた声を乾かすように、野間さんは声のトーンを上げ、カラッとした口調で続けた。
「まさか、しーちゃんにリボン結んでもらうとは、思ってなかっただろな」
野間さんの家にお邪魔するのは3度目だが、庭のゴールドクレストにそんなストーリーがあることを聞いたのは初めてだった。今日だって、千佳子が枝のリボンに目を留めなければ、この話にはならなかっただろう。
「鉢植えを受け取った日の私に教えてあげたい。この木が倍の大きさになる頃には、あんた、パセリの花束をどうやったらバズらせられるか考えてるよって」
あの木のおかげで野間さんは外に出られるようになって、スーパーでパートを始めたのかもしれない。そう思うと、千佳子も枝にリボンをかけたい気持ちになる。
野間さんとの出会いにも。
あたり前になってしまっているものにリボンをかけたら「特別」になる。それは、プレゼントにするということ。花束にするということ。
「パセリにリボンをかけてみたら」
ふと思いついたことが、そのまま口に出た。
次の物語、連載小説『漂うわたし』第50回 佐藤千佳子(18)「リボンを巻く人生と巻かない人生」へ。
イラスト:ジョンジー敦子
編集部note:https://note.com/saita_media
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