第142回 伊澤直美(48)この瞬間がプレゼント
「ボ、たい!」
リボンを手にした優亜がイザオに訴えるのを直美はキッチンカウンターの中から見ている。半分に切ったミニトマトの種を爪楊枝でかき出しながら。
玄関からリビングに入ったときに最初に目に入る正面の位置にクリスマスツリーがそびえて立っている。その枝に「リボンを巻きたい」と言うのだ。
赤と緑のクリスマスカラーのリボンは、スーパーで優亜が見つけた袋入りパセリの根元に巻かれていたものだ。
「ここ!」と声を弾ませ、「クリスマスを見つけた」と知らせたパセリのクリスマスツリーを、優亜は聖火リレーのトーチを捧げ持つように誇らしげに持ち帰った。パセリサイズでこんなに喜ぶなら、大きなツリーが家に来たらどんな顔をするのだろう。その顔が見たくなり、イザオの上司の堀池さんの家にあったクリスマスツリーを迎え入れることにしたのだった。
「かなり大きい」と念を押されていたので覚悟していたのだが、ダンボール箱に納めた状態で堀池さんが届けてくれたときは、意外とコンパクトだった。高さ100センチほど、幅と奥行きは20センチほど。だが、箱から取り出し、連結し、立たせると、直美の背丈ほどになった。
堀池さんは、ツリーを組み立てるところまでテキパキとやってくれ、
「ここから先は、お楽しみに取っておくね。では、サンタは帰ります。優亜ちゃん、メリークリスマス」
そう言うと、枝を折り畳んだままの「気をつけ」の姿勢のツリーを残し、玄関へ向かった。直美とイザオがあわてて追いかけ、引き留めたが、堀池さんは「優亜ちゃんに早くツリーを見せてあげて」と言い、さっさと靴をはいてしまった。
お礼を言うのはこちらなのに、「優亜ちゃんに会わせてくれてありがとう」と言う。
そういう人なのだ。だから、イザオが保育園へ迎えに行く時間を気にしてくれ、午後の打ち合わせから直帰して早めに迎えに行ってあげなよとまで言ってくれる。優亜が熱を出したと聞けば、今日は家にいろと言ってくれる。日本中の上司が堀池さんになったら、もっと子育てしやすい社会になるのではと直美は思う。
おなじみの赤い服を着ていないのに、堀池さんがサンタクロースに見えた。ユニフォームを脱いだ、休日のサンタクロース。
直美とイザオが折り畳まれた枝を広げる作業に取りかかると、「たい!」と優亜が一緒にやりたがった。イザオが優亜を抱っこし、飛び出した枝が顔に当たらないように注意し、手を添え、「よいしょ」のかけ声に合わせて枝を一本ずつ広げていった。優亜にとっては工作なのだろう。それも自分の背丈より大きな木を完成させるのだ。「堀池さんに報告しなきゃね」と直美は何枚か写真を撮ってから、反対側の枝を広げにかかった。
「堀池さんも、これやったのかな」
「お楽しみって言ってたもんね」
枝の向こう側とこちら側で元の持ち主の噂をする。
「これだけ枝が密集してるの、いいツリーだよね」
「何人目のお嬢さんのときに買ったんだろね」
枝をすぼめていたツリーが少しずつ円錐形になり、反対側のイザオと優亜の姿が広げた枝に隠れて見えなくなっていく。
時間にすると20分ほどだろうか、ついに広げる枝がなくなった。
枝に色とりどりのオーナメントを飾りつけ、完成したツリーを見て、「ここ!」と優亜が歓声を上げた。
「クリスマスがおうちに来た!」と喜びを弾けさせる優亜の顔を見られただけで、ツリーを迎えて良かったと直美は思った。そんな直美を見て、イザオが「な?」の顔をした。
そのツリーを迎えるきっかけになったパセリのクリスマスツリーのリボンが今、巻かれている。優亜の手が届く低い枝に。優亜の小さな手にイザオが手を添えて。
今年のクリスマスは、ツリーが来た年として家族の歴史に刻まれるだろう。クリスマスカラーのリボンを見ると、優亜の「ここ!」を思い出すのだろう。
去年のクリスマス、何してたっけ。
半分に切ったミニトマトに上下を切り落としたうずら卵を挟み、てっぺんに星のついたピックで留めながら、直美は振り返る。ミニトマトの赤がサンタクロースの帽子と服になる。
優亜の12分の11歳の誕生日祝いを兼ねたクリスマスケーキをイザオが買ってきたのは覚えている。それを優亜は食べたのだっけ。ケーキをのせたスプーンを握り締めている写真は残っているが、食べる真似事ではなくて実際に口に運んだのだっけ。
一昨年の今頃は、マタニティビクスで床を踏み鳴らして踊っていた。臨月のお腹が膨らんだタツノオトシゴみたいな体型で。
そっか。一昨年のクリスマスは、優亜とまだ出会ってなかったのか。
優亜がいなかったときって、あったんだ。
当たり前のことに直美はあらためて驚く。イザオとふたりきりのクリスマスがすっかり遠くなっている。紀元前、紀元後の区切りのように、優亜前、優亜後で人生が区切られている。
同期入社のイザオとつき合い始めてすぐに一緒に暮らすようになった。クリスマスプレゼントは、ふたりで使うものを相談して買った。ひと回大きな冷蔵庫だったり、大型テレビだったり。
マッシュポテトで白い髪とひげを作る。絞り出しの調整がうまくいかず、3人いたサンタクロースが2人になった。トリオからペアに変更だ。2人から3人になったわたしたちと逆だ。
黒胡麻で目をつけ、ピンクペッパーで鼻をつける。インスタで見つけたレシピ通りに作ってしまったが、1歳児に粒ペッパーを食べさせるのは避けたほうがいいかも。サンタさんの顔を見せたらペッパーをどけなくては。
優亜が生まれて、優先順位が変わったのだと思う。自分がどうしたいか、したくないか、よりも優亜がどうしたいか、したくないか、が大事になっている。
「ここ!」
ちょうちょ結びが完成したリボンを優亜が指差し、キッチンの直美を振り返る。今この瞬間がプレゼントなのだと優亜が教えてくれる。
「きれいにちょうちょ結びできたね」と直美が優亜をほめると、
「パパもお手伝い上手にできた!」とイザオは自分で自分をほめる。
クリスマスツリーを迎えなかったら見られなかった眺め、聞けなかった言葉。ツリーが連れて来てくれたプレゼントだ。いったい何をためらっていたのだろうと少し前の自分を笑いたくも叱りたくもなる。
「こっちもクリスマス、できたよ」
直美がテーブルに皿を出すと、
「ここ!」と優亜がミニトマトのサンタクロースに歓声を上げた。
「やった! ちゃんとサンタさんに見えてる!」
「ハラミ、やるじゃん」とイザオも感心し、「ママすごいね」と優亜の顔をのぞき込む。
これ作るのに1時間もかかってるけど、サンタさん一人減ってしまったけど、大成功だ。
「ハラミ、何にやけてんの?」
「わたしの中にミニトマトのサンタクロースを作る才能が眠ってたんだなって」
「覚醒したな」
そう言ってイザオがスイッチを入れると、ツリーに巻きつけた電球が明滅し、「ここ!」と優亜が反応する。
「ここ」の一言に、こんなにうれしい響きがあったとは。
知らなかった感情。知らなかった自分。優亜が生まれてから、毎日プレゼントをもらっている。眠っていたクリスマスツリーにイルミネーションが灯るように。
次回1月6日に多賀麻希(47)を公開予定です。
編集部note:https://note.com/saita_media
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