
第214回 伊澤直美(72)近くて遠い
「お腹いっぱい」とタヌキが言った。「オナカイッパイ」と棒読みするような平坦さで。
ミラノ風カツレツを食べ終えての感想ではなく、直美の話を聞き飽きたということだろう。直美が話す優亜の話。
他の人に言われたのなら驚かないし、ちょっと多かったですねと反省するのだが、タヌキに言われたことに驚いた。
これまでも優亜の話をたくさんしてきた。今日よりも長かったこともある。タヌキはずっと我慢して聞いていたのだろうか。早く終わらないかなと思いながら。
テーブルの向かいに座っているタヌキが急に遠い人になる。望遠鏡を逆さまに覗いたように小さくなる。
何か言わなきゃと思うけれど、言葉にならない。わたし、たぶん今、泣きそうな顔をしてる。
わかり合えていると思っていた人が実は一方通行だったと気づいたとき、今までの関係がバランスを失う。取り返しのつかないことをしてきたことを過去に遡って悔やみ、その過去の積み重ねでできている今の自分がぐらつく。体にいいと信じて続けていた健康法が実は体に害があると知ったときのように、どこまで信じればいいのか、どこから疑えばいいのか、わからなくなる。
子どもを産む、産まないでイザオとすれ違っていたときも、そうだった。産んでくれたら後は何とかすると涙ぐんで頼み込んだくせに、お揃いのシティバイクを買おうかとイザオが言い出した。出産、育児でこの人は何も失うつもりはないのだ。覚悟もないのだと心底がっかりしたし、わたしは一体この人の何を見て結婚したのだろうと呆然とした。
「子ども持ったら、もっと世界が広がるって」とイザオに言われた。「あんまり被害者意識を持たないほうがいいよ」とも言われた。イザオは子どもを持って得られることに目を向け、直美は子どもを持って失うことに目を向けていた。

いざ命が宿ると、迷いなく産む選択をし、妊娠期間は思いのほか充実した時間となった。案ずるより産むが易しだった。すれ違っていたふたりは同じ方向を向いて子育てを始めた。分断していた気持ちとチカラを合わせて。
けれど、ある日、帰宅したイザオは「ハラヲカシタネ」と言ったのだ。酔っ払うまで飲んできて、眠っている優亜の顔を覗き込み、「どんどん俺に似てくる」と呂律の回らない口調で言った後で。
一瞬、何を言われたか、わからなかった。
「腹を貸したね」と漢字に変換され、ピントが当たった。
わたしは、イザオが欲しがった子どもを産むために場所を貸した、それだけの存在だったのか。産んでくれたら何でもすると言って涙ぐんだ夫は、本当にそれだけのためにわたしを必要としたのか。
怒ることも忘れ、ぽかんとしてしまった。そのままイザオは寝入ってしまい、後には痛みだけが残った。
「あの言葉はどういう意味?」とは聞けなかった。聞いたところで「言った覚えがない」ととぼけられただろう。「そんなひどいこと言うはずがない」と怒り出したかもしれない。心にもないこと。だけど、間違いなくイザオの口から出た言葉。だから余計にタチが悪い。
しばらくは思い出しては傷口が開いて疼いたが、分厚いかさぶたでふたをして、長い間忘れていた。久しぶりに「ハラヲカシタネ」を思い出したのは、タヌキの「オナカイッパイ」からの連想だろうか。
「優亜の話を聞きたくないって言ってるんじゃないよ。『かたてぶくろ』の絵本を喜んでくれたのも、優亜が片手袋を見つけるようになったっていうのもうれしかった。だけど、子どもの話ってノロケ話だから」

ノロケって惚気って書くんだったなと直美は思う。確かに子どもの話は惚気話だ。誰かに聞いて欲しい幸せな話。
だから、優亜のことを話す相手は選んできた。商品開発部の後輩のハラミ2号には、自分からは優亜の話はしない。ワーキングマザーであることを、できれば忘れていて欲しいから。不妊で悩んでいる人や子どもに手を焼いている人にも優亜の話は避ける。うちはうまく行っていますという自慢に聞こえ、いっそう追い詰めてしまうことのないように。
子どもは持たないと決め、優亜を自分の子のように可愛がり、面白がってくれるタヌキとマトメは、惚気話のできる数少ない相手だ。
そう思っていた。なのに……。
「許容量ってあるんだなって」
タヌキがポツリと言う。
惚気話を聞くにも限度があるってことか。子育ては、そんなこと言ってられない。子どもとは毎日向き合わなくてはならないし、今日はやめておくというわけにはいかない。
ううん、そんなことないと直美は思い直す。同じ絵本を何回も繰り返し読んでとせがまれたとき、なかなか寝てくれないとき、「いい加減にして」と思うことはある。
「だよね。ここのカツレツだって、大好きだけど、毎日だと飽きちゃうもんね」
なるべく明るく言った。許容量超えちゃってごめんねとタヌキに歩み寄ったつもりだった。

だけど、タヌキの唇は固く結ばれたまま緩まない。タヌキとの距離は縮まらない。
「ハラミが許容量を超えたってことじゃない。受け止める側の私の問題」
それからタヌキは、「うちのおばあちゃんがさ」と語り始めた。
「母以上にお嬢様で、わがままいっぱいに育って、妥協を知らないまま年老いていった人なんだけど、晩年、食べ物を飲み込むのがうまくできなくなって」
直美の頭に「嚥下障害」という単語が浮かび、タヌキの声で再生される。病気や高齢の人のためが食べやすく飲み込みやすい嚥下食の開発をタヌキが提案したのは去年のことだ。そんな背景があったことは知らなかった。
「私が高校生の頃。食べられなくなった自分の代わりに深雪が食べてきてって言われて、おばあちゃんが好きだったお店に出かけて、食べて、おばあちゃんに食レポしてたの。洋食屋のカニクリームコロッケとか、パーラーのサンドイッチとか。おばあちゃんが喜んでくれるのがうれしかった。でも、ある日、話の途中でいきなり、やめてって叫ぶみたいに言われて」
そのときのことを思い出したかのように、タヌキは目をぎゅっと閉じた。
「私、びっくりしちゃって。おばあちゃんも大声出したことにびっくりしてて。お互い、ごめんねって言い合って、気まずくなって。私はただもうショックで。今まで喜んでくれてたのになんでって、裏切られたみたいな気持ちになって」
その動揺、わかるよ。タヌキがおばあちゃんにされてびっくりしたことは、さっきわたしがタヌキにされてびっくりしたことだから。
でもねとタヌキは続けた。
「私の食レポを聞いて、食べたつもりになって喜んでいたけど、あれもこれも食べられないんだって、だんだん辛くなったんだと思う。足りないものを満たしてくれる足し算だったのが、あるときから引き算になっちゃったんだよね。手に入ったかもしれないものを、こんなに失ってたんだって。つもりじゃなくて、本当に食べられたら、どんなにいいだろうって。さっき、片手袋の話を聞いてるとき、私、おばあちゃんと同じことしてたんだって気づいたの」
「おばあちゃんと同じこと?」
「優亜を見て、子どもがいたらこんな感じなんだなって楽しんでた。おばちゃんが私の食レポ楽しんでたみたいに。だけど、時々突きつけられる。自分が手放したものの大きさっていうか、重さっていうか。子どものいる人生もあったんじゃないかって」

ぽつりぽつりと語る切れ長の目は、目の前の直美を通り越し、遠くを見ている。置いていた過去なのか、ありえたかもしれない未来なのか、タヌキの手の届かないところにあるもの。
タヌキとマトメは自分たちの意思で子どもを持たないと決めて、納得していて、その決意は固いと、どうして思い込んでいたのだろうと直美は思う。
人なんて変わるのに。揺らぐのに。誰だって、わたしだって、ずっと。

次回2月21日に多賀麻希(71)を公開予定です。
編集部note:https://note.com/saita_media
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