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連載小説『漂うわたし』第73回 佐藤千佳子(25)「同じ景色を見ていると思っていたのに」

カルチャー

 連載小説『漂うわたし』 第73回「同じ景色を見ていると思っていたのに」

2022.06.11

【前回までのあらすじ】パート先のスーパーで野間さんと成功させた「パセリのクリスマスツリー」が店長の手柄にされ、透明人間になった淋しさを味わう千佳子。初めての子育てに奮闘する直美は、食べたものが母乳になって命がめぐることに想いを馳せる。前の恋人ツカサ君と出会った映画をモリゾウと観た麻希は、消したい過去を題材にツカサ君が書いた脚本『制服のシンデレラ』をモリゾウに見せる。

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漂うわたし

第73回 佐藤千佳子(25)同じ景色を見ていると思っていたのに

店長が本部で表彰された数日後、ダブルクリップで留めたカラーのプリントアウトを野間さんに見せられた。ドラマに出てくるプレゼン資料というやつだ。

野間さんが外資系広告代理店を辞めたのは30年ほど前だが、当時からパソコンを使いこなして、資料を作っていたのだろうか。

表紙に「『マルフルネス』〜スタッフから自己実現する店づくり」とタイトルが入っていた。

「マルフルネスって何ですか?」と千佳子が聞くと、
「マルフルにマインドフルネスのイメージを重ねた造語。スーパーマルフルで充実した人生を送れるってこと」と野間さんはプレゼンするように声を張った。

マインドフルネスというものが何なのかもよくわかっていない千佳子には、マルフルネスはピンと来なかったが、野間さんのただならぬ意気込みは伝わった。

表紙をめくると、パセリのクリスマスツリーが成功するまでの歴史が写真やグラフをまじえてカッコよくまとめられていた。

「きっかけはパート主婦の気づき」という見出しの下に、千佳子のことを食品メーカーの女性社員がインタビューで語った「月刊ウーマン」のページの画像が貼りつけられていた。

「パセリだって主役になれる」と気づいたパート主婦、つまり千佳子の話を聞いたもう一人のパート主婦、つまり野間さんが「パセリの花束」という付加価値をつけて売り出すことを思いつき、店頭POPを作成。大幅な売り上げ増にはつながらなかったが、買い物客からは好評で、「パセリの良さを見直した」「パセリを買いたくなった」という声が紹介されている。実際には売り上げにはほとんど変化はなかったし、買い物客の声も届いていなかったが、プレゼン資料というのはそうやって自分を大きく見せるものなのだろうと思い、千佳子はページをめくった。

パセリ

次のページでは「パセリのクリスマスツリー」が店頭の写真とともに紹介され、「売り上げ2割アップ」と吹き出しがついていた。前年同日比で2割増しになった日があったということなのだが、数字のマジックで、期間を通して2割アップを達成したように見える。

まとめのページには「顧客とのエモーショナルボンドを強化したリボン」と書かれていた。エモーショナルボンドというのは気持ちの絆という意味らしい。

そんなに大げさなものだったっけというのが千佳子の感想だった。パセリにリボンを巻いただけで、そのリボンは、たまたま本部から送られてきて、使い道が決まらず浮いていたものだった。お客さんとの絆を結ぼうなんて野望はなかったはずだ。

「この資料、どうするんですか?」
「まずは本部にプレゼンして、プレスリリースにして出してもらおうと思うの。記事になったら、マルフルのブランドイメージを上げられるじゃない?」

新聞や雑誌に何百万もかけて広告を出す代わりに、記事で取り上げてもらえばいいのと野間さんは力説した。本部に戻った前の店長に連絡して、プレゼンのアポも取りつけていた。野間さんをつき動かしているのは、意地だ。手柄を店長に独り占めさせておくのは悔しいから、自分の功績だとはっきりさせたいのだ。そう思うと、野間さんの必死さが、見ていてしんどくなった。

「一生懸命」と「必死」は近いところにあるけれど、決定的に違うと千佳子は思う。「一生懸命」は応援したくなるが、「必死」はブレーキをかけたくなる。「そこまで頑張らなくてもいいんじゃない?」と。

「わたしは別に、名前を出してもらわなくてもいいですよ」
「佐藤さん、そんな弱気じゃダメ。佐藤さんから始まったことなんだから。そうやって黙っていたら、私たちがやったことも、私たちも埋もれてしまうの」

クチナシ

「私たち」と野間さんは力を込めて言ったが、千佳子は違和感を覚えた。

店長一人の手柄ではないけれど、野間さんとわたしだけのものでもない。パセリの花束って、声を張り上げて人を振り向かせるようなものじゃない。ささやくような小さな声で、そっと手渡しするような静かなものだったはずだ。

店長が本部に表彰されるという晴れ舞台に引っ張り出されたことで、その舞台に立つはずだったのは私たちだと野間さんは主張した。

「女性のパートなんかに活躍されたら困る人たちがいるの。自分たちの立場を脅かされるから。私たちがやったって、ちゃんと声を上げなきゃ。私たちから変えていかなきゃ。いつまでもなめられたままになっちゃう」

野間さんが熱くなればなるほど千佳子は冷めていく。

気合の入った資料を作って、よくわからないカタカナを連呼する野間さんは、スーパーのレジをやっているような人ではないのだ。今も外資系広告代理店でバリバリ働いていたかもしれないし、店長に指示する立場にいたかもしれない。だから店長と張り合ってしまうのだ。評価されるべきは店長ではなく自分なのだと。

パセリの花束が自分の手を離れて、どんどん遠くなる。野間さんと「パセリの花束」のPOPを作ったときの高揚感も、売り上げに結びつかなくて肩透かしを笑い合ったことも、大人の部活みたいで楽しかった。ノマリー・アントワネットの庭のゴールドクレストにリボンが結ばれているのを見て、パセリのクリスマスツリーを思いついた。あのとき聞いた、ダンナさんの思い出話。食べていたお菓子。リボンをかけたいと思った時間が、水に溶けるようにかき消えていく。

パセリのクリスマスツリーが店長一人の手柄にされたと聞いたときは透明人間になったような淋しさを覚えたが、今のほうが淋しい。

野間さんと同じ景色を見ていると思っていたのに。

チョココロネ

「野間さんとケンカでもしたの?」

おやつのチョココルネを手にした娘の文香が、キッチンに立つ千佳子の隣に立って聞いた。頭の中をのぞき込まれたようで、ドキッとする。文香は千佳子の身長を追い越し、さらに数センチほど伸び、千佳子を見下ろす格好になっている。

「ふーちゃん、テレパシー?」
「は? ママ、ずっとブツブツ言ってたんだけど。野間さん、野間さんって」
「その、『は?』っていうの、やめてくれない?」
「ママも脳内実況やめて。こわいから」

頭に浮かんだことが、無意識に口から出てしまう。外では気をつけないと。

とくに職場では。

だから、シフトを外してもらった。家庭の事情を理由にして。期間は1週間。その間に野間さんの気持ちが冷めるのを待っている。

「チョココルネ? チョココロネ? どっちだっけ」

どっちでもいいよねと文香は自分で答えを出し、クリームが顔を出している頭から食べるか、すぼまっている後ろから食べるか、そもそもどっちが頭なんだっけと、これまたどうでもいいことを朗らかに悩む。

どうでもいいことを無邪気に悩んでいたいと千佳子は思う。なめられたくはないけど、戦いたくもない。波風立てず、穏やかに暮らしていたい。パセリを花束に見立てて、ほっとするような暮らし。

それは妥協なのだろうか。諦めなのだろうか。
埋蔵主婦を増やすことに加担しているのだろうか。

「男女っていつから逆転するの?」と以前、文香に聞かれた。口当たりのいいパンとチョコクリームに甘やかされている間に、逆転は進んでいるのかもしれない。
 

 

次の物語、連載小説『漂うわたし』第74回 佐藤千佳子(26)「正解も正義もひとつじゃない」へ。

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著者

今井 雅子プロフィール

今井 雅子

脚本家。 テレビ作品に連続テレビ小説「てっぱん」、「昔話法廷」、「おじゃる丸」(以上NHK)。2021年「ミヤコが京都にやって来た!」(ABCテレビ)と「アイカツプラネット!」(テレビ東京)に参加。映画作品に「パコダテ人」、「子ぎつねヘレン」、「嘘八百」シリーズ。出版作品に「わにのだんす」、「ブレストガール!〜女子高生の戦略会議」、「産婆フジヤン〜明日を生きる力をくれる、93歳助産師一代記」、「来れば? ねこ占い屋」、「嘘八百」シリーズ。短編小説「膝枕」が音声SNSのClubhouseで朗読リレーと二次創作リレー中。故郷大阪府堺市の親善大使も務めている。

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